第11話 巨大蛇と猫
◆◆◆
(上手く行ってんですかねこれは……何とも言えない状況だ……とんでもない化け物が混ざっていたのだけは確かですね……)
鑑定士は中央神殿に続く階段の真ん中で、先ほどまで儀式をしようとしていた中央祭壇を見上げていた。目論見通りに途中まで上手く行っていたが、予想外の邪魔によって計画が半分ほど失敗していた。
(もう一度黒蛇が出たら様子を見に戻りますか……ここまで来て撤退は惜しすぎる……)
鑑定士が下の様子を見ようと振り返ると同時に、榊がものすごい速度で持っていた包帯にまかれた刀を降りぬいてくる。予測していたのか鑑定士はひらりと身をかわし、追撃を避け切っていく。
「君たちとは面識がないはずだ! 何を突然!」
「邪な匂いがプンプンするんですよ! 先輩やっちゃえ! 多分指名手配犯とかっすよ!」
「指名手配かはわからないけどなっ!!」
丹地がホルスターから取り出していたサイレンサー付きのハンドガンを構え撃つタイミングを見計らっている。
「……特殊対策課か……今回はお終いだな……」
「良くご存じで!!」
鑑定士が立ち止まった瞬間に丹地は容赦なくハンドガンを打ち込むが、身体がぶれた様に見えると一瞬にして避けてしまう。同時に榊の刀による斬撃も左手でいなしながら軽々とかわしていく。
「くそっ、なんて身体能力だ……」
「あの、なんかその人のまわり歪んで見えたんですけど、なにものなんですか!」
丹地は残りの弾を全弾打ち尽くし、弾倉を取り出して弾を入れかえようとする。それを見た鑑定士は微妙に微笑む。
「それではみなさん、ごきげんよう……」
鑑定士は榊の刀を左手で跳ね上げると、余裕で二人の間を避けていく。鑑定士は移動中に白い煙幕の玉を地面に投げつけ、煙に紛れて姿を消してしまう。丹地は人間離れした鑑定士の動きに驚きを隠せなかった。
「なんなんですか、あれ、特殊対策課ってあんなのとやり合ってるんですか? そもそも、あれ人間ですか?」
「さぁな。確かなのは……僕もまだまだみたいってことだな。 ……丹地、まだ残業は続くみたいだぞ」
「……うへ、そうみたいっすね」
二人の周りには、再び黒い触手が地面からうじゃうじゃとわき始めていた。
◆◆◆
伸太郎が中央神殿に続く階段を登り切ると、予想していなかった光景が広がっていた。
「え、なんだこれ……」
目の前には直ぐそばの地面に血を流して倒れている母親の珠稀と、祭壇中央で石を抱えて絶望した表情で固まっている聖の姿が見えた。
「母さん! 大丈夫か!?」
伸太郎が慌てて母親の元に駆けつける。近づいていくと息をしているのが分かりほっとした表情になり、巨大な黒蛇を睨みつける。
「アシュレイ、母さんを治してくれ」
「承知したニャ」
伸太郎は青い光の粒子を発しながら、苦しそうに助けを求める聖の元へ駆けつけようとするが、間近で見る大木よりも太い黒い蛇の巨大さに圧倒される。躊躇しながらも聖のそばまで警戒しながら近づく。伸太郎に気が付き、一瞬喜んでほころんだ表情をする聖だったが、伸太朗が近づくにつれて体が委縮し俯いて震え出してしまう。
「……ごめ、ごめんなさい……本当にごめんなさい」
「大丈夫だ。皆んながなんとかしてくれてる。あの黒い触手に触っても死なないみたいだ……みんな生きてるってさ」
「……違うの、全部、私が、私のせいで……」
伸太郎は聖の様子がおかし過ぎるのに気がついたが、嫌でも目に入る、目の前を壁の様にそびえ立つ巨大な黒蛇に圧倒されて、話の内容が頭にあまり入ってこない状態だった。
すると、灰色の猫がふわりと伸太郎の肩に乗り顔を覗き込む様に話しかける。
「落ち着くニャ。お主様、あやつが動く前に願って欲しいニャ。この黒蛇を消し去って欲しいと」
「わかった……アシュレイ、あの黒い蛇を消し去ってくれ」
「承知したニャ」
「出来るのか?」
「当然ニャ」
「頼む!」
伸太郎から青い光の粒子が灰色の猫に降り注ぐ。灰色の猫はその量に驚きを感じていたが、心を整えて光を受けて魔法の言葉を紡ぐ。それを見ていた聖は安心した様な表情をしていたが、何かに気が付いた様で慌て出す。
「待って! 黒蛇を消したら……」
『聖光破邪!』
灰色の猫がこの世界で聞き取れない言葉を放つと、巨大な黒い蛇の周りだけでなく、中央神殿全体を囲うように魔法陣が展開され天空に向かって光の柱が立つ。
魔法陣から発せられる光の直撃を受けた巨大な黒蛇は、叫び声をあげながら霧の様に消え去ってしまう。
「……やったか?」
「跡形もなく消し飛んだニャ」
「あれ? 呪いが返ってくるんじゃなかったの?」
「そう思ってこの近辺をまとめて消しておいたニャ。ちょっとした時間稼ぎだニャ」
周囲を満たしていた怪しげな何とも言えない不快な空気が消え去っていく。伸太朗はほっとするが、それに反比例して聖の表情が沈みこんで行くのに気が付き心配そうに聖に近づく。
「伸君……私、私ね……」
「……もう、大丈夫だから……」
聖が伸太朗のことを一瞬見た後、うつむいて勢いよく話し出す。目から涙がボロボロとこぼれるように落ち続ける。
「ごめんなさい! 私が、私の願い事のせいで、伸君を怪我させて! 伸君に悪いものがついて!」
「……聖……落ち着いて」
「私が蛇の石に願ったの……伸君と一緒になりたいって……だからっ……私っ、まさか伸君を怪我させてたなんて知らなくて……あの時も私、わざとじゃないのに……」
「聖……」
泣きじゃくる聖を前に伸太朗はどうしたらよいか分からなくなってしまう。ただ、迷っていて揺らいでいた彼の覚悟は決まりかけていた。
伸太朗は後ろの方から息を切らしながら駆け上がってくる人間の足音がしたので、目の前の聖の事を心配しながらも振り返って確認をする。
「はぁ、はぁ……あ、よかった、やっぱり無事だった」
「ふぅ……無事の様だな……さすがにしんどかった……」
紡希と剛士が階段を急いで駆け上がって登り切った所で肩で息をしながら周囲を見回し、安心した感じで話していた。
「えっ? 母さん? ちょっと大丈夫なの?」
紡希が珠稀の額が血まみれだったのに気が付き、慌てて駆け寄って怪我の状態を確かめていく。剛士は珠稀を気にしながらも周囲を警戒しながら伸太朗たちに近づいていく。
「珠稀が怪我するくらいのやつだったんだな……あの黒蛇は……」
「剛士おじさん……」
「……すまないな。シン。色々黙ってて……」
「俺もなにがなんだかわからないです……色々ありすぎて頭がついてかない」
「そうか……そうだよな。それでそのお嬢ちゃんは……大丈夫なのか?」
泣き続ける聖を前に二人はどうすればいいのかわからない状態だった。
すべてが終わった感じの空気が流れていたが、泣きじゃくって意気消沈していた聖が突然慌てだす。
「ヒグッ……え……また魔力が流れていく……ちょっと、手から離れない……」
聖が白と黒の石を手放そうとするが、彼女の手から石が離れず、接着剤でくっつけたかのようだった。
「聖、どうした?」
「離れないの! どうしよう。なんか吸われてる感じがするの!」
いつの間にか灰色の猫が伸太朗の肩にのり、聖の事を青く魔法で光る眼で見ていた。
「どうやらその石が聖の魔力を吸っているみたいだニャ」
「……ほんとだ……猫がしゃべったぞ……」
「言ったでしょ! 喋るって!」
「……うるさいわね……あれ? どうなっているの? あれ、アシュレイまでいるし……」
剛士が素で驚き、紡希が大声で突っ込みを入れる。耳元の紡希の大声でようやく目覚めた珠稀も普通に灰色の猫を認識しているようだった。自然な感じのやり取りに伸太朗は少し驚くが、ここ最近の出来事や、灰色の猫と出会う前、過去の不思議な家族の行動などを思い出し、灰色の猫の存在は彼らにすでに受け入れられていた事を知った。
「アシュレイ、俺はどうすればいいんだ?」
「アシュレイちゃん……私は……」
伸太郎と聖が懇願するように灰色の猫を見る。灰色の猫が間をおいて答えようとすると、剛士と紡希が周囲の変化に気が付き戦闘態勢をとる。
「くそっ! また湧いてきやがった!」
「どう言うこと? その石のせい?」
剛士と紡希のあげた声に反応して伸太朗が周りを見ると、先ほどの黒い触手や、この世界で見えてはいけないような虫のようなものが飛び交い始め聖の方にジリジリと近づいていくような感じだった。
「アシュレイ! 奴らを消し去ってくれ!」
「……承知したニャ……」
伸太朗が願うと青い光が発せられ、灰色の猫が魔法の言葉を紡ぐと、先ほど展開した魔法陣から再び白い光が発生し、天へと向かう光の柱となる。再びあたりに静寂が訪れるが、すぐに黒い触手が出現し始める。
「すげぇな……これが猫の力……」
「だけどまた出てきてるよ!」
「ジリ貧ね……これはヤバいわ」
聖が手をぶんぶん振っても、白と黒の石は磁石の様にぴったりとくっついて離れない。
「ダメ……石が離れない……力が吸われていく感じが終わらないよ!」
「お主様、十分弱っている状態ニャ。次に願うことはもう知っているはずだニャ?」
「……わかってる……」
灰色の猫と伸太朗の間の話がわからない三人は、周囲の状況を見て危機感を覚えていた。
「くそっ! あのすごい光でもダメなら石を破壊しないとダメじゃないのか? それともこの嬢ちゃんを……ぶん殴って気絶させるか?」
「剛士おじさん、待って! それはダメ!」
「待ちなさい! 彼女を殺しても意味がないわ! 石を破壊してもこの街が大変なことになる!」
聖に殴りかかろうかという勢いになっていた剛士を紡希と、事情を理解していた珠稀が止めにかかる。その脇を一匹の小さな白い蛇がすっと通っていき聖のもとへとやって来る。神々しい印象を受けた三人は騒ぐのをやめて白い蛇の動向を見守る。
「白蛇様……私は……どうすれば?」
「……願うことをやめなさい……」
「……そんなの出来るはずないじゃない! この願いは……やめられないよっ!」
「聖……ごめんなさい……私がもう少しうまく導ければ……」
聖が押し殺したような声で白蛇に反論する。白蛇は灰色の猫の方に向き直り問いかける。
「……猫、貴方の力を使えば……私たちを封印できないかしら? 始祖様と同じ力を持つ貴方なら」
白蛇の言葉に灰色の猫は驚くこともなく、しばらく考えた後に返答をする。
「……出来なくはないが、今封印をすると、この子らに街の全部の呪いが集中するニャ」
「……始祖様の封印にも困ったものだな……」
白蛇と灰色の猫は遠くの空を見て、この町の外にある、彼らだけしか見えない何かを見ていた。
紡希と剛士は手持ちの呪符や、呪印が書かれた拳で近づいてくる黒い触手などを撃退していく。
珠稀は聖と伸太郎に近づいてくる黒い触手などを呪印付きの短刀で切り裂いていた。
家族の勇ましい姿に伸太朗は少しだけ驚くが、当たり前のように退治する姿を見て強く疑問を持たなかった。
灰色の猫は慌てることもなく伸太郎に話しかけてくる。
「お主様、願うニャ……すべてを忘れさせると……」
「……うん……わかった」
灰色の猫の言葉を聞き、聖は一瞬きょとんとした表情をするがすぐに伸太朗の服を引っ張って質問をする。
「え? 伸君、どういう事? 忘れさせるって……」
「……お主様、聖にお別れをするニャ」
「……お別れって?」
伸太郎は灰色の猫の言っている意味を理解していたが、聖はいまいち物事が頭の中でつながっていなかった。伸太郎は聖の様子を見て灰色の猫にお願いをする。
「少しだけ……少しだけ時間が欲しい……」
灰色の猫は、まだ迷って後ろ髪をひかれている伸太郎を見て少しだけ同情し時間を与えることにした。
「お主様、そこの階段の上がちょうど聖域になっているニャ。少しの時間だったらそこで話が出来るニャ……」
灰色の猫が何やら唱えると、部外者立ち入り禁止と書かれた中雀門の扉がゆっくりと開いていく。
「すまない……行こう……聖」
「……」
伸太郎は混乱する聖の手をひっぱって中雀門をくぐり、中央神殿と言われる社へ続く階段を上って行った。
◆◆◆
伸太郎に手を引かれて聖は中央神社の本殿の小さな社まで来ていた。ここは普段は部外者立ち入り禁止で、祭りの時しか入れない場所だったので人影がなかった。
「伸君……説明を……もしかして……願い事を……忘れさせるってこと?」
「そうだ」
「嫌だよ……絶対に嫌!」
伸太郎は聖が怒鳴ったことなど見たことが無かったので驚きを隠せなかった。が、時間が迫っていることを知っていたのでなるべく冷静に話そうとしていた。
「アシュレイが言うには、俺に関係することを全部忘れて……忘れれば……何も……なかったかの様に……また普通に……」
伸太朗が説明をしようとするが、最後の方は言葉が震えて涙交じりになってしまう。
「伸君……」
伸太郎は一息置くが、それでも目に涙がたまり声が震えてしまう。
「ごめん……俺は、俺は聖が……死んだりする方が嫌だ……」
「ごめんなさい……伸君、私が石に願ったから……伸君が傷ついて……伸君のその気持ちも。多分、石が、黒蛇が何とかしちゃったんだろうな……」
聖は伸太郎の思いに気が付き、少しだけ冷静になっていた。同時に罪悪感が彼女の肩にのしかかっていた。
「ごめんなさい、あなたの将来の夢を奪って……ごめんなさい……普通の生活まで奪って……」
「違う……」
「違わないよ……中学入ってから……仲良くなれたでしょ? あれも全部黒蛇が……」
「だったら違う、絶対に違う!」
「……」
伸太郎が聖を見つめる。
「聖が小学校の時転校してきて……普通に話せる女の子で……俺にやさしくしてくれて……頑張り屋で、明るくて……一緒にいると楽しくて……ずっと好きだった。……だけど、気持ちに気が付いた時、すごく恥ずかしくなって……避けちゃって……」
聖はすべてを理解して空笑いをする。当時の自分の感情が邪魔してその時の伸太郎の気持ちを理解できなかった事を知った。
「……あ……それで……私……バカだったな……悪い方向に勘違いしちゃってた」
聖の目から涙が流れ始め、泣くのをこらえられなくなる。
「……わたしたち……最初から両想いだったんだね……」
伸太郎は聖から目をそらさずに言う。聖も伸太郎を真剣なまなざしで見つめる。
「……ずっと、君のことが好きだった」
「過去形……なのね……私もずっとあなたのこと……」
ガガガ……バリバリバリ……ドーン!!!
空気を切り裂き雷がとどろくような音がする。二人は驚き上を見上げると、またしても黒い巨大な蛇が出現し、中央神殿の聖域を壊そうとしてた。
どこからともなく出現した灰色の猫が二人の間に立っていた。
「お主様、もう良いかニャ……限界みたいニャ」
「……ああ、ありがとう。アシュレイ。願うよ。聖の俺に関する記憶を消してくれ……そしてみんなが普通の生活を送れるようにしてくれ……」
「……承知したニャ」
伸太郎から膨大な量の青い光の粒子が発せられて周囲を包み込む。その間にも巨大な黒い蛇が聖域を侵そうとする轟音が鳴り響く。それと共に巨大なこの世とも思えない大きな声が発せられる。
「聖、どこだ! そこにいるのだろう! 出てくるのだ!」
灰色の猫は轟音にひるむことなく冷静にこの世界でない言葉で呪文を紡ぐ。
『根源たる力よ、盟約と契約に基づき、邪を打ち払う大いなる光となり、この地を浄化せよ』
灰色の猫から魔法の光が発せられ、既に描かれていた巨大な空中を浮く魔法陣の方に流れていく。
膨大な魔力が注がれるのを見て最後を悟った聖が伸太郎に向き合い最後の言葉をかける。
「伸君……私、やっぱりあなたのことが好き……」
「俺も……君の事が好きだ……」
「私、絶対に、伸君を忘れても……思い出が無くなっても……伸君の事、また好きになるから!」
「……っ!」
伸太郎は思わず聖を手繰り寄せて抱きしめる。聖も応えるように伸太郎の体に手を回す。
『極聖光破邪園』
地面から今までにないほどの強さの光の柱が立ち上った後、公園、街全体を覆うように光が拡散され、光の粒子が広範囲に降り注いでいく。
◆◆◆
降り注ぐ光の粒子は中央公園全体をはるかに超える街の広範囲で降り注いでいた。
中央公園で黒い触手を退治していたものの目の前で、黒い触手や妖などがすべてが消えていき驚きと安堵に周りが包まれていく。何度も復活してくる相手だったので、武器を構えながらお互いに目を合わせ周囲の警戒をしたままだった。
「すごいな……」
「蛍が降ってくる感じですね……」
「あれだな、あれ、光の草原だっけ?」
「ナウシカですか?」
「ああ、それか、それだな」
警察や退魔師、地元勢力はすべてが終わったことを悟り、力なく座るもの、立ち尽くして幻想的な光景を眺める者、戦闘が終わったことを喜んでいたが、しばらくするとその場の幻想的な光景に圧倒されて動けなかった。
特殊対策課の二人も魔法の光に驚きながらもあたりが浄化されていくのを感じ取っていた。
丹地は降り注いでくる光の粒子に手を伸ばしうっとりとした目で眺める。
「先輩、なんかすごいですね、これ……きれい……とても」
「ああ、なんだか懐かしい感覚だ……」
「……先輩、もしかして……先輩も?」
「丹地……お前もか?」
丹地と榊は驚いた感じでお互いを見つめ合う。
本殿に近づけまいと戦っていた珠稀、紡希、剛士も浄化の光で周囲に邪な気配が無くなったのを見て肩の力が抜けていき、本殿の方向を見て成り行きを見守る。
「きれい……世界樹みたい……」
「そうね……」
紡希がその場で両手を広げ光の粒子を優しくつかもうとする。
「珠稀、これって……もしかして……あちらの世界のか……」
「そうね。おそらくそう」
「……神様が使わしてくれた猫かね……」
珠稀と剛士は周りを漂う光の粒子に懐かしさを感じていた。
◆◆◆
灰色の猫の魔法はまだ続いた。
『根源たる力よ、盟約と契約に基づき、この地に住まうものの聖と伸太郎の関係を覚えているものの記憶、この数日の魔法と妖に関する記憶を奪い此のものに封印せよ』
『広域記憶虚空魂魄封印』
灰色の猫の呪文が紡がれると、地面の巨大な魔法陣が赤く光る。
赤色の怪しい光があたり一帯、町全体を覆うかのように降り注ぐ。
伸太郎は抱きしめていた聖が赤い光に当たると、気を失い崩れ落ちていったが、強く抱きしめ倒れないようにする。
「これでこの街でお主様と聖に関りがあったことを、黒い蛇の事を覚えているものはいないニャ」
「……ちょっと待ってよ。俺、全部覚えてるんだけど……聖との事も、蛇のことも……」
赤い色の怪しい光が上空に集まり、巨大な光の玉となった後、伸太郎の体へと吸い込まれていく。伸太朗は赤い魔法の光が体の中に入っていくのに驚きを隠せなかった。
「これは……一体?」
「御主様の身体にこの数日の街の人間の記憶、聖との記憶を封印させてもらったニャ」
伸太郎は自分の体に変化が無いか見るが、腕の中にいる気を失った聖の方が気がかりで確かめる事も出来なかった。
「記憶を消したわけじゃないのか?」
「記憶を消すと心を壊してしまう可能性が高いニャ……色々考えた結果ニャ」
「心を守るため……ってことは封印を解いたらみんな記憶が戻るのか?」
「記憶の封印はお主様の魂に紐づけておいたニャ。お主様が死ぬ時に戻ると思うニャ……」
「……そんな……」
「誰よりも長生きすることをお勧めするニャ」
あまりの事についていけない伸太郎を置いて灰色の猫は次の魔法を唱える準備をする。
「さて、仕上げだニャ」
『根源たる力よ、盟約と契約に基づき、夢魔の精霊の力を行使し、この地の民を夢のいざなう地に安全に家へと運び給え』
『夢見帰路』
灰色の猫の魔法が発動すると、伸太朗の腕の中にいた聖が目を閉じたままゆっくりと動き出し、階段を降りようと移動していく。階段の下にいた家族や剛士もゆらゆらと動きながら公園の外に向かって歩き出す。
伸太朗は不思議な光景に唖然としながらも灰色の猫に抗議する。
「ちょっとまってくれ、寝ながら歩いたら自動車が……交通事故に……」
「大丈夫ニャ。起きている状態と同じように判断をして、同じようにご飯を食べて眠るだけニャ」
「夢遊病みたいだな……アシュレイが大丈夫って言うなら……大丈夫なのか……」
伸太朗は冷静になってきて、自分の目の周りの涙と鼻水を服の袖で拭く。ふと伸太朗は足元に転がっていた白と黒の石に気が付き拾い上げる。白と黒の石からはミニチュアの様な白い蛇と黒い蛇がこんがらがって巻き付いているように見えた。
「アシュレイ、これはどうするんだ?」
「ちょっと待つニャ……」
灰色の猫が魔法を紡ぐと、白と黒の石に何かの力が働き、白と黒の蛇が石に吸い込まれて、魔力の気配を感じられなくなる。
「あとは社里家に行って封印のし直しをするだけニャ……帰りがけにちょっと寄っていくニャ」
「わかった……聖が帰っているのも見届けたいしな……」
「……私がなんとかするからお主様は家族の事でも心配するニャ」
「……わかった……」
「ついてきてはダメニャ?」
「わかってるって……」
残念がる伸太朗だったが渋々と言うことを聞いていた。たまに空を見たり、周りを見たり、階段を降りていく聖を見たりして落ち着かないようだった。彼なりに思いを整理しているようだった。
灰色の猫は首のペンダントを開き、ペンダントにたまった青い光の量を確認する。
「これだけ使っても思った以上に残ったニャ……御主様の使い切らなった願いの力は有効活用させてもらうニャ」
「……有効活用?」
「なんでも、この世界にはスマホに写し絵……シャシンやらドーガやら、思い出以外にも色々と残っているらしいニャ。聖を知る人物に情報の消去の暗示の魔法をかけてから帰るニャ」
伸太朗は心の底で、聖が昔の写真を見たりして伸太朗との事を思い出してくれないかなど思っていたが、その試みも潰されることを知り愕然としてしまう。
「……そこまで……」
「「あふたーけあ」もバッチリだニャ」
伸太郎は灰色の猫の用意周到さに驚きと残酷さ、そして本当に記憶を全部消される悲しさを感じ始めていた。
(俺、この猫が悪魔に思えてきたよ……)
あたりは夜も更け始め、いつもよりも騒音がせずに、ゆっくりと静寂に包まれていった……
※ 次話でこのエピソードは終わりとなります。
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