第22話 日没(1)

 日が暮れてゆく。

 木の影が伸び、重なって、影が濃くなる。


 ランシャルとコンラッドは2匹のウルブの後を小走りに追っていた。

 ウルブにしてはゆっくり走っているのだろうけれど、それでも徐々に距離が空く。2匹は時々足を止めては2人が追い付くのを待って案内を続けていた。


(あれ?)


 2匹が立ち止まったのを見て不思議に思う。ウルブたちはこちらを気にかけている様子がなかった。

 いくつか重なった岩の上で先を見つめて立っている。


「どうかしましたか?」


 岩を登りきって息を整えたランシャルはウルブに声をかけた。


《我々はここから引き返す》


 返ってきたウルブの声はランシャルよりもはるかに大人びていて落ち着きがある。実際ランシャルよりも長く生きていると思えた。


 岩の上から見える景色にランシャルは目が流れる。

 岩のその向こうはなだらかな下り。遠くまで連なる森の姿がかろうじて見渡せた。


「ここがあなたたちの領土の端なんですね」


 ウルブはかすかに頷いたようだった。

 木々の先を風が吹き抜けて火照った体から熱を遠ざけてくれる。見張らしと心地よさにしばし眺めていた。


《向こうに見える森の切れ目がわかるか?》


 ウルブがくいっと顎を向けた先に目を向ける。


「切れ目? あれかなぁ」


 森はずっと遠くまで続いている。けれど、木と木の間隔が空いて見える所があった。それは右から左へと延びているようだった。


《谷の裂け目だ。このまま太陽にむかって走れば橋にたどり着く》


 太陽はだいぶ傾いていた。日暮れまであと一時間もあるかどうか。


(ぎりぎり・・・・・・間に合うかな?)


 事も無げに言うウルブと違ってランシャルはわずかに眉をひそめた。


《あっちから岩を下りて森を行け》


 岩の右側に目をやってウルブが指示する。


《もう少し行けば人の鼻でも香木をたどれるだろう》


 じりっと胸を焼くような不安がランシャルの心をなでた。


「ここでお別れ?」


《そうだ、我々も日暮れ前には帰り着きたい。面倒は避けたいからな》


「魔物に会いたくないですよね」


 そう言ったランシャルを2匹は鼻で笑った。


《それもそうだが、魔物よりもお前たちの血が怖い》

《腹が減ってきた。お前たちが怪我をして血の匂いでも嗅いだらつい噛みついてしまいそうだ》


 ウルブたちは喉を鳴らして笑っている。けれど、唸りと区別がつかないコンラッドはランシャルに小声で聞いた。


「何て言ってるんだ?」


 内容はわからなくても物騒な気配だけは伝わってくる。


「えっと・・・・・・」


 どこを伝えてどの部分を伏せておくか言葉選びに迷ううちに、ウルブが言葉を足した。


はく様の顔に泥を塗るようなことはしない。さっさと行け》


「なんだって?」

「気をつけて行けって」

「え? それだけ?」

「うん」

「もっと沢山言ってなかったか?」


 ランシャルは苦笑いして濁した。


「細かいことはあとで。それじゃ、案内をありがとう」


 コンラッドの腕を引いて歩き出す。

 岩の示された場所から下りて地面を走った。

 見上げる岩の上からウルブが2人を見送っている。その姿はすぐに木々に隠れて見えなくなった。


「香木って嗅いだことある?」


 ランシャルは走りながらコンラッドに聞く。


「あるっちゃあるけど」

「僕らの知ってる香りだといいね」

「だったらすぐわかるけどな」


 香木にもいくつか種類がある。間違って花の香りを追ったら道を誤ってしまうだろう。


「うわっ」

「ラン!?」

「だ、大丈夫」


 コンラッドのすぐ後ろを走っていたランシャルは、苔に足を滑らせて前のめりに転んでいた。


「少し休むか?」


 ややもたつきながら立ち上がるランシャルを心配してコンラッドがそう言った。でも、時間はない。いったん断ろうとしたランシャルは、コンラッドの息も上がっていることに気づいて受け入れた。


「少し息を整えようか」

「そうだな」


 辺りに目を配りながら深呼吸をする。


 見上げた空は青を少し残した黄色。もう時間がない。暮れはじめたらあっという間だ。


「行こう」

「うん」


 空の色に急かされて再び走りはじめる。疲れて足はだいぶ危うくなってきていた。

 その後も何度か転びそうになり歩くように走るかたちになった頃。ふたりの鼻が香りをとらえた。


「この匂い」

「うん、知ってる」


 ランシャルとコンラッドの表情が明るくなって足取りが早くなる。


 森はどんどん暗くなっていった。

 夕暮れの風が草木を揺らす。草木の葉擦れの音に混じって何かの気配がこそこそと動く。生暖かい風と底冷えを感じさせる風がふたりの体をなめる。嫌な風が毛を逆立てた。


 ランシャルとコンラッドの足は自然と早まっていった。

 前を行くコンラッドは脇目も振らずに走っているように見える。


(ひっ、いまの何!?)


 何かが光った。目の様に横並びの光が2つ。


「ラッド」

「走れ!」


 コンラッドも気づいていた。でも、ひるんで足を止めてなどいられない。

 香木の強く薫る方向へ走るしかない。

 走れ走れと足に鞭を打つ。



 グググゥゥウゥ・・・・・・



 その声を聞いてぞっとした。

 耳のすぐ側で唸られた気がして両手で耳を塞いで走る。暗くなってきた森の中に小さな光がぽつぽつと増えていった。


(早く早く!)


 ランシャルの心が急く。


(走れ走れ!)


 コンラッドが心で叫ぶ。


 バキッ!


(ハッ・・・・・・!)


 ザワザワ

 ガササッ!


 着いてくる音があちこちから寄り集まってくる。黒い影が木の間を埋めてぬるりと近づいた。



 ルルルグゴギャ!



 言葉にならぬ声が歓喜している。2対の光が尾を引いて横をかすめた。


「・・・・・・!」


 何かがランシャルの服に触れた。


「わあぁぁ────ッ!!」


 慌てて手で払って走る。が、捕まった。


「ああ──────!!!」


 首根っこを捕まれた反動で足が宙を舞う。空を蹴る自分の足が視界に入ったときにはもう遅い。

 背中から落ちて地面に体をしたたか打ち付け息が詰まる。


「っぐ・・・・・・ッ!」


 うめくランシャルに闇が覆い被さった。


(・・・・・・ああッ!!)


 鬼火のような2対の瞳。

 めらめらと見下ろすその瞳が笑っている。




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