第12話 短剣と出自(2)

「なにか食べたか?」


 コンラッドに聞かれてランシャルは地面を見つめた。そこにはシミがあった。コップは片付けられていたけれど、スープをこぼした跡だけが残っている。


「スープを台無しにしちゃった」


 ぽつりと言ったランシャルの手をコンラッドがとって何かを握らせる。


「これ食べろよ。母ちゃんが作ってくれたサンドウィッタ」


 ランシャルの掌の上には紙で包まれた四角く軽い物が乗っていた。


「皆の分もあるよ」


 コンラッドが明るい声でそう言って配りはじめるのをランシャルは見ていた。


「おお、黒パソのサンドウィッタか」

「懐かしい。この薄い肉、家のと一緒だ」


 ダリルとラウルが笑い合う。

 薄くスライスされた肉と野菜を黒パソではさんだだけのサンドウィッタ。裕福な家なら具だくさんのサンドウィッタか白パソを使うだろう。


「黒パソ、久しぶりだな」

「んー・・・・・・堅い」


 黒パソの堅さに苦笑を漏らしながら、それでもふたりは嬉しそうだった。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 礼を言われてコンラッドが嬉しそうに頭を掻いた。

 配り終えたコンラッドはランシャルのとなりに座って食べはじめ、ランシャルもひとくち頬張った。


「シリウス様、すみません。王の母君からの恩に報いたいと言って聞かなくて、両親も言いくるめてしまって」


 困り顔のルークスの肩をシリウスが叩く。


「許可が下りたならばしかたない」


 コンラッドとランシャルが並んでサンドウィッタにかぶりついているのを、シリウスたちは見つめていた。


「薄い肉でごめんな」

「ううん、美味しいよ」


 苦笑いするコンラッドにランシャルが笑顔を返す。


「あ、リアが領主様のところで働けることになったんだ」

「そう」

「俺の稼ぎの2倍もお金をもらえるって! 凄いだろ?」

「それは凄いね」


 笑顔で言うランシャルの表情が曇る。それに気づいたコンラッドは更に明るく言った。


「家は兄ちゃんもいるし、俺がいなくても大丈夫」

「・・・・・・ラッド」


 すまなそうな表情のランシャルへコンラッドはにっと笑った。


「都を見たら帰る。村にも町にも都に行ったやついないから、俺、人気者になっちゃうだろうな」


 おどけて言うコンラッドが空元気なのはランシャルにもわかった。

 なにが起こるかわからない。大怪我をする可能性も死ぬ恐れもある。それでも一緒に来てくれる。それが嬉しかった。


(ラッド、ありがとう)


 精一杯の笑顔を作ってコンラッドの気持ちを受け止めた。




   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 ランシャルとコンラッドが眠るそばでシリウスは石に腰かけていた。その手にロンダルから手渡された短剣を持って。


「あの時の剣で間違いありませんか?」


 そっと尋ねたのはロンダルだった。

 遠い日を思い返していたシリウスはロンダルの声に引き戻されて彼を見上げた。


「王が彼女に手渡した短剣ですか?」

「ああ、間違いない。元は私がランセルにあげた短剣だ。見間違えはしない」


 ランセルという名に王という敬称をつけるのを忘れるほどに、過去への思いに浸かっていた。短剣を譲った昔、まだ友人だったその頃が昨日のことのように思える。


 ランセルが王印を授かったその日、シリウスは友人としてこの短剣を彼にあげた。



『怖い、怖い、シリウスどうしよう!』


 父王が殺された日、悲しみと恐れに震えるランセルがいた。


『私も殺される! 助けてシリウス!』

『落ち着いて』


 狼狽して泣き叫ぶ彼をなだめた。


『見て、これ。印が私の胸に! 王は殺される!』


 王になれば自分も殺される、そう言って震えていた。

 あれは彼が18才の頃のこと。シリウスは20才だった。



「元々は私が10才の誕生日に父からもらった剣だ。──傷が残ってる」


 戦いの真似事をして付けてしまった傷を、シリウスは愛しそうに撫でていた。


「彼が、怖くてひとりでは眠ることもできないと言うから・・・・・・」


 不安げなランセルの表情がランシャルの寝顔とかぶる。


「私だと思ってこれを、と。いつでも側にいるからと・・・・・・安心してと言って渡したのに」


 短剣を指でなでるシリウスの肩にロンダルがそっと手を添える。


「ご自分を責めないでください」


 ロンダルはシリウスからランシャルへと視線を動かした。

 小さく丸まって眠るランシャル。その手には大切そうにペンダントが握りしめられている。


「あのペンダントはオーリス隊長の物ですか?」

「そう、父さんの物に間違いない。母さんのペンダントと揃いの同じ柄だった」


 ロンダルは感慨深げに深い溜め息を吐いた。


「新王が、あの時の・・・・・・」


 13年前の夜を思い出していた。

 怯えて焦ったランセル王が深夜に待機所を訪れたあの夜。



『オーリス! ロンダル、助けてくれッ。彼女が殺される』

『王様、どうなさったんです?』

『彼女が妊娠した』


 唐突な話に面食らった。


『妊娠したことが王妃にばれたんだ!』


 王が不倫をしていたことは知っていた。

 相手が誰かも知っている。

 王妃も浮気は気づいていただろうが見逃しているようだった。不倫に怒るほどの愛情もないのだろうと察しはついていた。しかし、不倫は許せても妊娠は許せない。愛情はなくてもプライドはあるはずだ。


『わかりました。──私が遠くへお連れします』

『隊長ッ』

『あとを頼む』

『しかし』


 ロンダルは食い下がったが言い争っている暇はなかった。

 オーリスは王の彼女マルティナを連れて都を後にした。ロンダルとシリウスは都を出るふたりに途中まで付き添うことしかできなかった。


 闇に溶けるように遠ざかる姿が消えるまでふたりはずっと見送った。



「お腹の子は、男の子だったんですね」


 シリウスは黙っていた。


「うーむ」


 ロンダルが小さく唸る。


「王印が3世代続くとは、何代ぶりでしょう」


 直系に王印が引き継がれなくなって久しい。その間に王族も役人も腐敗してしまった。


「子供に王印を授けるとは、ドラゴンはなんといういたずらな事を・・・・・・」


 渋い顔で見つめるロンダルの視線の先にランシャルの寝顔があった。


 ひとすじの涙をこぼして眠るランシャルを、シリウスとロンダルは長い間眺めていた。




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