12 熊夫人の下宿

 そして、迎えた退院の日。

 カリーナを始めに名残惜しそうな病院スタッフらと別れを告げ、スヴェトラーナとアナスタシアの姉妹が向かったのは熊夫人ことメドヴェージェフ夫人の下宿だった。

 医師ルスランの手配したタクシーの運転手だったからなのか?

 下宿が知れ渡っているほどに有名なのか?

 全く迷うことなく、目的地に到着した。

 あまりにもすんなりと事が運ぶのでスヴェトラーナがいささか、訝しんだほどである。


「中々にいい物件のようね」

「そ、そうですね、姉様」


 下宿とはいえ、集合住宅形式ではなく、二階建ての一軒家だった。

 こじんまりとまとまった可愛らしい

 言い方を悪くすれば、マッチ箱のような家と呼ばれかねない質素な住宅だ。

 歴史を感じさせると言えば、聞こえはいいが老朽化していると言った方が正しいだろう。


「それでもあのよりはましでしょう」

「アレと比べたら、何でもましに見えますって」

「そうわよ」

「そうわね」


 奇妙な意思疎通である。

 だが、それだけで姉妹が分かり合えるのも無理はなかった。

 二人が押し込められていたのは別宮と呼ばれる粗雑な住まいだった。


 宮とは名ばかり。

 そう呼ばれているだけで実体は納屋程度の粗末な小屋に過ぎず、使用人が与えられる部屋より遥かに酷い。

 ヴェロニカ公王が崩御して以来、スヴェトラーナはそのような場所で過ごしてきた。

 アナスタシアも物心がつくまでは情けをかけられていたが、それ以降は別宮での暮らしを余儀なくされていた。

 そんな二人からしたら、マッチ箱のような家でも素敵なお家にしか見えないのだ。


「ふむ。これで当分の住まいは問題がなさそうね」

「ええ。当分は……ですけど」


 住居の確保だけではなく、下宿では食事も提供される。

 むしろ下宿人に求める条件が共に食事を摂ることだったのだ。

 衣食住のうち、二つを解決出来たのにも関わらず、アナスタシアの表情はあまり明るいものとは言えなかった。


 それも仕方のないことだった。

 ルスラン医師は多少の金子を無利子で貸してくれた。

 決して多くはないが少なくもない金額だった。

 下宿費用の二ヶ月分ほどに相当するものだ。

 しかし、二ヶ月間しか猶予が無いとも言えるものだった。


ナーシャアナスタシア。問題ないわ。とりあえず、行くわよ」

「ま、待ってください、姉様ぁ!」


 スヴェトラーナには何か、算段があるのか、全く焦った様子がない。

 落ち着き払った彼女の様子にはどこか余裕すら感じられる。


 ルスランから聞いた話では相当の女傑としか思えない逸話の持ち主である噂の熊夫人。

 スヴェトラーナは噂のメドヴェージェフ夫人の顔をついに拝む日が来たかと浮かれているようにすら見え。

 そんな彼女に置いて行かれまいとアナスタシアは焦るのだった。

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