File29.荒んだ心
病棟に思わぬ訪問者がいると思い駆け寄ると、S8病棟の新人4人組が来ていた。
彼らの元へと近づいていく最中、なぜか嬉しさ半分と怒り半分の気持ちが込み上げてきていた。
「何しに来たん?」
「私たち、先輩を励ましに来たんですよ」
「は?…励ます?何のために?」
「
月島君が何かを渡そうとしていたが、そんなことは気にも留めずに俺は話を続けた。
「だったら来なくてもいいんじゃないの?」
「ちょ…楽人先輩、言い方きついっすよぉ」
俺自身、言われずともわかっていた
言い方がきつくなってること…、4人を睨みつけていること…
でも…でも…
「興味本位で来てるんじゃないの?俺からどんなふうにコロナ患者と接しているか聞いて、病棟で言いふらすんじゃないの?だって君らには関係ないことやもんな。所詮他人事だろうし…マップ上では満床だけど、実質15人なんて少ないじゃん、としか思ってないんじゃないの?」
どんどん言いたくないことばかり口走っていた。
ついさっき、じっちゃんと話して落ち着いたはずなのに…
俺は一体何を言ってるんだ…
気持ちとは反対の言葉を発している俺のことを、4人はやや怯え気味でただただ見ていた。
こんな姿…、今まで見せた事ないもんな…
「先輩…」
恐る恐る声を発したのは、一見ひ弱そうだが芯の強い西口さんだった。
「…ごめん」
「なんで謝るんですか?」
月島君が俺のことを心配そうに見ながら言った。
「俺…、戻るわ。せっかく来てくれたのにごめんな。じゃ…」
片手を挙げ、4人の顔を見ることなく俺は病棟へと入った。
「先輩…大丈夫かな」
「今はそっとしておいくのがいいんじゃないかな」
「あんな姿初めて見た…」
「他人事かぁ…そう言われてもおかしくないよな…」
俺は何とも複雑な気持ちのまま病棟へと入り、そのまま詰め所へと向かった。
俺が戻るなり、スタッフの視線を感じたが、俺は気にすることなく空いてる席へと向かい、電子カルテを起動した。
「さっくん、顔怖いよ」
そう言いながら隣に座ったのは、年齢的には2歳年上だが看護師歴は俺と同じ4年目の
「俺、主任に当たって頭冷やすために外の空気を吸いに行ったはずなのに、…さっき病棟の前まで来てくれた後輩にひどいこと言った…」
「あらまぁ。そんで傷心さっくんになってるの?」
「そう…。だからそっとしといて」
「それは無理なお願いだよぉ」
「…」
「だってさ、もうすぐしたら交代の時間なんやで。僕とさっくんペアで入るってさっき言ってたやろ?」
「えっ?んなこと言ってないけど!」
「あれ?…言ってなかった?」
「聞いてないで…」
「忘れてたんかなぁ。はははは。ま、ええやん!僕と一緒に感染エリアに行こうや!」
「…まぁええけど」
栗田の少しネジが外れたようなキャラが、今の俺にとっては救いになったのかもしれない。ただただパソコン画面を見て茫然と過ごすよりも、忙しく働く方が気が紛れるから…。
レッドゾーンに入っていた先輩方から患者情報の引き継ぎをし、栗田と俺はイエローゾーンへと入った。
PPEを装着しながらであっても、栗田は俺に話かけて来た。
「さっくん、今日さっくんの家に行く」
「は?」
「そうや!僕特製のパスタでもてなすわ!」
「もてなすんやったら、俺が栗田の家に行かなあかんやろ…」
「へ?」
「なんなん、そのとぼけた顔は…」
「僕、今ホテル生活やから料理できる場所ないねん…」
「ホテル生活も大変やろな」
「慣れればなんてことないけど、やっぱ寂しいよな…ってことで、今日はさっくんの家に行こう!」
「はぁ…わかった」
互いのPPEに問題ないことを確認し、レッドゾーンへと入った。先輩から引き継いだ点滴を繋ぐためにある部屋を訪れた。
挨拶を済ませ、点滴を繋ぐ準備をしていると、ふとベッドで横になっている男性から話掛けられた。
「こんな老いぼれの事、ほっといてくれたらええのに…」
「そうはいきませんよ」
「せやか言うたって、その点滴だって気休めのやつやろ?」
「…そうかもしれませんけど、しなよりマシやと思います」
「珍しい…、えらいはっきり言う人やな…」
「気に障ったのであれば謝りますけど…」
「
「…」
「…なんで儂だけ助かったんやろなぁ」
先ほどよりも弱々しい声が聞こえたため、俺は男性の方を見ると、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
――
症状:発熱、味覚障害、頭痛
意識レベル:問題なし
奥様と自宅療養をしていたが、奥様の急変を目の当たりにし救急要請され当院に運ばれてきた。搬送後間もなく、奥様の竹島かおるさんは死亡確認され、そのまま火葬場へと送られた。清彦さんもコロナに感染していると判り、そのままこの病棟へと入院された。奥様の最期には立ち会えなかったことを、今もこうして後悔されている。
「奥様の願いなんとちゃいますか」
「…願いか」
「1時間で点滴は終わりますので、また伺います」
「看護師さんも大変やのにな…こんな老いぼれでも…救うてもろた命を大切にせなあかんな…おおきに…おおきにね」
こっちまで泣きそうになるのを我慢し、俺は部屋を後にした。
レッドゾーン内の詰め所へと戻ると、巡回を終えた栗田が戻って来ていた。
「さっくん、おかえり」
「ただいま…」
「うわっ!今の…夫婦みたいやない?」
「何言うてんねん…」
「ははははは」
「ほら!まだやることいっぱいあんねんから、さっさとしてしまうで!」
「ほーい」
こうして栗田と俺はレッドゾーンで勤務時間を目一杯過ごし、勤務後に近くのスーパーで買い物をして帰ることになった。
「ってか、こうして一緒に飯食うとかあかんのちゃう?」
「今日くらいええの!」
「なんやねん、それ」
「なんでもかんでもアカンアカン、言われたら誰だって嫌気さすよ」
「それは…そうやな」
「せやろ。だから今日はええねん」
「栗田…、俺はたまに栗田の言ってることがわからんくなる」
「それよく言われる。でも、僕はあんまり気にしてない」
「それでええんか?」
「ええねん!」
なんとも言えないが、今の俺にとってはすんなりと受け入れられたのだった。
自宅では宣言通り、栗田が特製パスタと豪語していたが、完成したのはレトルトのミートソースをかけただけのパスタだった。
「特製パスタねぇ」
「そやで!特製パスタ!ちょっとだけ味変してあるんやで」
「ふーん」
「なんか不服そう…まぁ、美味しければそれでいいねん!」
「そやな」
完成したパスタを平らげ、そのまま夜遅くまで俺たちは話し込んでいた。
「僕な、もうすぐ子どもが産まれる予定なんやけど、事情言ってもコロナへの派遣は変わってもらえへんかってん。そんで、嫁さんにコロナ病棟行かなあかんのや、って言ったら笑顔でこの家には帰って来ないでね、って言われた。今でもあのちょっと怖い笑顔…忘れられへんわ…」
「事情言っても聞いてもらえへんなんて…」
「まぁどのみち、立ち合い分娩はできひんし仕方ないことやねんけど…それでもやっぱり派遣されたくなかったなぁ」
「俺も…本当はコロナ患者となんて関わりたくなかった。…断る余地がなかったからなぁ」
「ねっ!」
「それはそうと、出産日はいつなん?」
「確か…来月やったかな?いや…再来月か?」
「ちゃんと知っとかなあかんで!」
「そやな!」
他愛もない会話で盛り上がり、少しだけ荒んだ心は和んだ気がした。
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