File22.治療のフルコース

市立病院へ紹介してもらい、改めて治療に関する説明を父と共に受けた。

そんな中、市立病院で担当していただくことになった森田医師は、ニノ山医師の後輩であることがわかり、初めて会ったにも関わらず親近感を覚えた。


「ニノ山先生、病理検査がこっちでもできるようにプレパラートを送って下さったんですよ。それに、画像データとかも全部揃えているなんて…さすがです」


同じ医師として、私も目標にしたい医師の1人になっているとは…言わないでおこうと思った。


手術の日程に関しては2週間後に決まった。運良くその日だけ乳腺外科の手術枠が空いていたようだ。

早くできるにこしたことはない、そう思う反面、仕事の引き継ぎを早急にしなければ、という焦りもあった。

5月のゴールデンウィーク突入前、私は事情を伝えた先輩医師と医局のトップである病棟長へと改めて病気の事、治療の事を伝えた。同僚へ引き継ぎも終え、私は長期休職をすることにした。市立病院へは実家からも通院できることも踏まえ、1人で住んでいたマンションから実家へと戻ったのだった。


長年付き合っていた彼には、病気の事を伝えて以降連絡が取れなくなった。

同じ医師として切磋琢磨するうちに惹かれ合ったが、所詮は健康的な女性が良いという男の心理なのだろう。同じ病院じゃないだけましと思いつつも、やはりショックは大きかった。彼なら受け入れてくれるだろう…その考えが甘かったのだ。病気になりショックを受け、彼に受け入れてもらえないことで更にショックを受けた。


この先、どれほどのショックを受けなあかんのやろ

お先真っ暗じゃん


そう思いつつ、私は実家で荷物の整理をしていた。

父も、私が帰って来ることを見越してか、部屋の掃除をしてくれていた。もともと使っていた自室もキレイなままだった。


迎えた入院日。

希望通り、個室への入院となり私はほっとした。K大病院よりも規模は小さいが、建て替え後であることから建物自体は新しく、病室内も清潔そのものだった。働いている看護師は若手が多いようにも思えたが、それなりの経験年数の看護師もいるようだ。

入院時、患者情報をデータとして残すために色々と聞かれた。その中で、職業をあえて医師と言わず、事務員とだけ伝えた。気を遣われても困るため、隠し通すことにした。

病人として過ごす時間は、いつも以上にゆっくりだった。麻酔科受診と婦人科受診以外は何もなく、こうしてゆっくり過ごすのはいつぶりか考えたり、持ち込んだ本を読んで過ごしていた。

夜が明け、手術当日。早めに来ていた父と看護師に付き添われ、手術室まで歩いて行った。家族は入り口までとの決まりがあり、到着するとこれまで無口だった父が口を開いた。


「美里、頑張るんだぞ」

「私は寝てるだけ。頑張るのは先生だよ」

「ははは、確かに」


ほっこりとした会話を終え、手術台へと上がった。


普段は医師目線で見ている景色も、患者目線で見るとこんな風に見えるのか…


手術台に横になると、術中担当の看護師、麻酔科医、担当医が挨拶をしに来た。

患者氏名、最終術式確認、手術予定時間は約5時間、手術室内スタッフ全員で確認を終えるころ、私は眠りについたのだった。


目が覚めるといつのまにか病室に戻っていた。


「なかなか目を覚まさないからどうしようかと思いました」


日中に見かけた看護師とは違い、やや年配層の看護師…よく見ると名札の横には副師長バッジが付いており、主任看護師であることがわかった。


おそらく日頃の疲れが蓄積していたせいで麻酔がよく効いたのだと思います


心の中で返事をしつつも、起き上がろうとする私を主任看護師は言葉で制した。


「だめだめ!今日はベッド上安静です!大人しく寝ててください。ベッドを上げるのは少しにして下さいね!」


手術当日はベッド上安静なのはどこでも同じか…

にしても、よく患者が言う、膀胱留置カテーテルはイヤなもんだな


「バルーンは明日しか抜いてもらえないのですか?」

「安静が明日までなのでそうですよ」

「…そうですか」

「気になるのがそこって…珍しいわね」

「と、言いますと?」

「普通は、胸が無くなってショックを受けるとか、痛みが強いだの、腕を上げにくいとか言うはずなんだけど…バルーンを始めに気にする人なんて初めてだわ!ははは」


身体にとっては異物ですからね…

早く取り除いて欲しいわけですよ…


そんなことを思いつつも、献身的かつ迅速な看護をする主任はさすがだな、と感心していた。


手術翌日。

朝の申し送りが終わり、看護師たちの巡回が始まった。2人1組でパートナーシップ制を取り入れているK大病院とは違い、ここでは1人の看護師が複数の患者を受け持っていた。だが、術後の患者に関しては2人の看護師が付き添うらしい。

私が1番望んでいた尿道バルーンを抜くのは、しっかりと歩けているかを確認した後だった。抜くときは少しの気持ち悪さがあったが、気持ち的にすっきりした。

手の甲に点滴ルート、術創部にはガーゼと余分な血液・体液を抜くためのドレーンを持ち、私はしばらく過ごしていた。

左胸にじんわりと痛みはあったが、薬を飲むほどではなく腕を上げる運動も取り入れ、気付けば1週間の入院生活は終わりを迎えていた。


退院後も腕上げのリハビリを続け、最終的な病理結果を聞くために市立病院を訪れていた。


「最終的な病理結果が出ました。以前、ステージⅡとお伝えしていたのですが、がんの大きさが思いのほか横に広がっていたことを踏まえ、ステージⅢとなります。リンパには飛んでいませんでしたので、そこは安心して下さい。今後の治療なのですが、元々お伝えしていた抗がん剤4クールに追加で4クール、しようかと考えています。抗がん剤治療と併用してホルモン療法を始めますので、採卵が終わってから改めて日程調整をします」


私は治療方針で抗がん剤の追加を言われても何ら衝撃は受けなかった。


どうせ、元々の抗がん剤…脱毛は逃れられへんしな


こうして術後治療が始まった。

女性ホルモンを抑制するホルモン療法・抗がん剤は、自然と排卵する機能を停止してしまうため、事前に排卵誘発剤等を使い凍結保存すると決めていた。

不妊治療でもよくされることだが、排卵できる数には上限がある。だが、がん患者には上限があっても通常より多いため、私自身も20個の卵子を凍結することができた。国の助成金や保険会社の助成を受け、負担を少なくすることができた、のはいいのだが、自分自身で調べなければならないのはどうかと思った。


治療を進める中で始まった脱毛、全身倦怠感、食欲不振…教科書通りの症状がそのまま出ていた私は、自宅で父には見られないよう自室に籠っていた。

病気の事を知ってから父が過剰に心配するようになったことに迷惑していたからだ。親ならではの心配なのはわかるが、過保護すぎるのは…私には無理だった。

症状が落ち着いた頃に抗がん剤を入れ、また同じような副作用に襲われる…けれども身体とは不思議なもので、繰り返すことで次第に慣れていったのだ。


年内いっぱいは抗がん剤治療をし、年が明けてから放射線治療が開始となる。

父も何を思ったのか、楽人に実家に帰ってくるように伝えた様だ。


「楽人にも伝えよう」

「そうだね…一応あれでも看護師してるし…」

「私たちは家族だ。楽人だけ知らないのはよくないと思うんだ」

「ま、そうかもね」

「年が明けたら帰って来るように伝えてある」

「やること早っ!」

「楽人、驚くだろうな…」

「私のことなんて何とも思わないでしょ」

「あの子は根が優しい子なんだ。お前も知ってるだろ」

「…うん…まぁ」

「久々に家族が揃うんだ。天国にいるお母さんも、おばあちゃんも、おじいちゃんも喜ぶよ」

「そだね」


こうして迎えた新年、1月4日。

楽人が帰省して私の姿を見た時の表情…写真に撮っておきたかったなぁ



美里編 終







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