File35.それぞれの歩む道
佐久山家に誕生した双子に、親から渡す初めての贈り物は名前だ。
千夏と話し合い、彼らの人生が輝かしいものとなるように、と願いを込め、
これまでは仕事と家事をこなす日々だったが、新たに加わった育児…。
これがまた大変だった。
大変、という言葉ではまとめきれないくらいだった。
親になって初めて育ててくれた親の気持ちがわかる、と言われているが、あれは本当だと痛感したのだ。
俺たち夫婦は話し合いをし、産後休暇の続きのまま育休を半年間千夏が取り、その後に俺も育休を取ることにした。よく男性が育休を取得するのに勇気がいる、と言われていたが、千夏にばかり負担をかけさせるわけにはいかない、そんな思いを事務で言った覚えがある。事務からすると、ご自由にどうぞ…と言わんばかりの表情を浮かべていた気がする。それもそうだろう…。取るか取らないかを判断するのは、結局のところ自分次第なのだから…。
自宅では次から次へとすべきことが溢れ、お互いに何を優先すべきかわからない日々を送っていた。
産まれたての乳児と言えば、2~3時間毎にお腹を空かせ目を覚ます。それがこんなにも大変な事とは思いもせず、千夏と一緒に悪戦苦闘していた。母乳で育てたいと言っていた千夏も、1ヵ月も経たないうちに粉ミルクへと変更していた。乳腺が詰まると痛みが出るらしく、その度に搾乳しては2人に飲ませていた。始めのうちはベッドで寝ていたものの、いつの間にか俺はソファで寝ることが多くなった。それも横にはならず、座った状態で眠りこけていたのだ。そんな姿を、千夏は面白がって写真に残していた。
恐ろしいことに、身体はこんな不規則な生活にですら慣れてしまい、しまいには赤子が泣く前に目が覚めるようにレベルアップまでしていた。乳児と同じような睡眠時間でも、案外疲れは出ず、睡眠不足を感じさせないほどだった。よく睡眠時間が足りなくてしんどい、と妊婦教室で聞いたことがあったが、俺には関係ないことだった。
産後の千夏にはゆっくり休んで欲しかったが、彼女自身も育児に積極的だった。
人っこ1人でも大変なのに、我が佐久山家ではそれが倍だ…。
不思議なことに、双子というものは目覚めるタイミングも同じであれば、泣くタイミングもほぼほぼ一緒ということだ…。昂輝が泣けば輝也も泣きだす、その逆もしかり…。見えない何かで意思疎通をしているかのようだった。
だが、育児は辛いことばかりではない。
我が子の可愛さも倍増するため、癒しである我が子の笑顔のためなら俺はどんなことでもできそうな気がしていた。
我が子のために父は頑張るぞ
育児にも慣れた頃、我が家にはよく訪ねてくる人たちがいた。
父親と姉貴だ。
父親は2人の孫を前に、俺にすら見せた事がないくらいの満面の笑みで接していた。
「昂ちゃん、輝ちゃん、じぃじですよ~。早くお喋りできるようになればいいでしゅねぇ。にっこにこ笑顔~かわいいねぇ」
孫バカという言葉が今の父親にはぴったりだ
姉貴はというと、治療の甲斐があってか、再発することなく以前にも増して元気に乳腺外科医として日々患者と向き合っている。患者の気持ちに寄り添える優しいお医者様、として乳腺外科界隈では有名らしいが…俺からしてみれば、そんな風には一切見えない。院内で、佐久山と言う名字は姉貴と俺しかおらず、救急外来で乳腺外科の患者対応を依頼するため、当直医に電話をすると『いつもお世話になっております』と言われてしまうのだけは…いつまで経っても慣れない。
「こう見えて私、上からも下からも頼られるようになったねんで」
「それ…自分で言う?あ、そうか。自分で言わないと誰も言ってくれないもんなぁ」
「ちょっと楽人、言っていいことと悪いことくらいわかるよねぇ。いい大人ですもんねぇ。ってか、2児の父親ですもんねぇ。昂輝、輝也、こんな風になってはいけませんよ!今から教えとかないと…」
家では相変わらずであるが、職場では患者や医師、看護師からも慕われている…まさしくカリスマスーパー女医だ
嬉しいことに、姉貴にはプライベートでも大きな変化があった。同じ病院内で知り合った麻酔科医と交際期間わずか2カ月という短さで昨年結婚。波長が合ったらしく、相手の男性も姉貴には運命とやらを感じたらしい…。そんな漫画みたいな展開が本当にあったんだなぁ、ということは口が裂けても言わないようにしている。
姉貴のお腹には新しい命を宿っている。病気で自然妊娠をすることができなくなってしまったため、治療前に凍結していた卵子を使い、俺たちと同じように人工授精で子どもを授かった組だ。姉貴曰く、
「女性ホルモンを抑える薬を使ってるから、私…排卵しないの。その分、これまで毎月来ていた月経も止まっちゃったしねぇ…。変わりに更年期障害が出て来たのは厄介!ホットフラッシュ、って言って、急に身体がカーって暑くなったり、イライラしたり、汗かいたり…人間の身体って不思議よね」
らしい。
姉貴がイライラしやすいのは割と前からであるが、これも本人を前にしては絶対に言えないことだ。
もともと女性ホルモンが少なかったのかもしれない
姉貴は結婚する前、こうして病気をして、一般的な健康状態ではなくてもお嫁さんにしてもらえるだけ嬉しい事だとも嘆いていた。年齢的な面で、周りが結婚し、妊娠・出産を終えたとSNSで知った際には、精神がどうにかなりそうだったと後々聞いたことがあった。
確かに俺も思ったが、あれは絶対一種のハラスメント確定だ
千夏の家族もよく遊びに来ては、昂輝と輝也の寝顔だったり、ハイハイしている動画を撮って、画面越しににまにましている様子を度々見ていた。
家族が増えることで、こんなにも明るい家庭になるのか、と俺は身に染みて感じていた。
まだ俺が青い頃、反抗しては親と距離を置き、姉貴のことも自ら避け、幼い頃によく遊んでもらっていたじっちゃんにさえも偉そうな態度をとっていた…。
後悔しても遅いが、この幸せなひと時を見ていると、過去に戻ってもう一度やり直したい…いつしかそう思うようになっていた。
「楽人や」
ふと聞こえてきたじっちゃんの声に俺は辺りを見渡した。
「ちと儂のわがままに付きおうてくれへんか?」
「それは構わへんけど…」
じっちゃんは俺を2階のベランダまで来るように言った。
新築ではないが、中古物件をリフォームした我が家。その中でも俺のお気に入りの場所が2階に新たに増築したベランダだ。
今は小さめのテーブルと椅子、観葉植物しか置いていないが、いずれは息子たちの成長に合わせて遊具などを置きたいと思っている。
ゆったりとした足取りでベランダまで行き、俺は声をかけた。
「じっちゃん!」
「おう、来たか」
「ここに呼び出すなんて…何事さ」
「下じゃと騒がしいからのぉ」
「そゆこと」
「して…楽人」
「ん?」
「儂があの世に行かず、この世に留まったことを言うとこぉと思ってなぁ」
「は?今更…」
「このタイミングがええんじゃ。…お前さん、母親のことをどこまで覚えとる?」
「母さんのこと…まだちっさかったからな…全然覚えてない」
「そうじゃろうな。母親である
「無理してた…ってことか」
「もともと弱い部分を見せない、強い人だったからなぁ。勘づかれないようにしとったんじゃろ…」
「へぇ…姉貴みたいじゃん」
「そうじゃな、本当によう似とるわい。お前さんたち姉弟は笑美子さんにそっくりじゃ…。その笑美子さんの最期を看取ったのはな…この儂じゃ。倅は幼いお前さんたちを近所に預けに行ってたため、間に合わんかったんじゃ」
「そんな話…初めて聞いた」
「あやつも…、言いたくなかったんじゃろぅ」
「…」
「笑美子さんはのぉ、最期までお前さんたち姉弟の心配をしておった。特に楽人、お前さんの事を気にかけとった。まだちっさかったから余計じゃろうけど…弱々しい声で最期儂にこう言ったんじゃ。楽人を頼みます、あの子が一人前になれるまで見守って下さい…と」
「母さん…」
俺の目から落ちる涙。悲しみなのか、嬉しさなのか、寂しさなのか…名前を付けられない涙が頬をつたってぽたぽたと地面に落ちていた。
じっちゃんは、そんな俺を微笑むように見つめながら話を続けた。
「お前さんが立派になるまで見届けよう、笑美子さんに頼まれたあの時から、儂は決意したんじゃ」
「じゃあ…じっちゃんが、ずっと俺の傍にいてくれたのは…」
「お前さんの成長した姿をこの目に焼き付けて、あの世に逝く際の土産にしよう思てな。きっと楽しみにしとるでぇ。美里のことも一緒に話せるから良かったわい」
「じっちゃん…」
「昔は家族が仲良く暮らせていても、色んなことがきっかけで疎遠になる事かてあろう。現に、佐久山家も崩壊しそうじゃった…そんなお前さんたちが家を飛び出し、社会に出て多くのことを学び、経験し、大人になっていく姿を見れて…儂は良かったよ。これから先は、楽人と千夏さん、昂輝、輝也と家族みんなで協力して歩んでおゆき。父親になって初めて気付くことかてあるからのぉ…感謝の気持ちを忘れるでないぞ!儂はここまで一緒におれて良かった。何の心残りもなくばあさんと笑美子さんの所に行けるわい」
「とか言うて、またすぐ戻ってくんなよ!」
「はっははは。もう戻って来んわ!」
「じっちゃん!俺さ、なんやかんや言うて、じっちゃんと一緒に過ごせて良かったで。まぁ…化けて出て来たときは焦ったけど…、じっちゃんがおったからこうして看護師も続けることができて、家族にも恵まれたんやと思う。ありがとう!」
「その言葉が聞けて…儂は満足じゃ!楽人、達者でなぁ!」
「おう!」
さっきまで流れていた涙は渇き、じっちゃんの旅立ちを笑顔で見送ろうと満面の笑みを浮かべながら手を振った。片手で手を振り、その後は両手で手を振るようにしてじっちゃんが天に昇って行くのを見届けていた。
じっちゃんの姿は天に召される際、煌びやかな黄金に輝いて見えた。
じっちゃんすげぇ…、神様、仏様やん
心の中で思いながら俺は光が見えなくなるまで眺めていた。
しばらくすると1階から2人の泣き声が聞こえてきた。
「楽人!ちょっと手伝って…」
「おっけ。すぐ行く!」
ベランダから室内に入り、足取り軽く階下へと向かった。
「おんぎゃあ、おんぎゃあ」
「うんぎゃあ、うんぎゃあ」
リビングでは泣きじゃくる昂輝と輝也の姿があり、千夏が慌ててミルクの準備を始めていた。千夏を手伝うように義母がキッチンで湯の準備をし、義父は何か手伝えることがないかあたふたしていた。その傍らではベビー用のおもちゃであやす父親の姿、姉貴の姿があった。
にぎやか過ぎやろ…
笑いそうになった表情を引き締めようとしたが、姉貴にはしっかりと見られていた。
「ちょっと!何笑おうとしてたん?」
「いや…別に」
「昂ちゃん、輝ちゃんどうちたんですか?そんなに泣いて~。お腹空いたんでしゅかぁ?オムツはさっき変えたばっかりでしゅからねぇ。抱っこがいいのでしゅかぁ?よしよぉし、いい子いい子」
俺は2人の息子の近くまで行き、胡坐をかいた左右の膝上に2人を置き、両腕で支えるようにして抱きかかえた。
「ほらほらぁ。パパですよぉ。きっとパパがいなくて寂しかったんだよねぇ」
声をかけながら腕を揺らし、2人の息子をあやしていると、次第に泣き止み笑顔を見せてくれた。
「さすが俺!」
「実の父親には及びませんでしたか…残念」
「早く産まれてこうへんかなぁ、早く会いたいよぉ」
「ミルクの準備できたよ」
「楽ちゃんの抱き方、きっと安心するやろうね」
「見て覚えよう…」
何気ない日常を過ごす中で、これまでと何か違うことがあるとするならば、それは今まで見守ってくれていたじっちゃんがもうここにはいないことだろう…。
看護の道を進み、看護師として成長する俺を見守り、時には茶化し、時には厳しい事も言ってくれていたじっちゃんは…もういない。
これから先の人生、俺自身で考えていかなければいけないが、もう俺は1人ではない。こうして支え合える家族がいる、職場には同僚という仲間がいる…。じっちゃんが繋いでくれた思いを途絶えさせることなく、これからも俺は人として成長していきたい。
そしていつか、じっちゃんと同じ世界にいった際には、どんな人生を歩んできたかを語り合いたいものだ。
≪完≫
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