File34.新たな命
結婚した夫婦が次なる目標として掲げるのは…おそらく子どもを授かることだろう。
現に、千夏と俺も子どもを授かりと思っていた。
だが、同時に俺自身に問題があるのではないかと不安にも思っていた。
中学生時代に上級生と一悶着あり、俺は精巣破裂を経験している。片方の精巣は摘出しているが、もう片方は当時の医師の厚意とも言うべきか…残せそうだったから残してあるらしい。ただ、機能するかは不明だとも言われていた。
当時は別にどうでも良いとばかり思っていた。将来の事など考えられない年齢であり、結婚して子どもを持つ事すら考えてもいなかった。
俺自身、青かったのだ。
そんな俺が結婚…。
付き合いを始めてすぐ、俺は千夏に事情を説明した。俺自身、付き合うからには結婚を前提で考えていたため、こういう事は早い段階で伝えておくべきだと思い、意を決して伝えたのだ。
千夏はこの話を聞き、可愛いすぎるくらいの笑みを浮かべながら俺に言った。
「楽人、せっかくの男前が台無しやで」
「は?」
「子どもは授かりもの。それに、私たちまだ付き合い始めたばかりでしょ」
「まぁそうなんやけど…」
「先のことはこれから一緒に考えればいいんじゃない?」
こういう前向きな考えで物事を判断するところが彼女の良いところだ。仕事面でも頼りになる存在であり、俺はこれから先どのくらい彼女に惚れなければいけないんだ…と思っていた。
結婚してまだ間もない頃、千夏と俺は不妊外来があるクリニックへ行くことにした。始めにカウンセリングを受け、それぞれの生殖機能の検査を実施。後日結果を確認したところ、千夏には問題はなかったが、俺にやはり心配な要素があった。
「精子の数は少ないし、元気もないね。使えそうな子はいるけど…」
クリニックの医師に言われた言葉だ。
医師曰く、自然妊娠は難しいものの、人工授精なら妊娠できる可能性はあると聞かされ、お互いほっとした。
2人でよく話し合いをした上で来るように、と言われ、この日はクリニックが持ち合わせている資料を貰い帰ることにした。
同じ看護師という職に就いているが、環境を変えたばかりの千夏にとって負担とならない選択をしようと思い、今すぐに妊活はしないことで合意した。
小児科病棟で働くようになった彼女は、日勤でも時間外労働をすることが多く、帰宅が遅いこともしばしば…。そんな彼女を労うため、俺は率先して家事をしていた。
掃除、洗濯、料理…できることはしていた。
その姿を見ていたじっちゃんが、よくちゃちゃを入れに来ることもあった。
「あの、あの楽人が、こんなにも誰かのために動くなんて…」
「じっちゃん、俺のことなんだと思ってるんだ?」
「思たことを言うただけじゃ!」
「くそじじぃ」
「なんか言ったか?」
「何にも言っておりませーん」
「へっ」
「ふん」
新居にまでじっちゃんが来るとは思わなかったが、今まで何年も一緒に居た分、いるのが当たり前だと思っていた。こうして俺だけの時には決まって家にいることが多かったが、さすがにじっちゃんも気を遣っているのか、千夏がいる時にはどこかへ行ってくれていた。
そうしてもらわないと困るが…
こうして結婚生活2年目を迎えた頃、新たな環境での仕事にも慣れたため、千夏と俺は妊活を始めることにした。
「受け取れる助成金は、体外受精・顕微授精1回あたり最大30万円。 助成金は、妻の年齢によって受け取れる回数が定められており、初めて不妊治療を開始する妻の年齢が40歳未満の場合は通算6回まで、40歳以上43歳未満の場合は通算3回まで、子1人ごとに受け取れるんだって」
ソファに座り、片手には先ほど淹れたばかりのコーヒーの入ったマグカップを持ち、もう片方の手にはスマホ持ちながら千夏は言った。
「不妊治療自体、結構お金かかるもんな…。テレビでも見た事あるわ」
「あっ!そう言えば、楽人の同期の…立川先輩だっけ?…確か不妊治療してたんじゃないの?」
「え?知らん…」
「聞いてないの?」
「聞いてないよ…子どもができたことは聞いたけど、詳しい話はしてない…。第一、男同士でそんな話せんからなぁ」
「そうなんや…知ってると思ってた。割と多いんやって」
千夏が言うように、立川たちに子どもができたのは結婚して数年経過してからだったが…まさか不妊治療をしているとは知らなかった。
今度聞いてみるか…いや、聞かない方が良いか
「最近の若者は結婚に前向きじゃないし、ましてや子どもを持ちたいとも思ってないらしいで…」
「女性側も、働き盛りのときに妊娠したくないから言うて、卵子やったり卵巣を凍結保存することもあるねんて。この間ドキュメントでしてた」
自分たちのこともあってか、テレビでこういった不妊に関することを放映されるとついつい見てしまうようになっていた。
その中で必ずといっていいほど出てくるのは、金銭面のことだった。
妊活は保険適応とはならないことから高額となり、これまでだと金銭面で諦める夫婦が何組もいたはずだ…。そんな金銭面での負担を軽減するため、一部は保険適応となり、助成金も支給される制度が導入されたのだ。
一旦全額を支払わないといけないが、後日書類を役所に提出することで助成金を受け取れる、とのことで、俺たちは色々を下調べをした後、クリニックへ通うことにした。
テレビでしか知らない世界をいざ味わうと、なんとも言い難い気持ちになった。
まだ通い始めて日は経っていないにも関わらず、感情の起伏が激しくなり、千夏も俺も心身ともに疲れてしまっていた…。
人工授精が成功するには、胚培養士の手にかかっている、と何かの漫画で知った。その後は母体である彼女と受精卵の相性が鍵になる…。とはわかっていても、なかなか上手くいかないのが現実なのだ。
一時は着床し順調だったものの、そのまま流れてしまうこともあった。その度に、千夏の悲しい顔を見なければならず、俺はどうして良いかわからなかった。
女性の辛さを理解したくてもできないこの虚無感は…どうしようもないのだ。
クリニックに通うことで、直接的に目にする光景ですらダメージを受けるとは思いもしなかった。
ふっくらとしたお腹をさすりながら笑顔を見せる夫婦、順調であると知ったのか、嬉し涙を浮かべる妻を優しく見つめる夫…。
これはなかなかにダメージがきつい。
そんなことを繰り返す日が続いたある秋晴れの日、ようやく俺たちにも天からの授かりものが舞い降りた。
「よく頑張りましたね。順調に育ってますよ」
千夏のお腹ですくすく育つ2つの命。
妊活をして約1年と半年…。
ようやく授かった命は、双子の男の子としてこの世に産まれた。
双子という情報は、あろうことか…じっちゃんが教えてきたのだった。
「楽人が父親かぁ。それも2人の…」
「へ?2人って…どういうこと?」
「双子じゃよ!双子の男の子!」
「…」
「どうしたんじゃ、そんな不細工な顔をして…」
「じっちゃんから聞くなんて思いもせんかったわ」
「あ…悪い」
「別にいいよ。千夏には黙っておく」
職場でも妊婦になった千夏には優しく接する人が多く、よく入院している子どもたちも日に日に大きくなるお腹に触れていたとか…。
出産にも立ち合うことができ、新たな命の誕生に感動し涙を流しながら喜んだ。
こうして佐久山家は賑やかな4人+1幽霊の家族となったのだ。
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