File32.人生のパートナー
和泉下と立川に話をするにしても立ち話、という訳にも行かず、俺は近くのカフェへ行く提案をした。
「がっくんの家でもいいのに」
「家は…」
「あ、なるほど。愛の巣には入れたくないと…」
「…」
「ごめんって!そんな睨まんといて」
「栗やん…今度会おうたら許さんからな」
胸の前で拳を握りしめ小声で言ったはずだったが、顔を見合わせ苦笑しているのを横目で見たところ、2人には聞こえていたみたいだ。
しばらく歩き、俺たちはレトロな雰囲気が漂うカフェへと入店した。
「いらっしゃいませ。3名様ですね、空いてるお席にどうぞ」
店内にはまばらに客がいるくらいであり、俺たちはちょうど目の前の窓際の席へと歩いて行き、ソファ席に座った。
「うわぁ。メニュー見てたらお腹減ってきた」
「浩ちゃん!今食べたら晩なしにするで」
「わかってるって。…見てるだけやん」
「浩ちゃんも私もアイスティーにするわ」
「立川…完全に尻に敷かれてんな?」
「そんなことないよ。ちゃんと亭主関白してる!」
「へぇ。そうなん?」
「はい…嘘です。すみませんでした」
なんで俺は夫婦漫才を見せつけられているんだ…
俺は呆れて何も言えずに見守っていた。しばらくすると店員が注文を受けに来たため、3人とも同じアイスティーをお願いした。
注文後すぐにグラスに入ったアイスティーが運ばれ、それぞれが口に含んだ後、立川が真顔になり俺の方を見つめてきた。
「さて楽人君、本題に入ろうか」
刑事ドラマで出てきそうなシーンを再現しているかのように両手を組み、その上に顎を乗せた立川は、やや上目遣いで俺を見てきた。
「言い方…」
「同期に黙っているなんて水臭いじゃん…私たち、がっくんが結婚した、ってことしか聞いてないんだから、がっくんのハートを射止めた子の話を詳しく聞かせてよね」
「はぁ。…わかった。まず始めに言っとくけど、別に黙ってた訳じゃないから!話そうとは思ってたけど、タイミングがなかっただけやから!」
「ははぁん」
「…何の尋問やねん」
俺は少し照れくささを濁しながら話を始めた。
遡ること――2年前。
コロナウイルス自体が生き残るために様々な変異株として変化し、そのことが世に知られるようになった頃…。彼女との付き合いが始まった。
彼女の名は、
コロナ病棟開設当初に派遣されてきたときから一緒に働くことになった、1つ年下の後輩看護師だ。
一緒の勤務になった時、仕事の話はしていたが、プライベートの話まではしたことがなかった。だが、夜勤で勤務が重なったときに話をすると、なかなか気の合う人だとわかり、少しずつ距離が縮まったのだ。
「坂本さんは、普段休みの日には何をしてんの?」
「撮り貯めていたドラマを観たり、ゲームしてますね…もともとインドア派なんで、用事がない限り外には出ないです」
「俺も一緒やなぁ」
「佐久山さんもゲームされるんですか?なんか意外でした。何のゲームをされているのですか?」
初めて会った時から彼女に対する好感度は高かった。
病棟内で一番下ではあるものの、はきはきと物言う姿に驚かされつつも関心すらしていた。
人は外見で判断しない、と心で決めていてもやっぱり見た目、第一印象で判断してしまう生き物なんだだとつくづく思った。
マスク生活が当たり前になった昨今、マスクを外した姿を拝見する機会がない…。だが、コロナ病棟ではマスクを外した状態の顔を拝見することができてしまう。イエローゾーンでPPEを装着するタイミングが同じであれば、相手の顔の全貌を拝見できるのだ。
そう…。俺はイエローゾーンで彼女の顔を見た瞬間、俺の心拍数が異常な速さで脈打っていることに気がついたのだ。
俺の運命の人…
なんて言葉が頭を過った。
他愛もない会話でお互いの趣味を知り、そこから話が盛り上がれば…あとは突き進むしかないだろうの精神で、俺は彼女へ交際の申し込みをした。
だが、俺は彼女に振られてしまったのだ。
「佐久山さんのお気持ちは嬉しいのですが、私…今お付き合いしている人がいて…」
「そう…なんや…」
「最近マッチングアプリを始めて、そこで知り合った人なんです」
「マッチングアプリ?」
そう。コロナ禍で出会いが少なくなってしまったころに流行したのが、『マッチングアプリ』たるものだった。
基本的に登録は無料。本人確認さえすれば、お互いにマッチした人と連絡が取り合える画期的な出会い系アプリだ。
俺自身、アプリの存在は知っていたが、男性側からすると金銭面での負担が大きいようにも思えたため手出しをしていなかった。
「変な話、それって女の人は
「私が使っているのは男性は有料ですけど、女性は本人確認さえすれば無料です」
「へぇ」
「佐久山さんは…こういうの、されたことないですか?」
「なんか色々と面倒そうやし、
「確かに…登録したての頃は写真に騙されそうになりました。よくよく来たメール内容を読んでいると、明らかに片言の日本語やし、すぐ個人用の連絡先を教えてとか言うて来はるし…サクラは多いかもしれませんね」
「坂本さんも気をつけや」
「お気遣いありがとうございます」
アプリで知り合った男に対する背徳感を抱えながら日々を過ごしていると、こういう時だけ察しの良い栗田がちょっかいをかけて来た。
「傷心しているさっくんに朗報です」
「…なんやねん」
「坂もっちゃん、例の人と終わったらしいよ」
「例の人って…は?なんでそんな事を栗やんが知ってんねん!」
「…栗やん?!」
「気にすんのそこちゃうやろ…」
「いやぁ…ここだけの話…坂もっちゃんが原岡さんに話しているのを、ちょこっとばかり聞いてしもてね…へへへ」
「盗み聞きの現行犯やな!」
「ちょいちょい…さっくんには朗報やろ?そこは大目にみておくれ」
「にしても…」
「さっくんなら事情を聞けるやろぅ」
聞けるやろ、と言われてすんなり聞ける訳もなく、その情報を知り得てから数日が過ぎた。たまたま勤務が重なったタイミングを見計らい、俺は栗田から知り得た情報を自然と確認してみることにした。
「そう言えば…アプリで知り合った人とは上手いこといってんの?」
これってセクハラになるのではないか…と疑問に思いつつも、知りたいという欲には敵わず聞いていた。
そしてこの時、俺自身もなかなかに女々しい男だったんだな、と痛感したのであった。
「…彼とは終わりました」
「終わった…」
「はい。彼、…お金目当てやったみたいなんです」
「はぁ?お金目当てって…よう気付いたな」
「付き合ってまだ日が浅いのに、彼…急に同棲の話をして来たんです。私自身、早くに結婚して家庭を持ちたいと思っていたから、前向きに考えるって言ったんです。けど、今契約せんと早期割引が効かへんだの、他の人に取られるかもしれへんだの言われ、ちょっと強引すぎひん?って言ったら、ええ金蔓やと思ったのに使えへんやつやな、って言われて連絡が取れなくなりました」
「よしっ。そいつ探して絞めに行こ!」
「えぇっ!そんなことしなくてもいいですよ。私に見る目がなかっただけのことですから…そのお気持ちだけで嬉しいです」
「ってことは、現に今はフリー…ってことやんな?」
「そうです…が?」
「俺の気持ちは変わってないねんけど、どう?」
「佐久山さん…こんな私でも良ければ…」
こうして俺と彼女の交際は始まった。
同じ職場内で交際していることを隠し通すはずだったが、人生の先輩方の察しは鋭く、すぐに勘づかれてしまった。
2人して師長に呼び出しを受けたが、特にお咎めはなく、公私混同しないようにとだけ忠告された。
交際は順調そのものだった。
コロナ禍ということもあり、極力外には出ずお家デートを楽しんでいた。
そして、俺が住んでいたマンションの契約更新時期を目途に、同棲することを提案し、心よく頷いてくれた。彼女は実家暮らしであるため、いつでも家を出られるとのことだったが、同棲をするにあたり、男としてのけじめを見せるため彼女の家族へ挨拶をしにも行った。
そんなこんなで忙しなく時間が過ぎ、今に至る、と目の前に座る同期2人に話し終えた。
「なんか…ええな」
「幸せのお裾分けをしてもらえると、こっちまで幸せになれる」
「それはそうと…がっくん、式は挙げへんの?」
「それな…悩んでるねん」
「彼女は何て言うてはんの?」
「聞いてないねん」
「…は?聞いてないって」
「婚姻届けだけ一緒に出して、そんでおしまい」
「うわ…彼女可哀そう…」
「んな事言われても、どうしたらええかわからへんねん」
「ウェディングドレスを彼女が着る機会も今後ないやろうし、その姿を見る機会もないんやったら着せてあげたらええやん!ご家族さんだって娘の晴れ姿、見たいやろうに…」
「うーん…。そう言うけど、立川たちだって挙げてないんとちゃうの?」
「俺らは…、挙げようと思って予約はしたんやけど、コロナの関係でキャンセルになったんやで」
立川の話を聞くところによると、コロナのパンデミック前に結婚式場の予約をしていたが、全国的なコロナ感染拡大に伴い、延期の提案をされたが、金銭面の負担が大きいことから、敢え無くキャンセルしたそうだ。
その代わり後日、ウェディングフォトの撮影はしたらしい。
「結婚式って、拘れば拘るほどお金かかるし、準備も大変やねんな…」
「そうそう…けど、私は花嫁衣裳を着れて良かった、って思ってるよ。ウェディングドレスってさ、女の子の憧れやと思うもん」
「憧れかぁ…確かにウェディングドレス姿は見たいなぁ」
「そこはちゃんと相談せんと!」
「せやな。貴重な話を聞かせてくれてありがとう」
「参考になればええよ」
アイスティーの入ったグラスが空になると同時に、話の区切りも良くなっていた。
和泉下が店内に吊り下げられた時計を確認したと思うと、
「浩ちゃん、ぼちぼち行こか」
「いい時間になったしな」
2人の雰囲気から、これからどこかに出掛ける用事でもあるのかと思い興味本位で聞いてみた。
「これから何か予定あんの?」
「うん」
「定期健診の日やねん」
定期健診…?
俺は頭の中である仮説を立てた。
そして、その仮説を立証するために和泉下のバッグを確認する。すると、俺が目にしたのは、見覚えのあるマークが施されたキーホルダーが、持ち上がった反動でゆらゆらと揺れている様子だった。
「おめでとう」
「あっ、気付いた!」
「それ…」
俺は見つけたマタニティマークを指さし、微笑んだ。
「今のところ順調やねん」
「今日ぐらいには性別がわかるかもって…」
「私は産まれるまでわからなくてもいいんやけど…」
「先にわかってた方が準備とかしやすいやん!」
「そうかなぁ…」
微笑ましく2人の姿を見ていたが、俺はふと思うことがあった。
もらったご祝儀、そのまま出産祝いとして返すことになるかもな…
同期との楽しい時間を過ごすことができた俺は、久々に心晴れやかな気持ちでいっぱいになっていた。
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