File26.不本意な異動

スマホの着信音で目が覚めた俺は、画面に表示されていた時間に驚いた。


「やっば…もう20時やん」


着信相手が誰だろうと気にならなかったが、こんなにも遅くまで寝ていたことに驚いていた。

寝すぎたせいか一瞬の隙に再び睡魔が襲ってきたが、着信が来ていると気付き慌てて電話をとった。


「楽人~急にごめんね」


電話の相手は姉貴だった。


「いや…夜勤明けで帰ってから今まで寝てた。姉貴の電話で目ぇ覚めた」

「今まで!?」

「うん…ってか姉貴が電話してくるって珍しいじゃん」

「ちょっと楽人のことが心配になってね…」

「姉貴が心配することなんて…」

「聞いたよ」

「…は?」

「コロナ感染病棟に派遣されるんでしょ」

「な、…なんで姉貴が知ってんの?」

「友達から聞いたの」

「あ、そういうことね…」


姉貴には病院内にわりかし友人がいるみたいだ。その友人伝いで情報量を得たと…

看護師間では情報は出回ってないのに、医師間の情報伝達は早いな


「私、楽人に何て言えばわかんないんだけど、なんか心配で電話しちゃった」

「その気持ちだけでええよ、ありがとう」

「どうなるかわかんないけどさ、無理だけはせんとってな」

「おう。姉貴はもう放射線治療始まってるんだっけ?」

「うん。あててるとこ、乾燥しまくりよ。かっさかさ」

「姉貴こそ、感染うつらないようにな!」

「ご心配いただきありがとうございます。またね!」


実家に帰省して以降、こうして家族と気兼ねなく連絡を取り合えるなんて思いもしなかったが、家族とはいいものだな、と寝起きの頭で感じていた。



数日が経過したある日。

病院全体にコロナ感染病棟の開設ならびに派遣される医師、看護師の発表がされ、内容を聞いていたS8病棟スタッフの反応は想像通りだった。


心配しているようでスタッフの反応を見る限り、自分じゃなくて良かった…と思っているのだろう、と同僚に対して邪な感情が込み上げていた。


正式な異動日が決まったと連絡を受けたものの、公式な発表ではなく内密にされていたことになんだか虚しさを感じていた。

本来、部署の異動が決まると『〇月×日付け異動予定者』として貼り出されるはずなのだが、今回は異例の措置のようだ…。


全員が希望じゃないもんなぁ

自ら進んで希望なんてしなよな…


3月2日、気怠い身体を無理くり起こして出勤。

俺はこうして自分の意見を聞かれないまま、コロナ感染病棟へと不本意な異動をしたのだった。

集まったスタッフのほとんどは、俺よりも経験年数が上の先輩方が多かった。その中でも、ひと際やる気に満ち溢れている先輩が俺たちを鼓舞するかのように話し始めた。


「皆さん!本日より、よろしくお願いいたします!今までは接点がなかった人たちも多数おられると思いますので、まずは自己紹介からしましょうか」


熱血先輩から時計回りで簡単な自己紹介が始まった。

氏名、前部署、経験年数、挨拶をそれぞれ順に行った。意外だったのは、経験年数のばらつき加減が大きかったことだ。上は看護師歴30年目で下は3年目と…。唯一の救いは後輩がいることだろうか。


「それでは自己紹介も終わったことですし、これからについてお話しますね」


そう言うのは、コロナ病棟の師長を務める河口師長だ。


「ここの病棟ではスタッフの人数に限りがあります。今までは変則2交代制で勤務していただいておりましたが、ここでは2交代制で回していきます。日勤と夜勤のみで勤務を調整します」

「まじか…」

「夜勤16時間なんていつぶりやろ」


2交代制という事は、今までと変わりないってことか、と思いつつも勤務形態が院内でも違うのかと疑問にも感じていた。


「本日は全員日勤となりますが、来週からは夜勤もしていただきます。今週いっぱいでこの病棟のゾーイング、コロナ感染患者さんを入室させる段取り、書類関連の説明、PPE(個人防護服)の着脱確認をします。時間はあまりありませんので、皆さんで協力していきましょう」


こうして怒涛の1週間が始まったのだ。

病棟入り口は2重扉へと改造され、病棟自体が陰圧管理される構造となっていた。

1つ目の扉手前までがグリーンゾーン。防護服なしで行動可能な場所。そしてスライド式ドアを開けた先がイエローゾーン。ここでPPEを装着し入室。必ず看護師2名で入り、お互いのPPE装着具合を確認するようにと念押しされた。PPEの中でもN95マスクだけは避けたかったが、空気感染のリスクもあるため避けられない装備となった。物資の数に限りがあることから1度入室すると極力出ないように、とも説明された。2つ目の扉の先はレッドゾーン。危険極まりないエリアということだ。


なんか映画で観た事あるような雰囲気があるな


患者さんとも極力接触は控えた方が良いと言われていたが、ケアをするにあたり接触しないわけにはいかないだろうと思い、淡々と説明されることを聞いていた。


看護師の役割としては、日ごろの体調確認目的でバイタルサイン測定(体温、脈拍、血圧、酸素飽和度)、食事の温めから提供、介助が必要な患者への対応、エリア内の掃除、シーツ交換などすることはたくさんあった。レッドゾーンに持ち込んだ物は基本的にそのエリア内で処分することになっていたが、患者が持ち込んだ物に関しては各エリアでビニール袋に入れ、2~3重にして持ち出し可能とすることになった。


各エリアからの出入りをする際には、同時に2つの扉を開けないように大きく注意書きまでされた。両方の扉が開くことで陰圧管理している意味がなくなってしまうためであり、全員が同じ認識で働けるようにするためだ。


確かに…何のために2重構造にしているのだ、って話になるからな


厄介だったのは水回りの対応だ。

排泄物が感染源にもなる、という情報があり、トレイ内では排泄物を流すことができないようになっていた。代わりとして導入されたのが、排泄物を容器の中で固める作用のある使い捨て排泄物袋だった。入室される患者に使用方法を説明し、患者自身で設置から処分までしてもらうことになった。

そしてシャワー問題。

基本的に、このコロナ病棟へと足を踏み入れた患者はシャワーには入れない。そのため、使い捨ての大判おしぼりと水のいらないシャンプーで対応することになった。


色々と覚えることが多すぎる…

これを息苦しいN95マスクを着けて説明するなんて…こっちが酸欠になる


看護師の待遇についても色々と考えられていた。

家庭の事情で自宅への帰宅が困難なスタッフには、近隣のビジネスホテルへの宿泊が可能になるとのことだが、宿泊代は一部自己負担となるとのことだった。院内スタッフ専用のシャワー室もコロナ病棟のスタッフのみ使用可能となるなど、聞こえだけはいい待遇だった。


俺自身はもともと1人暮らしをしているため何の恩恵もないが、こういう時は独り身で良かったのかもしれない。



…そして誰も待っていない情報が入ってきたのだった。







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