第27話「幸せの時効」

「ただいま」


 俺は家に帰るとすぐに和室の仏壇に行く。


「今日も俺は元気に過ごしたよ、母さん」


 手を合わせながら母さんの顔を思い浮かべる。


 母さんは3年前、俺が小学四年生の時に事故で亡くなった。


 母さんはいつも誰かのために動いていた。


 この事故の時だってトラックに轢かれそうになっていた小さな女の子を庇ってのことだった。


 そんな母さんはいつも口癖のように言っていたことがあった。


『常に優しくありなさい、常に誰かを助けなさい、そうすればいつか自分を支えて助けてくれるそんな存在が現れるから』


 俺はその言葉を胸にいつも生きている。


 自分が辛い時だって人を助けた。


 そうすれば母さんが見てくれると思ったから。


 いつも優しい人であることを心掛けていた。


 それがたとえ偽物であろうとも。


「よし、ご飯作るか」


 俺は父さんが帰ってきた時にほかほかのご飯を出せるようにご飯の準備を始めた。


 いつしか母さんが教えてくれた味を料理に閉じ込めて。



♢♢♢♢



「こーちゃん!おはよ」


 家の前で詩織を待っていながら読書をしていた俺はその声に顔をあげる。


「あぁ、おはよう」

「いこっか」

「うん」


 そうして俺は今日も平和な毎日に足を踏み入れる。





 学校が近くなってきた頃にふと詩織が尋ねてきた。


「……こーちゃんって彼女とか、いるの……?」

「なんだよ急に、いないよ」


 すこし上目遣いをした詩織はいつもより可愛らしく見えた。


「い…いや、あのね!クラスの友達とかが彼氏できたーとかそう言う会話ばっかりしてるからこーちゃんにももしかしたらいるのかなーとかなんとか思って……」


 早口で言って息が切れたせいなのか単純に風邪なのか少し顔が赤くなっている。


「大丈夫か?顔赤いぞ?」

「っ……!!こーちゃんのばかっっ!!」


 するとたたた、と前に走って行ってしまった‥と思ったら少し行ったところで振り返ってこちらを見てきた。


 俺は詩織のとこまで駆け寄って行ってポンと頭を一つ撫でてからごめん、と謝った。


「まぁ反省してるならいいけどねー?」


 と、上から目線で言ってきたのがなんかむかついたからうりうりと頭を撫でてやった。



♢♢♢♢



「やっと終わったぁあ!」


 今日の授業が全部終わった後、詩織はそう言って俺の胸の中に倒れ込んできた。


「6時間長いんだよぉ……」


 俺はそんな詩織の頭をぽんぽんと撫でながら新たな情報を教えてあげた。


「知ってるか?高校って7時間は当たり前、高校によっては8時間があるところも山ほどあるんだってよ」


 すると詩織はばっ、と顔をあげて悲痛な表情を浮かべた。


「え、え、え…?8時間……?」

「うん、8時間」


 もう一回現実を教えてやると詩織は俺の胸の中でドタバタと暴れ始めた。


「やーだー!高校いきたくなぁいー!!」


 その内容はとてもじゃないが中学生にはふさわしいものではなかった。


「まぁまぁ、そんなこと言ったって高校行かなくてできる職業なんて芸能人とかそのレベルだけだし……」

「じゃいいもん!アイドルになる!」


 急にとんでもないこと言うなよ。


「やめとけやめとけ、詩織は可愛いけど可愛いだけじゃトップアイドルになんかなれないしそもそもトップアイドルになれるのなんてほんの一握りだけだぞ?」


 現実をもう一回思い知らせたから泣きそうな顔でもするのかなと思っていたが意外にも詩織はにまにまと嬉しそうに笑っていた。


「ふーん、へー?私をそこまで可愛いと思ってるこーちゃんが言うならやめとこっかなぁー?」


 そういうことか、しまった失言だった。


「そんなくだらないこといつまでも言ってないで帰るぞ」

「はーい」


 なんだか今日はやけに素直な詩織を連れて帰路に着く。


 この些細な幸せな毎日がいつまでも続くよう今日も祈る。


 でも、母さんがいなくなった時のように幸せというものはあっという間に崩れ落ちる。


 そんな事実にこの時の俺は目を背けていたのかもしれない———

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