19 魔王令嬢の悪役令嬢講義②

「とにかく隣国に逃げるなんて、もってのほか。現実を見なさい。ナーシャアナスタシア。隣国に逃げても良くて、商家の妾がいいところよ? そんな未来にしたいのかしら?」

「はぁ。妾ですか。現実……やっぱり、楽に稼いだ方がいいんじゃ?」

「それも却下。もっと悪役令嬢に相応しい手を使わないと許されないわ」

「そういうものなんですか? 競馬で稼いでいるのも十分になんじゃ、ありません?」

「例え、アレだったとしてもマニュアル的に美しくない! よろしくって?」

「え、ええ。姉様」


 釈然としないアナスタシアを他所にスヴェトラーナは腕を組むと瞼を閉じ、ゆっくりと思案する。

 その時、何かを閃いたらしいアナスタシアが素っ頓狂な声を上げた。


「あっひゃぁ! 姉様! 前世が『魔王』なら、こうちゅどーんとか、どっかーんみたいなのないんです?」

「ナーシャ……貴女のボキャブラリーはどうなっているの?」

「どうもこうも普通ですけどぉ?」


 口を尖らせ、どこか不満気なアナスタシアはどうやら、本気で自覚していないようだった。

 この妹は自分が目を光らせておかねば、どう転ぶか分からないと金貨を手に目を輝かせているアナスタシアに憐みの視線を投げかけるが、当然のように彼女は気付いた素振りを見せない。


「しかし、貴女の言い分は一理あるわね。『魔王』としての力を使うのも悪くないわ」

「どっかーんをしちゃうんですか?」

「ナーシャ。どうして、貴女はそのどっかーんで嬉しそうな顔をしているのかしら?」

「えー? そんなことないですけどー?」


 あざとく、媚びる演技に関しては女優クラスのアナスタシアだが、姉の前ではうまくいかないらしい。

 吹けない口笛を吹く仕草をしながら、目を逸らす実に分かりやすい妹の姿にスヴェトラーナは苦笑しつつも愛らしいと考えている。

 馬鹿な子ほど可愛いとはこのことかと一瞬、ぎるものの軽く、かぶりを振りそれを否定した。

 アナスタシアほど、食えない人間はいまいとも考えているからだ。


「まぁ、いいわ。来なさい、ロンゴミアント」


 スヴェトラーナの呼びかけに応じ、宙に大人の頭の大きさほどの黒いシミのようなものが出現する。

 そのシミから、ゆっくりと姿を見せるのは鋭く、尖った先端部分である。

 徐々に明らかになるのは異様とも思わせる奇妙な外観だった。

 一般的には馬上槍――ランスと呼ばれる長柄武器に似ている形状をしている。

 持ち手の部分には拳を守るようなガードが設けられており、異様さに花を添えていた。


 ロンゴミアント。

 かつて英雄と呼ばれた男が最期に手にしていた名高き槍である。

 スヴェトラーナの手に自らの意思で動いているかの如く、すっぽりと収まった。

 彼女はそれを二度、三度と軽く振ると首を軽く、縦に振った。


「な、な、なんですか、それ?!」

「わたくしの槍だけど?」

「そんなのあたしでも見たら、分かりますって! そうじゃなくて、そんな危ないのやめてください」

「何が危ないって?」


 アナスタシアの言葉が理解出来ていないと言わんばかりにスヴェトラーナは手にしたロンゴミアントの穂先をアナスタシアの方に向ける。

 「ひっ」と小さな叫び声を上げ、慄くアナスタシアに向け、スヴェトラーナは軽く、溜息を吐いた。


「貴女がどっかーんを見たいと言ったのでしょう?」

「えー!? それ、槍ですよね、槍がどっかーんって……」


 アナスタシアは小首を傾げ、不思議そうに目を丸くしている。

 そんな彼女の様子に半ば呆れつつもスヴェトラーナは言葉を続けた。


「わたくし、どちらかと言えば、頭脳担当の『魔王』だったから、荒事は苦手だったのよ」


 やや芝居がかった大袈裟な溜息を吐き、窓の外へとわざとらしく視線を向けるスヴェトラーナだが、アナスタシアはやや冷めた目で見ている。

 アナスタシアはどの口がそのようなことを吐いているのかと思った。

 スヴェトラーナが前世の話に言及した際、決して理論派にも思えず、頭脳担当とも言えない力こそパワーと言い兼ねない大雑把な解決法をしてきたと聞かされていたからだ。


「じ、じゃあ、その槍は……」

「ロンゴミアントにはないわ。この穂先で刺されるとね……」

「刺されると……?」

「原子レベルに分解されてしまうのだから!」

「姉様! そんな物騒な物はさっさと仕舞ってください!!」

「えぇ? 貴女が見たいと言ったんじゃない?」

「危ないです。危険が危ないです。すぐに仕舞って」

「全く……困ったものね」


 ぶつくさと言いながらも結局は妹に弱いスヴェトラーナである。

 再び、出現した黒いシミにロンゴミアントを随分と無造作なやり方で戻した。

 姉の無頓着にも程がある動きにアナスタシアがハラハラしていたのは言うまでもない。

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