10 魔王再始動

ツェツァスヴェトラーナ姉様。どうして、髪切っちゃったんですか?」

「また、それ? 動きにくい。邪魔。合理的ではない。以上。よろしくって?」

「で、でも、お姉様のきれいな髪が勿体ないと思わないんですか。ねぇ!」


 スヴェトラーナの退院までのスケジュールが決まった。

 リハビリの経過も順調だった。

 入院する前よりも栄養状態がまともになったのが大きい。

 公女という尊き身にある彼女がどれだけ劣悪な環境に置かれていたのかが見て取れる。

 しかし、同じ状態にある妹のアナスタシアは普通に過ごしている。

 スヴェトラーナが如何に世渡り下手なのかを暗に示していたとも言えよう。


 変わった点は彼女の健康面だけではなく、内面の変化も影響している。

 まず、言葉遣いに変化が見られた。

 アナスタシアが手を回し、入手したに従い、より『悪役令嬢』にふさわしいキャラづくりを徹底した。

 言葉遣い、態度、作法全てを変えるのは生半可な努力では叶わない。


ナーシャアナスタシア。わたくしに必要なものは何だと思う?」

「長い髪?」

「そのようなものはわたくしに不要。気品、美貌……そして、パワー」

「パ、パワー?」


 スヴェトラーナが前世の『魔王』だった時、槍を手にした年老いた騎士として、ひさすらにストイックで近寄りがたい雰囲気を徹底していた。

 だが、それはあくまでマニュアルに従ったキャラクターづくりの一環に過ぎなかった。

 『魔王』フォルカスの本分は脳内に構築された無限なる図書館インフィニトゥム・ビブリテオカの蔵書にある。

 無限なる図書館インフィニトゥム・ビブリテオカは『魔王』と呼ばれる存在にまで昇華した者であれば、ほぼ誰であろうと使うことが出来る権能の一つだ。

 古の昔より記録されてきたアカシックレコードへのアクセスを可能とする実に便利な能力だが、個人の資質の違いによりアクセス権が制限されている。

 フォルカスに許されているのはさながら図書室から小さな図書館といったところだった。


 スヴェトラーナは所蔵されているを読み取ると寸分違わず、忠実に再現した。

 それこそが彼女が『魔王』たる所以だった。


 礼儀作法の読本から、それらを学び取っている以上、スヴェトラーナに足りないものはない。

 長い髪で悲しみに暮れるお姫様を演じる必要がなくなった以上、彼女には必要が無いものと判断された。

 カリーナに鋏を借り受け、ばっさりと肩にようやくかかる程度で濡れ羽色の髪を短く、カットした。

 短くなった髪を見たアナスタシアが卒倒するちょっとしたトラブルこそ、あったものの病院内での評判は悪くなかった。


「パワーって、それです?」

「そう。これ」


 そして、もう一つ。

 スヴェトラーナは胸部を強く押さえつけていたさらしを身に付けるのをやめた。

 記憶が融合される際、なぜ彼女がそうしていたのかを知り、『魔王』は思うところがあった。

 全ては妹の為だった。


 劣悪な栄養状態であるにも関わらず、姉は女性らしい肉感的な体つきをしている。

 妹は栄養が行き届いているにも関わらず、未だ少年のような体つきをしている。

 ゆえにスヴェトラーナは妹が気に病まないようにと敢えて、体形を隠していたのだ。


 スヴェトラーナはそれを止めることにした。

 双方にとって、何ら有益とは思えなかったからだ。

 敢えて強調せずとも自己主張の強い双丘は武器である。

 『魔王』としての記憶を取り戻したスヴェトラーナが得た結論だった。


「ナーシャ。わたくしとあなたに味方は少ない。分かるわね?」

「それは分かりますけどぉ……」


 自己主張の強すぎるスヴェトラーナの双丘は彼女が軽く、体を動かしただけでもたわわに揺れており、それを見て羨まし気どころか、恨めしそうに見つめる睨むアナスタシアの視線は限りなく、鋭い。


「わたくしは持てるもの、己の体も武器にして、戦わないといけないわ。分かる?」

「わ、分かるぅ?」


 アナスタシアは姉を出汁にして、あざとく生きてきた。

 頭の回転は決して、鈍くない。

 姉の揺らがぬ瞳の強さを見て、その決意の強さに気付いた。


「それにあなたはわたくしの妹。成長期が来れば、あなたもこうなるわ」

「そ、そうなの? 本当?」

「わたくしを信じなさい。わたくしが嘘を言ったことある?」

「な、ないです」


 半信半疑だったアナスタシアもあまりに自信に溢れたスヴェトラーナの姿を見ていると「もしかしたら、本当にそうなのかも……」と考え始めていた。

 スヴェトラーナの作戦勝ちである。

 親子や兄弟、姉妹で必ずしも体型まで似るとは限らない。

 無限なる図書館インフィニトゥム・ビブリテオカに所蔵された過去の記録で認知しているにも関わらず、敢えてそれを隠すことにした。

 人間とは希望を持っていればこそ、果敢に生きられる生き物だと過去の経験で学んでいたからだ。

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