4 第二公女アナスタシア②カサンドラの呪い
カサンドラはギリシャ神話に登場するトロイの王女の名である。
美しく、聡明だったカサンドラに目を付けた太陽神アポロンが彼女に愛を囁いた。
アポロンはオリンポスの神々の中でも美男子として、有名だった。
彼の寵愛を受けることは一族の繁栄にもつながる名誉と言ってもいい。
アポロンは己の愛を受け入れれば、その代わりに『予言する力』を授けようと囁く。
太陽の神として知られるアポロンだが、信託を下す予言の神の一面があるからだ。
しかし、カサンドラは美しいだけでなく、賢く慎重な女性だった。
まず、信じる為にお力をお見せくださいと申し出た。
神は約束を違えないし、そうしたところでどうとも変わらないと考えたのだろう。
約束通り、アポロンはカサンドラに予言の力を授けた。
その刹那、カサンドラの脳裏を過ぎったのは果たして、アポロンに飽きられ、捨てられた惨めな姿の自分である。
このままでは不幸になるだけと悟ったカサンドラはアポロンに身を委ねることなく、逃げ出した。
カサンドラが己に身を委ねることを妄想していたアポロンからすれば、踏んだり蹴ったりの結果である。
だが、ギリシャの神々はそこで終わらない。
己の愛を裏切ったカサンドラをアポロンは決して、許さなかった。
カサンドラの予言は必ず、当たる。
しかし、それを信じる者は誰もいない。
そうなるように呪いをかけたのである。
カサンドラは祖国が滅ぶ様を予言しながら、誰もその忠告を受け入れる者がいなかった。
やがてカサンドラが見た未来は己が惨たらしく、殺される最期だった……。
これこそが『カサンドラの呪い』である。
アナスタシアに現在、発現している力はあまり、強いものではない。
たかだか十分ほど先に起こる未来を予知する程度だった。
それでもようやく十分間の猶予が与えられたと言うべきなのかもしれない。
初めはせいぜいが一分先の未来を予知するものだったから、それが予知かどうかも気付かなかったほどである。
歌姫のライブを何度も見ているうちにその能力が、徐々に花開きつつあったのだ。
そんな時に見たのがスヴェトラーナに起きる悲劇だった。
彼女が何者かに池に落とされ、もがき苦しむ様子をはっきりと見た。
誰が落としたのかは分からないし、件の呪いが影響している誰かに話したところで信じてもらえないのは明らかだった。
それだけではない。
厄介者扱いされている公女の身に危険が迫っているからといって、動いてくれる者はいない。
アナスタシアの動きが遅きに失した理由だった。
全てが後手後手に回っていた。
「お姉様……」
アナスタシアの視線の先には未だに夢の世界から覚めず、眠り続ける姉の姿があった。
かれこれ一ヶ月が経過したが意識が戻る気配は全く、見られない。
主治医であるルスランの見立てによれば、スヴェトラーナの肉体に既に異常は見られない。
心配された心肺停止による脳へのダメージも奇跡的に見られなかった。
だが、スヴェトラーナは目覚めない。
「そうよ。アレだわ。アレがいいわ」
アナスタシアはどうやら何か、いいアイデアを思いついたらしい。
それまでの思いつめた暗い表情もどこへやら、一転した晴れやかな顔でそそくさと病室を出て行った。
スヴェトラーナの病室にネットワークへの接続が可能な携帯型小型テレビが置かれるようになったのは翌日からのことである。
そのテレビに映し出されているのはSNSで話題になっている歌姫のライブだった。
心にまで響き渡るようなきれいな歌声を聞いたスヴェトラーナの指が微かに動いた。
彼女が意識を失ってから、一ヶ月半の時が経過していた。
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