第32話 寄る辺

 庭を散策するランシャルの頬を風がなでる。ほんの少し冷たい風は数日前までいたランシャルの村の風とは違っていた。


(北は冷えるって本当なんだな)


 ぼんやりとそんなことを思いながら庭を眺めていた。

 今朝、シリウスたちが位置の再確認をしているときに、ランシャルは地図を覗き込み見方を教えてもらっていた。


 地図を見る限り、ランシャルの住んでいた村とそれほど離れているようには見えなかった。それなのに、と少しの不思議さを思う。


 村から見ると王都は真西。ここはその直線上より北側にあった。


(昨日はぜんぜん寒いとか思わなかったのに)


 魔女の輪に飛ばされたウルブの森。あの森からしてランシャルの住んでいた場所よりも北側だと知った。


(走り回ってたから寒くなかったのかな)


 今日は馬の背にゆられて楽をしている。動き回った昨日に比べれば寒さを感じてもおかしくはないのかもしれないと思えた。


「寒いのか?」


 腕組みをしながら歩くランシャルへコンラッドが声をかけた。


「うん、ちょっとだけね」

「まだ熱あるのか?」

「ううん、だいぶ楽になってきたから熱は下がったと思うよ」


 そう言ってランシャルは笑って見せた。

 実際、薬を飲んでから熱っぽさを感じなくなって体も楽になってきている。


「顔はどう? 赤み引いてる?」


 軟膏を塗ってテカテカしているとコンラッドに笑われた顔。入り口に立っていた兵士たちの表情からはうかがい知れなかった。


「薄いピンク色・・・・・・かな。そんなに目立たないよ」


 そう言いながらコンラッドが笑うから、少し顔をうつむかせて歩く。


「かゆいか?」

「ぜんぜん。ただヌルヌルしてるのが嫌な感じ」


 軟膏のべたべたとヌルつくのが気になっていた。


「それ、水じゃ落ちそうにないな」

「うん」

「昨日の川の水、冷たかったな」

「うん。温かいお風呂に入りたいね」


 こそこそと話してふたりで笑い合う。そこへ声が聞こえてきた。


「おお、見事な花壇だ」


 先に建物の角を曲がったルークスの声にふたりはかけよった。


「うわぁ・・・・・・本当だ」

「凄いね」


 広い庭の見渡す限りに花が植えられている。

 色とりどりの花ばなが咲き誇る庭は楽園のような美しさだった。堅牢な館に似つかわしくない華やかさだ。


「見たことのない花がたくさんあるね」

「ああ、凄いな」

「これも見たことがない」

「ラン! あれもだ!」


 ランシャルとコンラッドは次々と花に顔を寄せて花の香りを楽しげに嗅いでいた。


「母ちゃんに見せたいなぁ」


 無邪気なコンラッドにランシャルは小さな声で「うん」と言った。


「ランの母ちゃんが・・・・・・」


 言って振り返ったコンラッドの顔から笑顔が消えた。


「・・・・・・ごめん」

「いいよ・・・・・・。なに? 聞かせて?」


 ランシャルが促してコンラッドは少し迷ったものの話を続ける。


「家の中に花飾るの好きだったろ?」

「うん」

「うちの母ちゃん、真似してたんだ」


 コンラッドの家にあるときから花が飾られるようになっていた。

 欠けたコップを花瓶代わりに生けられた花を、コンラッドの母が楽しそうに見ていたことが思い出される。



『花なんてそこら辺に咲いてるから、家に飾るなんて思ったこともなかったよ。でも、なんだか良いねぇ』



 ランシャルの母が生けるのとは違い、ざっくりと入れられた花は気さくな彼女らしい感じがした。


「花を飾るようになってから母ちゃんの雷が少し減ったんだぜ」


 コンラッドはそう言って笑った。


「叱られそうな日は花を摘んで帰ってさ。母ちゃんありがとうって言って、花束を渡したらゲンコツひとつで許してもらえた」


 いひひっと笑うコンラッドにランシャルも笑う。


「ランの家に行くと行儀が良くなるから、悪さするくらいなら遊びに行けって言われてさ」


 いたずらっ子の顔で笑うコンラッドをランシャルが小突いた。


「僕と遊びたいんじゃなくて、それで来てたの?」


 ふーんと鼻を鳴らすランシャルにコンラッドが笑う。


「それだけじゃないよ。ランの母ちゃんの手料理旨かったからな」

「えぇ~、やっぱり僕じゃないじゃん」


 頬を膨らませてランシャルが怒ったふりをするとコンラッドはまた笑った。


「ランは村のやつとも町のとも違ってて変だし、少し不思議で面白いから一緒にいるんだよ」


 ランシャルが眉を寄せる。


「どれも納得いかないなぁ」


 不服そうに苦笑いするランシャルの肩をコンラッドは軽く叩いた。


「昨日みたいな変な1日はランとじゃなきゃ体験できなかったと思うぞ」

「・・・・・・そっか。確かに、そうかも」


 ふたりしてまた笑う。

 風にゆれる花が一緒に笑っているようだった。


「あぁ、なんだか懐かしいなぁ」


 ランシャルのそばに立つダリルの声に、彼の見つめる先へと目を転じる。そこにはランシャルが見たことのない花が咲いていた。


「その花を知ってるんですか?」

「はい。知らない花も沢山ありますが、この花は知っています。王都とその周辺で咲く花です」


 ほころんだ笑顔のダリルにランシャルも笑顔を向けた。


「ほんの数ヵ月離れてるだけなのに、見知った花があるだけでなんだかほっとするものですね」


(王都か・・・・・・)


 母の顔がふいに浮かんだ。

 花が好きだった母。彼女の言葉をふと思い出して尋ねる。


「ダリルさん。ランシアの花って知ってますか?」

「ええ、王都から南にかけて自生している花です」

「ここにありますか?」

「えっと・・・・・・」


 しばらく見回していたダリルは首を振った。


「なさそうですが、季節のせいもあるかもしれません。もっと暑い頃に咲く花ですから」


 残念そうな彼に笑顔を返してランシャルは花壇を見渡す。


「そうですか」


 高く低く造られた花壇に沢山の花が咲いていた。色とりどりに形も大きさも違う花が競うように咲いている。


(ここには咲いてないのか)


 花が好きな母の淋しげな瞳をランシャルは覚えている。




『ねぇ、お母さんはどのお花が好き?』


 花を飾る母に何気なくそう聞いたことがあった。


『みんな好きよ』

『一番好きなのは?』

『・・・・・・ランシアの花かなぁ。深い青色の花なの』

『僕、取ってきてあげる』


 母は笑ってランシャルの頭をなでた。


『ありがとう。・・・・・・でも、ここでは咲かない花なの。遠い遠い王都にいかないと見れないわ』


 困ったような笑顔だった。


『ランシアかぁ・・・・・・懐かしいな』

『僕のお迎え、早く来るといいね』


 そう言ったランシャルを母は優しく抱きしめてくれた。


『王都か・・・・・・。本当に遠いところよ。いつ来るんだろうねぇ』


 母の瞳はずっと遠くを見ているようだった。

 その瞳の奥が心なしか淋しそうだと感じたことをランシャルは覚えている。


(王都に行ったら・・・・・・あの花を見られるのかな)


 母が好きだと言った花を見てみたい、とランシャルはそう思った。

 淋しげに懐かしいと言ったその花を。

 見られないまま逝ってしまった母の代わりに。


「花を見るために王都へ行く・・・・・・でも、いいのかな」


 ぽつりと言ったランシャルにコンラッドが振り返る。


「なんでもない」




 王になるのは怖い。

 王都へは行きたくなかった。


(・・・・・・だけど)


 花が見たい。

 たったそれだけを寄る辺に進んでみるのもいい。そんな気がした。



 晴れやかに鳴く小鳥の声を聞きながらランシャルはそう思っていた。




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