File28.救える命の限界

コロナ感染を受け入れることになったK大学病院では、感染者拡大に伴い外来診療を患者の状態に応じて休診したり、オンライン診療へと切り替える準備をしていた。

コロナ感染病棟も開設して以降、受け入れ要請が多いものの1週間も経たないうちに満床となった。

始めのうちはスタッフのやる気も満ち溢れていたが、日を追うごとにスタッフの顔色にも疲労が伺えるまでになっていた。

それもそうだ…。インフルエンザのように特効薬があるわけではなく、効果があるかもしれない噂程度の薬剤で対応するか、症状に応じた対症療法しかできないのだから…。


病院内でもスタッフの感染が目立つようになった。それと同じ時期に、他部署のスタッフからコロナ感染病棟のスタッフへの嫌味な発言も多くなったようだ。


「コロナが病院内で流行ったのって、コロナ病棟のスタッフがこうしてウロウロしてるからじゃないの」

「更衣室も別にしてくれればいいのに」

「自分らだけ感染防備していいよね」

「こっちは標準予防策しかできひんのに」


心ない言葉は、時に人を傷つける。


こういうときに互いに鼓舞するべきではないのか、例えそうだと思っていても、本人たちを前に言っていい事悪い事くらいわかるだろう、と思いながら話を聞いていた。

こちらの言い分を言っていいのであれば、言わせて頂きたい。


病棟で入院されている患者が感染しました、ってなったときに率先してこちらに受け入れ可能か確認するの、やめていただきたい

電子カルテで病床マップを見れば、一目瞭然で受け入れ可能かわかりますよ?


ギクシャクしても、こうして強く反発できる者もいれば、自身の中に閉じ籠ってしまう者もいる。人間の性質を理解した上で発言をしてほしいものだ。


コロナに感染したスタッフ、心を痛めたスタッフが戦線離脱することで病院に訪れるのは、『医療逼迫ひっぱく』だ。これはほとんどの病院で言われていたはずだ。

病院は患者で溢れかえる一方、診察・看護できるスタッフがいないのだ。地域の診療所も臨時休診をしている所が多く、頼れるのは大きな病院だけであるためそこに集中してしまう。

未知なるウイルスに対抗する術がない中、基礎疾患を抱えている人は重症化しやすい、とテレビで専門家が発言すれば、多くの人は心配になるだろう…。正しい情報が何かわからない中、診察に訪れる人たちの対応はさぞかし大変だっただろう…。直接的に関わることがないため、何とも言えないのはこれまた仕方のない事実である。


感染者の治療を優先するため、多くの大学病院では命の選択トリアージが始まったと言っても過言ではない。

がん患者の手術の日程が延期されるていると風の噂で聞いたことがあった。そして何より、俺たちの心を痛めたのは、目の前の命が救えないことだった。


俺が働いている感染病棟でも、心臓病を患っている高齢の患者が急変したため、緊急手術が必要となったものの、年齢的なことからそのまま手術はせずに看取ることになった。そしてこの方は急変した翌日、息を引き取ったのだ。

この方に限らず、基礎疾患抱えている高齢者には予め、急変時に救命処置を行わない意志確認DNARを本人並びに家族へ説明し、同意を取得している光景を何度も見ていた…。


「こんなこと、おかしくないですか?」


俺は我慢できず、主任看護師に思いの丈を吐き出していた。


「おかしいとわかっていても、私たちにはどうすることもできないの…」

「くっ…なんでっ…」

「他のスタッフからも佐久山くんと同じような事は聞いているのだけど…先生に言っても、じゃあどうすればいいと思うのですか、って言われるだけだし…」

「俺は…悔しいですっ!」

「…佐久山くん」

「始めっから延命処置の事を聞くこともそうですし、基礎疾患の悪化があっても対応できないと言われることもそうです。前提にはコロナウイルス感染者だから…それが何なのですか!俺たちはここで命と向き合ってるのに、救う手段がないなんておかしいですよ!目の前で亡くなっていくのをただ看ているだけなんて…コロナにさえならなければ、救われた人がいるんですよ…こんなの…残酷すぎる」


感情が爆発していた。

これまでの我慢が一気に弾けた。

詰め所にいるスタッフが俺に注目しているのはわかっていたが、そんな事は気にもならずにただただ吐き出していた。

それが無意味だと解っていても…。


主任は何も言わなかった。いや、何も言えなかったのだろう。なんて声をかければいいかなんて、誰にもわからないのだから…。


「ちょっと頭冷やしてきます」


そう言い、俺は病棟から程近くにある病院の駐車場裏へと向かった。

人目が行き届かない場所に着くなり、俺はその場でしゃがみこんだ。


「俺、なんであんなに熱くなってしまったんだぁ」

「それが本心じゃろ」


俺の横で、同じようにしゃがみこんだじっちゃんが話しかけてきた。


「病院には来るな、って言ったはずやけど?」

「最近のお前さんはどこか心配でのぉ」

「何だよそれ…」

「久々に吠えたみたいじゃの」

「久々って…はぁ?俺がいつ吠えたって言うんだよ」

「自分の胸に手を当ててよう考えてみぃ」

「…んなこと言われても知らねーわ」

「先ほどの話じゃが…何もお前さんだけが思っている訳ではないはずじゃ」

「うん」

「命とは儚いものじゃ。いつ、どんな時に命が尽きるか、誰にもわからんことじゃ。まさに神のみぞ知ることじゃからな」

「…」

「お前さんの言いたいことはわかるが、お医者様もお医者様で苦しんでるのではないか?」

「へっ?」

「救いたくても救えない、救う術がわからんのじゃろ…。そういう点では医者も看護師も関係なく苦しんでることだと思うがな…」


言われてもみればそうかしれない

何も俺たち看護師だけが苦しい思いをしている訳ではない


そう言われると、少しだけモヤモヤしていた心が晴れた気がした。


「そう…だよな。俺らだけじゃないよな!」

「そうじゃ」

「じっちゃん、ありがとう」

「わしゃぁ、何もしとらん」

「うしっ、戻って仕事だ仕事!」


俺は病棟へと戻るため立ち上がり、急いで病棟の入り口まで向かう。入り口までたどり着く直前、病棟の入り口近くには見覚えのある姿があった。


「楽人先輩~」


俺は、呼ばれた後輩たちの元へと駆け寄った。

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