第26話 香の薫る橋(3)

 スパイドゥに抱きすくめられたままコンラッドの体がかしいでいく。岩や倒木が積み重なった小山の上からその向こう側へと。


「ラッド!!」




『ランシャル、具の少ないスープでごめんね』


(おばさん・・・・・・)


 コンラッドの母親の笑顔が浮かんだ。


『家のと同じ、美味しいスープですよ』

『美味しいって言ってもらうと嬉しいわ』


 気さくで温かなコンラッドの母。

 コンラッドと遅くまで遊んだ日にはときどき夕食に混ぜてもらった。その記憶がまぶたを熱くする。


『いつもありがとうございます』

『なに、子供が4人もいりゃ1人増えたところで変わりゃしない』


 コンラッドの父親がそう言って笑う。賑やかで温かな家庭。その光景が歪む。




 ランシャルの視線の先でコンラッドの姿がスパイドゥごと岩の向こうへ消えていった。


「ラァ────ッド!!!」


 あの岩の向こうでコンラッドがどうなるのか。嫌な想像が頭の中に映像を結ぶ。

 スパイドゥにッ食われるコンラッド。そんな姿を見たくなくて目をつぶる。けれど、無惨な姿が消えてなくなるはずもなく、ランシャルは頭を抱えた。


(嫌だ、嫌だ。ラッド! ラッド!)


 コンラッドがスパイドゥに頭からむしゃぶりつかれる。そんな光景がよぎって頭を激しく振った。


(このままじゃ・・・・・・ラッドが!)


 バラバラにされてしまう。

 スパイドゥに襲われた者の腕や足だけ残されていた話は何度も聞いて知っていた。


(そんなの嫌だ)


 頭を抱えて縮こまる。

 コンラッドの残された部分を持ち帰ることになるのか。コンラッドの家の前に立つ自分の姿が浮かぶ。


 ノックをして開いた扉の向こうからコンラッドの両親が出迎える。


『お帰り』

『コンラッドは? どこ?』


(・・・・・・何て言えばいい?)


 笑顔の彼らに、息子の姿を探す両親へ何をどこからどう話せばいいのか。

 お悔やみ、言い訳、懺悔。いくつもの言葉が頭を巡る。コンラッドの両親は悲しむだろう。

 驚き悲しみ同行を許したことを後悔するにちがいない。コンラッドの両親の悲痛な姿が心をかきむしる。


(腕や足だけを持ち帰るなんて・・・・・・!)


 ランシャルは抱えたままの頭を強く振った。


(嫌だ!)


 助けることが出来なくても、せめて・・・・・・せめて五体満足で連れて帰りたい。


(一緒じゃなきゃ嫌だなんて言わなきゃよかった。戻ってきてなんて言わなきゃよかった!)


 明るいコンラッドの笑顔が目の前に浮かんだ。


「ラン」


 笑顔のコンラッドが手を振る。目を開けると涙がぼろぼろとこぼれた。


「ラッド!!」


 ランシャルは倒木のしたから飛び出していた。

 無我夢中だった。

 暗さに慣れた目でも涙が視界を滲ませて歪んで見える。それでもこのままここでじっとしてはいられなかった。

 自分だけ何もせず助かって、どんな顔でコンラッドの両親に会えばいいのだろう。


 ギチギチギチ


 四方から聞こえるスパイドゥの声など気ならなかった。


 飛びかかって来るスパイドゥよりも先に地面を蹴ってその頭を踏み台にして飛び上がる。そのまま後ろのスパイドゥを飛び越してその向こうへ着地した。


(岩の向こうへ!)


 コンラッドの姿が消えた岩。その向こうへ、コンラッドの元へ行こう。それだけが頭にあった。


 襲ってくるスパイドゥの動きが遅くなる。

 音が遠ざかって体の重みも感じなくなった。


 地面を蹴り岩を駆け上がってコンラッドの元へと向かう。


 岩を越えたその向こう。飛び降りようとしたその場所に地面はなかった。

 すぐ下にあると思っていた地面がない。

 あったのは斜面。

 2・3メートルの下り坂をランシャルは転がり落ちていった。下まで転がったランシャルのそばに黒い物体が着地する。


  スタ

  スタタタ


 追ってきたスパイドゥたち。その中のひとつがランシャルめがけて落ちてくる。ランシャルはすぐに横へ転がってやりすごした。

 逃げるランシャルを4つの赤い目が光の尾を引いてついてくる。


(はっ・・・・・・!)


「ラッド!?」


「死ね! 死ね!」


 スパイドゥに馬乗りになったコンラッドの姿があった。仰向けになったスパイドゥの胸に棒を突き立てている。


「ラッド!」


 コンラッドが生きている。

 うるむ目の端で何かが光った。スパイドゥの赤い目ではない、白い光。


 ランシャルは咄嗟にその光へ向かった。確信も根拠もなく体は光へ向かって走っていた。石の転がる草の中へ手を突っ込んだ。


 ランシャルがそれに触れた瞬間、強い光がほとばしった。

 どよめく虫たちの声が背後で聞こえていた。


「短剣だ!」


 掴みあげたランシャルの手の中にあったのは失くしたと思ったあの短剣。


 ギュイッ!


 声にならぬ悲鳴をあげてスパイドゥが飛びすさる。綺麗な円を描いてスパイドゥたちが距離をとった。


「ラッド、良かった。良かった」


 駆け寄るランシャルをコンラッドが力なく見上げていた。険しい表情かゆるんで半泣きの笑顔をつくる。


「生きてた・・・・・・」


 コンラッドに飛びついたランシャルは彼をぎゅっと抱きしめていた。


「・・・・・・助かった」


 こぼれる様な小さな声でコンラッドはそう言った。


「橋へ、急ごう」


 促すランシャルの声かけに頷いてコンラッドが立ち上がる。


「ラン! 後ろ!」


 訳もわからぬままランシャルは振り返ってそのまま剣を向けた。

 滑空して迫る妖魔の姿が見えていた。考える間もなく体が動いて剣を空へ突き上げる。短剣に気づいた妖魔に避ける余地はなかった。


 布を切り裂く音がして妖魔の悲鳴を聞いた。

 引き裂かれた皮膜から血を滴らせて妖魔が地面を転がり回る。ふたりは妖魔を振り返らずに走り出していた。


 一目散に橋へと向かう。

 橋はもうそこに見えている。走るふたりの足元を短剣の光が照らしていた。


 もう少し、あと少し。


 一番手前の欄干らんかんに手を掛けて橋へ一歩踏み込んだ。


 蔓を編み込んでつくられた橋が揺れた。

 ふたりが生む振動でゆさゆさと橋が揺れる。揺れる橋の上をたたらを踏んで、左右に体を揺すられながふたりは走る。


「生かしておくものかッ!」


 妖魔の声が谷中に響いた。と、同時に橋が大きくたわんで足が浮いた。


「うわぁ!」


 妖魔が橋にとりすがって蔓に牙を立てている。ぶつりと音を立てて橋が大きく揺れた。蔓が1本また1本と切断されていく。


「急げ!」


 橋が大きくかしいで足をとられた。それでも必死に走った。

 対岸まであと10メートル。

 あと3歩。


 もう辿り着く、そう思った瞬間・・・・・・。



 橋は、落ちた。



 足が浮き上がって地面がせり上がり目の前を過ぎて行く。

 伸ばした手がむなしく空を掻いた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る