第27話 合流

(助けて! 誰か!!)


 上へと遠ざかる地面へ必死に伸ばした手。その指先が崖から伸びた草をかすめて落ちていく。


 もう駄目かと目をつぶったその時、誰かがランシャルの腕をつかんだ。落下していた体は掴まえる腕に引かれて弧を描き崖へとぶつかった。


(誰!?)


 見上げると見知った顔がそこにあった。


「・・・・・・シリウスさん!」


 ランシャルの左腕をシリウスがしっかり掴んでいた。


「間に合って良かった」


 大丈夫だと言うようにシリウスが微笑む。その表情を見てランシャルはほっと息をついた。


「いま引き上げます」


 見上げる視界の中にコンラッドの姿があった。

 コンラッドはランシャルより上にいた。垂れ下がる橋を伝って、もう崖を這い上がるところ。コンラッドの無事な姿にランシャルの口元がゆるむ。


 ランシャルは腰をさぐって短剣を鞘へ収め、空いた右手をシリウスの腕へと伸ばした。左腕をつかまえているシリウスの腕をつかむ。


(ん?)


 つかんだ手がぬるりとぬめる。


(あぁ、あの魔物のぬるぬる)


 気になった次の瞬間、ずるりと手が滑って、


「うわぁ!」

「くッ!」


 ずり落ちた。


「ランシャル様!」

「きゃあぁ!!」

「ラン!!」


 みんなが崖を覗き込む。

 シリウスの手は、辛うじてランシャルの手首を握りしめていた。片手でランシャルの全体重を受け止めている腕。その腕を血の筋が細く流れ下っていた。


「シリウスさん」


 歯を食いしばるシリウスの右腕。包帯の代わりに巻かれた布が赤く染まっていく。


(血が・・・・・・)


 昨日つけた傷。その傷口が開いてしまったのだろう。滑り落としてしまわないように、より強く手に力を込めて引き上げる。盛り上がる筋肉の起伏に沿って血が流れ、ランシャルの手を伝った。

 ランシャルは見ていられなくてうつむいた。

 すぐに引き上げられたランシャルは地べたに座り込んで顔を上げた。


「・・・・・・ありがとうございます」

「ご無事でなにより」


 そっと身を引いたシリウスに代わりロンダルが声をかける。渋く落ち着いた声に包まれてランシャルの体から力が抜けた。


「ラン、助かったな」

「ラッド」


 飛びついてきたコンラッドを抱きしめて互いの無事を喜び合う。ランシャルの目にコンラッドの肩の傷が見えていた。


(シリウスさんの怪我もラッドのも、僕のせいだ・・・・・・)


 助かった喜びと心の痛みで、鼻の奥がじんと痛くて目頭が熱くなる。


「ごめんね、ラッド。ごめん」

「ばか、なに謝ってんだよ」

「僕のせいで、僕のせいでこんな・・・・・・」


 コンラッドが少し手荒に背を叩く。


「助かって良かったな! あいつ追いかけてこないみたいだし」


 明るい涙声。

 対岸を見るコンラッドの視線に引かれて、さっきまで奮闘していた向こう側に目を向ける。妖魔の姿はなかった。空にもどこにも。


「騎士の姿を見て逃げていったみたいだな」


 笑うコンラッドを見て、そして、周りを見回す。騎士たちが周りを取り囲んで立っていた。


 シリウスとロンダル、ラウルにルークス、ダリル。そして、紅一点、魔法が使えるルゥイ。


「助けに来てくれて・・・・・・ありがとう」


 全員の表情がゆるんでダリルが言った。


「当たり前ですよ。我々は王付きの護衛ですから」

「むしろ、側にいられなかった事が心苦しいくらいです」


 ダリルに続いてルークスがそう言った。


「2人だけになってから大変だったんだ」


 泥だらけで上着が裂けたランシャルと肩を怪我しているコンラッド。そんなふたりの姿を見てラウルが「そのようですね」と頷く。


「ウルブに出くわしてさ」

「ウルブに?」


 堰を切ったようにしゃべり出すコンラッドにルークスが耳を傾ける。


「ふたりとも泥だらけで、この・・・・・・ぬるぬるしたのは何?」


 ランシャルの服に触れたルゥイの眉間にシワが浮かんだ。


「これは、えっと」


 言葉を選ぶランシャルの横からコンラッドが答える。


「でかいナメクジのヨダレだよ」

「な、なめくじ? よだれ?」

「そう、これくらいでさ・・・・・・」

「やめてよ!」


 大きさを手の幅で教えるコンラッドからルゥイが飛び退いて笑いが起こった。


「川で洗い流しましょう。そのままでは肌が溶けてしまいますよ」


 ロンダルに促されて歩きだす。その間もコンラッドの口は忙しかった。


「コンラッド、君は吟遊詩人が向いてそうだ」


 ルークスにそう言われてコンラッドもまんざらでもなさそうに笑っていた。




 ランシャルは和んだ空気の中で皆の顔を見ていた。


(この人たちがいなかったら・・・・・・。僕はもうずっと前に死んでた)


 昨日のことがずっと遠い昔のように感じられた。


 家で母の姿に驚き、男たちに殺されかけ、霊騎士が現れて白い騎士たちとであった。

 不思議な魔法で飛ばされて、ウルブに追われ魔物に襲われて。なんと目まぐるしい2日間だったことか。


 突然、王と呼ばれた。

 王である印をランシャルはいまだにその目で見てはいない。


「冷たいッ」


 コンラッドの叫ぶ声がする。


「我慢しろ」


 川の水を夜がさらに冷たくしている。


「すぐに火を起こすから」


 ラウルが駄々っ子をなだめるように言っている。


「ランシャル様。水、大丈夫ですか?」

「・・・・・・うん」


 ランシャルはざぶりと頭まで川に浸かった。

 昨日、大変なことに巻き込まれたと、そう思った。突然降ってわいた出来事から逃げ出したかった。でも・・・・・・。


(巻き込んだのは、僕の方かもしれない・・・・・・)


 自分が子供じゃなかったら。

 もしも剣を扱えていたら、シリウスたちはこれほど手厚く守らずにすんだだろう。それぞれが、戦いに集中できていたらシリウスは怪我をしなかったかもしれない。


 少なくとも、コンラッドはいまごろ食卓を囲んであの温かな家族の中で笑っていただろう。




(母さんも・・・・・・死なずにすんでた・・・・・・)




 涙を川に流して水からあがる。

 水に慣れた体が重く感じられた。


 それはまるで、これからの人生を受け入れた重みのようだった。





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