バカバエ

ラッキー平山

バカバエ

 Aは五歳のころ近所のドブに入った。逃げるトンボを追いかけてだ。そこへ来た同じ五歳のB子があきれて言った。

「バカバエ」

「えっ」

「冷蔵庫に入って、そのまま凍死するコバエと同じよ。そんな膝までドロッドロになって。バカじゃないの?」

「……」


 今さら自分の下半身を見下ろして、固まるA。黒い泥の海に膝まで浸かり、そこから生えた木のようだ。ごまかしようのない醜態である。

 といって驚いているようでなく、苦笑いのようなので、またB子をイラつかせた。

「それにここ、うちの敷地なの。泥棒よ、あんた」

「ご、ごめん」

「ほら、さっさとあがんなさいよ。バカバエなら、飛んで出られるでしょ。それは泥で、うんちじゃないから、いても意味ないわよ」

 彼女は右片おだんごの髪をした愛らしい顔だちだが、今はあくまで軽蔑の目である。


 するとAは、なにか不思議そうに彼女を見て言った。

「でもここ、寒くないよ?」

「だから?」

「冷蔵庫は寒いでしょ。コバエはなんでうんちがないのに、入っちゃうんだろ?」


 とたんにB子の顔色が変わった。いたずらのように、にやにやしだした。

「あんた、おもしろいわね」と手を出し、Aをの手をつかんで引き上げた。ずるっと路肩にあがると、靴まで泥を吸ってずっしり重そうだった。


「うちにホースがあるから、洗いなさいよ。そのまま帰ったら怒られるでしょ?」

 ことのほか優しく言われて、背を向けるB子についていこうとして、Aはふと振り返った。ドブには、まさに二本の木を引き抜いたように、ぽっかり二つの穴があいている。


 見ながら彼は、ぽつりと言った。

「トンボ、あそこで暮らすんだろうな」

 B子は、こいつをうちにつれていくのをやめようかと思った。(終)

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バカバエ ラッキー平山 @yaminokaz

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