11 魔王令嬢は泰然自若

 退院までの秒読みが開始されたも同然だが、スヴェトラーナの表情は芳しくない。

 ここのところ、何かから退避するかのように病室での寝泊まりが増えたアナスタシアの顔も同じく、冴えない。


「由々しき事態ですわよ、ナーシャアナスタシア

「そうですわね、ツェツァスヴェトラーナ姉様」


 言葉遣いを悪役令嬢のマニュアルに則り、修正したスヴェトラーナだが普段、ここまでのお嬢様言葉は使わない。

 アナスタシアに至っては普段の言葉遣いをわざと崩しているほどだ。

 その方が親しみやすい公女プリンセスとして、相手の心の壁を取り払ってくれると彼女は信じて疑っていないようだった。


 スヴェトラーナはそう考えない。

 前世で『魔王』フォルカスとして生きていた頃、真逆の生き方をしていた。

 他者に理解される必要性を感じず、己が信じるがままの道を歩んだ。

 その結果、待っていたのが我が身の破滅であり、死だったとしても悔いはなかった。


 だが、スヴェトラーナはアナスタシアに己の考えを押し付けるつもりは毛頭ない。


「そこで君達に提案があるのだが……公女プリンセス


 自己主張代わりにこほんと軽く咳払いをしたのは、まるで演劇のようでいささか演技じみた二人の公女の様子を苦虫を嚙み潰したような顔で見ていた医師ルスランである。


「まぁ、何でしょう?」


 実にわざとらしい。

 あざといにもほどがある見え見えの反応を見せるスヴェトラーナだが、それでも絵になってしまう。

 抑え込まれていたポテンシャルをフォルカスの知識と経験が全て、解き放ったのだから至極道理である。


「実は私の大伯母が下宿を営んでいてね。丁度、下宿人が退去したばかりなんだが……」


 ルスランの大伯母はメドヴェージェフ夫人と呼ばれている。

 名はリュドミラ。

 甥孫にあたるルスランは三十二歳である。

 かなりの高齢なのは間違いないがはっきりとした年齢は分かっていない。

 少なくとも百歳近いことは確かだった。


 夫人と呼ばれてはいるが、行かず後家である。

 少女時代に婚約者と死別して以来、独身を通していた。

 メドヴェージェフとは現地の言葉で熊を意味する。

 リュドミラはうら若き乙女だった時代、片手で熊を倒したと虚実混ぜこぜの伝説を打ち立てていた。

 そこから名付けられたに過ぎない尊称に近いものだったのだ。


「だ、大丈夫でしょうか、お姉様」


 ルスランから、大伯母の数々の伝説を聞いたアナスタシアはすっかり血の気を失った顔で動揺が見てとれる。

 一方、スヴェトラーナは泰然自若とした姿勢を崩さず、涼しい顔をしている。

 熊を余裕で倒せないとは人間とは難儀な生き物だと思ってさえいた。

 今、自分が肉体的にはかなり脆弱な部類に入る少女の体であることを失念しているらしい。


「是非、その下宿をお願いしたいのですけど……ルスラン先生、一つ相談が」


 アナスタシアは姉が何かしらの反論をすると期待していたのだろう。

 まさか無抵抗で受け入れるとは思っていなかったのか、淑女らしからぬ大口を開けたまま、固まっている。

 ルスランは見て見ぬ振りをして、話を続けようと心を落ち着かせようとした。


「お金をちょっとでいいですから、貸してくださる?」

「は?」


 ところがスヴェトラーナの思いも寄らぬ一言にルスランは面食らった。

 彼もまた、大口を開けたまま、固まるしかなかったのである。

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