第31話 書斎にて

 紋章の絵柄はこうだ。

 誓いを立てるように剣を胸に当てた人物を2頭のドラゴンが守るような形。外敵を威嚇するように2頭のドラゴンは外を向いて爪を立て、両手を胸の前に置いている。


 その紋章は王印を何代にも渡り受け継いだ王族のものだった。


(ハイライティア家)


 ハグルド家の紋章が壁の高い位置からシリウスを見下ろしていた。

 遥か昔にハグルド家は王族から離れた。この紋章はハイライティア家のものと似ていた。

 シリウスの前に置かれた本の見開きに描かれた紋章に、ある人物の顔が重なる。

 都から遠く離れたこの場所へ、腹を探りにわざわざやって来る者などそうそういない。腹を探るとすれば。


(ギャレッド様・・・・・・か)


 他者の心を読み、他者の心に語りかける力の持ち主。彼はその筆頭。


「どうぞ、お掛けになってください」


 そう言った領主ハウンディー・ハグルドは、本を閉じると元の場所へと戻し椅子にかけた。


「ハグルド様。快く招き入れてくださり、感謝します」

「いえいえ、子供連れの旅は大変でしょう」

「そうですね。体調が気にかかりそろそろゆっくり休ませてあげたかったんです。ハグルド様はお優しいと町の人から聞きましたので、少し期待して足を向けてしまいました」


 ハグルドは謙遜するように軽く手を振って微笑む。


「期待に答えられて嬉しく思いますよ、シリウス様。どうぞハウンディーと呼んでください」

「様だなんて、シリウスと呼んでください」


 互いに微笑みあってわずかに間が空く。


「・・・・・・大切な方が無事でよかった」


 おもむろに言ったのはハグルドだった。彼の目が先ほどの本の背表紙へ向けられる。


「私はあの方に命ぜられ、断ることができず私兵を送りました」


 ハグルドの洩らすかすかなため息が聞こえる。


「命ぜられたのはいつ頃ですか?」

「半月ほど前。あの方も私兵を送ったのでしょうが、時間がかかり焦れたようです」


 ランシャルを襲った者たちはギャレッド直属の私兵ではなかった。


「ギャレッド様の私兵は見ませんでした。貴方のものも」


 私兵には紋章を付けることが義務付けられている。

 ハグルド家も紋章を持つ家系だ。見ればシリウスなら気づく。シリウスは全ての紋章を記憶していた。だから、道すがら見かけた兵や類似した者たちにハグルド家の紋章を付けたものがいなかったことは確実だった。


「それはよかった。なるべく遠回りするように言っておいて、よかった」


 安堵するハグルドの瞳がやわらぐ。


「せっつかれているんですか?」

「いえ、昔より気力が弱っていらっしゃるのか、あれから確認の声を2度聞いただけです。昔なら日に1度は声を聞いたものですが」


 ハグルドは苦笑いのような微笑みを作って目を伏せた。


「貴方の力があればあの方とも戦えるのでは?」


 シリウスの質問にハグルドは苦笑いした。


「金属を生み出し、武器を造形できても武術が伴うとは限りません」


 そう言ったハグルドは謙遜の笑みをこぼす。


「戦のあった頃と比べると私兵の数もだいぶ減らしました。私の祖父すら戦を経験していないのですから」


 ハグルドがそう言ったあと、しばしの沈黙がうまれた。

 近隣の国との穏やかな国交が続いて久しい。兵力を維持するよりも領地へ力を注ぐ方が国のためになる、そう思ってのことだろう。


「王の味方になっていただけますか?」


 沈黙を押しやったのはシリウスだった。


「ええ、もちろん」


 シリウスの投げ掛けた直球の質問に間を置かず返事が返ってくる。


「・・・・・・それがもし、血族ではない者だとしても?」


 ハグルドが熟考したのはほんの数秒。


「正当な場所でドラゴンに選ばれた方ならば、私はお力添えいたします」


 落ち着いた物言いにシリウスは畳み掛けた。


「それが子供でも?」

「もちろんです」


 深いうなづきが返ってくる。


「汚れを嫌うドラゴンが選んだ方ならば間違いない」


 そう言ってハグルドは付け加えた。


「世の中の善し悪しに気づく年頃は、もっともドラゴンに近いのかもしれません。その心を生かすも殺すも人間しだい」


 彼の瞳が「そう思いませんか?」とシリウスに問いかける。シリウスは黙ったままうなづき返した。


 けがれを前に怒り狂う様は確かに似ているのだろう。シリウスも10代の頃は血気盛んに父へ問うたものだ。

 若者のまっすぐな思いは鋭利な刃物を思わせ、手加減なしにほとばしる怒りは猛り狂うドラゴンに似ている。


「より良い道へ進んでいけるように大人が手助けできればいいのですが・・・・・・大人の欲が絡むと腹立たしい思いにかられます」


 それは多くの善良な血族たちの思いだろう。


(いま王都にいる大人たちは欲まみれだ。大人ですら彼らの紡ぐ糸に絡め取られず進むのは難しい・・・・・・)


 シリウスの心の奥で苦々しい思いがざりっと音を立てた。


「王に挨拶しないことをお許しください」


 ハグルドは軽く頭を下げ、シリウスはゆっくりと首を横に振った。


「私はあえて言いませんでした。どちらが王かと聞かれてもお教えする気はありません」


 まっすぐなシリウスの瞳。伝えないことがハグルド家を守る手段のひとつだとその瞳が言っている。

 シリウスの答えを聞いて彼の表情を見て、ハグルドの表情にわずかに安堵の笑みが浮かんだ。


 ギャレッドは心で思う言葉と心に浮かぶ感情を読む。隠し事をする緊張感、嘘をつく気まずさや焦りは感づかれやすい。見えている部分ならば演技もできようが、自分の心に浮かんだ感情をきれいに消してしまうのは難しい。


 知っていればきっと気づかれてしまうだろう。


 いまならば王付き護衛が王らしき子供を連れていたことと、2人連れた子供のうちどちらかが王に違いないということだけ。


 あえて聞かず、あえて言わず。

 それを感づかれることは承知のこと。知ったうえで決め手になる情報だけは渡さないように濁して流す。


「シリウス様は、心の鍛練をなさっているのですか?」


 王都にいればギャレッドに出くわす可能性があり、王宮にいればその頻度は高い。そして、彼と会話を交わせば彼が心に入り込むことを許すようなものだ。


「いえ、あの方の力をはね除ける稀石を携帯しています」

「そうですか」

「貴方なら生み出せるのでは?」

「いまさら持っては、歯向かう意思表示になりかねませんから」


 ハグルドは残念そうにしながら諦めの笑いを洩らす。

 たとえ従順ではなくとも歯向かうことまではしない。態度でそう示すことで矛先を向けられないようにしてきたのだろう。


 立ち上がったハグルドが窓辺に立つ。必要なことは伝えたと、その背が言っている。


「同じ年頃の子が一緒でよかった」


 ぽつりと言ったハグルドの声から深い安堵が感じられた。


 ハグルドの背越しに窓の向こうを散策する人たちの姿が見える。ランシャルとコンラッド、そして騎士達とルゥイ。


(コンラッドを追い返さなかったのは正解だったか)


 シリウスがひとつため息をつく。

 ランシャルの心の拠り所になるならばと思ったのもひとつだが、もうひとつの思惑が功を奏したといったところだ。


(使いたくない手だが、場合によっては囮として使うこともあるだろう)


 この先のことを考えるとおのずと浮かぶことにシリウスの表情が陰った。


(危険な目には合わせたくない。だが、もう遅い・・・・・・か)


 無邪気なコンラッドの笑顔と、少し元気のないランシャル。ふたりの姿をシリウスは窓越しに見つめていた。





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