第24話 香の薫る橋(1)
「香木の匂いを嫌がるって?」
「うん」
「ウルブ、嘘ついてないよな?」
コンラッドが疑わしそうに周りに目を向けた。
漂ってくる香りは確かに強くなってきている。
ナメクジ状のものは姿を消して、スパイドゥも大きな物だけがついてきていた。でも、新たに加わったものもいて、種類が入れ替わっただけで数が減ったとは言えない。
ランシャルが
光の届かぬその向こう。
闇の中にチラチラと光る目がこちらを見ていた。この光を嫌ってか警戒してなのか、光の内側に入ってくる様子はなかった。
ランシャルはときどき後ろを振り返りながら歩いていた。短剣の光を受けてできる自分の影が光の届かない闇とつながっている。
「俺たちの影を伝って襲ってきたりしないよな?」
「僕も同じこと考えてた」
ふたりは自然と身を寄せあって歩いていた。
ときどき闇の中で小競り合いする音が聞こえる。明るいこちら側からはよく見えないが、それだけ密集しているのかもしれない。そう思うとランシャルは恐ろしさが増した。
唸り声に混ざって言葉らしきものも聞こえてきて背筋がむずむずする。
「
「ほしい」
「ちから」
「血」
あちらこちらから単語がぽつりぽつりと聞こえてくる。言葉を使える魔物はやっかいだ。流暢に話す魔物や妖魔ならなおのこと。
スパイドゥでさえやっかいなのに、言葉を話すより危険な物まで引き寄せてしまっているのだろうか・・・・・・と、想像ばかりが膨らんで包み込む闇の恐ろしさが増していく。
(・・・・・・!)
吹き抜ける風が変わった。
「ラッド」
小走りになったコンラッドのあとを追ってランシャルも走った。
「おっとッ」
ガラガラと小石の落ちる音がしてコンラッドが立ち止まる。
「ラッド!?」
「大丈夫。見ろよ、崖だ」
覗き込むまでもない。吹き抜ける風の川の向こうに対面する崖が見えていた。
ぱっくりとひらけた空から差し込む月明かりが対岸に並ぶ木々と崖をほんのりと浮かび上がらせている。
「あっちだ」
匂いを確かめたコンラッドが歩き出す。
崖伝いに歩くふたりは嫌な気配を感じていた。周りからピリピリとそわそわした感じが伝わってくる。
香木薫る橋を渡れば逃がしてしまう
あの橋に着く前に食べてしまおう
そんな彼らの声が聞こえてくるようだ。足の早まるふたりと追う物たち、互いの心がひりひりと焼けつくように思えた。
「ラッド、あれ!」
「やった! 橋だ」
月影を受けて崖にかかる橋がうっすらと見えている。ふたりの顔に笑顔が戻った。
もう少し、あと少し。棒のようにこわばって重い足で走る。
「
「え?」
唐突に声が降ってきた。
人の声だと思うほど話しなれた声に見上げると、頭上に人の顔があった。
(・・・・・・なんで、あんな所に人が?)
人が木の枝からぶら下がっていた。
頭を下にしてこちらを見ている。
不自然な体勢のその人物は、こちらを見て意地悪そうにニヤリと笑っていた。その状況を飲み込めずにランシャルたちは立ち止まって見上げている。
不思議さに動けずにいるふたりを見て、それは両手を広げ、落下した。
「ひっ!!」
「ぎゃあ!」
見上げていたふたりは脱兎のごとく走り出していた。
あれは吸血の妖魔だろうか、そうに違いない。逆さに落ちてくるなんて尋常じゃない。
振り返ると飛ぶ魔物が滑空しながらぴたりと着いてきていた。広げた腕から足にかけて広がった皮膜が風をつかんで滑るように迫ってくる。
「伏せろ!」
コンラッドの声にしたがって地面に滑り込む。滑空する妖魔が頭上をかすめた。
「ぎゃははははは」
さも楽しそうな高笑いが遠ざかって、また近づいてくる。
短い間をぬって立ち上がりふたりは走った。橋へ向かって。
「逃がさないよ」
甲高くねばついた声が追ってくる。
風を切る音がする。
近づいてくる。
もう、すぐ後ろ。
(避けないと! 伏せなきゃ!)
頭ではわかっているのに体が思うように反応しない。
ランシャルの背に妖魔の手が伸びる。
「ああ!!」
ぐいと横に引かれてランシャルは転がった。
「・・・・・・痛ッ!」
「ラッド!?」
ランシャルの側でコンラッドが肩を押さえて地面に伏せている。その指の隙間から滲んだ血が見えていた。
「ラッド、大丈夫!?」
「行けッ」
「駄目だよ」
コンラッドの腕をとって肩に回そうとするランシャルをコンラッドが押し退ける。
「行けったら!」
「嫌だよ!」
短剣は一本きり。
(ラッドに剣を持たせて橋まで走るか?)
この剣なければ好き放題に魔物が飛び付いてくるだろう。橋まで逃げ切れるとは思えない。かといってコンラッドを置いていけばどうなるか、そんなことはわかりきっている。
「行こう!」
ランシャルがコンラッドの腕に手を掛けた。
中腰のランシャルの目には滑空してくる妖魔の姿が見えている。スパイドゥたちが我も我もと飛びかかる。
「走れ────ッ!!」
振り絞った声はランシャルのものか、それともコンラッドものか。ふたりはそれまで以上に力を振り絞って走った。
もう、足の感覚もわからないなっているのに、ひたすら走った。
周りの下草がざわざわと音をたたて見えぬ敵の数を想像させる。
ざわつく草の音にドスドスと四つ足の何物かの音も加わった。けれど、それが何か確認する余裕などない。
飛ぶ妖魔はひらけた崖の上空で旋回して戻ってくる。
短剣の光におよび腰のスパイドゥよりも、妖魔はランシャルのすぐ側まで食い込んでくる。たまらず、ふたりは木々の多い森の中を走り始めた。
崖が見える森のきわ、木々をぬうようにして走る。
岩を避け倒木をくぐって走る。登ったり飛び越えることはもうできなかった。
「橋だ!」
あと200メートルくらいか。はっきりと見えた橋が鼓舞してくれる。
息を荒らげて肩で息をして足を引きずるように走った。
(もう少し! もう少しだ!)
飛びかかってきたスパイドゥを避けた瞬間、ランシャルの足がもつれる。
「わっ!!」
もんどりうって転がって、着いた手から剣がこぼれた。
「あッ!」
慌てて出した手から剣がすり抜けて、
「待って!!」
石の上で跳ねた剣がするりと岩の隙間へ滑り落ちた。
とっさにランシャルが腕を岩の隙間へ突っ込む。肩まで押し込んで指をのばした。
ギチギチギチ
ギャギギャ
動きを止めたランシャルに蟲たちが喜びの声をあげている。
「ラン! 逃げよう!」
指の先が剣に触れている。
「あとちょっと・・・・・・」
触れたランシャルの指の先で剣がくるりと回転したようだった。
カン カラン
(え!?)
キン カッ カララッ
剣が落ちていく。
ランシャルは慌てて隙間を覗き込んだ。
「ラン!!」
コンラッドの叫ぶ声がする。
跳ね上がったスパイドゥを叩き落として妖魔が接近して来ていた。
すっくと立ち上がった獣の様な魔物の姿をコンラッドだけが見ていた。
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