File20.心境の変化

長いようで短い1週間。

仕事に支障をきたさないように努力するも、考えてしまうのはやはり病気のことだった。空いている時間を見つけては専門書を読み、色々な論文に目を通していた…。

傍から見れば真面目に勉学に励んでいるようにも見えるが、自分自身のことを調べているだなんて誰も思わないだろう、と何食わぬ顔で過ごしていた。


父とともにクリニックを訪れ、診察を待っていた。

この日は、午後の診察はなく受診する患者の数も少なかった。最後の1人が診察を終えるまで待合室で待ち、いよいよ呼ばれる時が来た。


診察室へ入り、二ノ山医師への挨拶を終えてふとパソコン画面に目が行ってしまった。そこには、外部に出していた病理検査結果が記され、同じ画面上には病名がはっきりと出ていた。


病理結果 IMPCa:浸潤性微小乳頭がん


浸潤がんかぁ


乳がんは主に、非浸潤がんと浸潤がんの2つの種類がある。簡単に言うなれば、がんの塊が一か所に集中しているか、塊を破って周辺に広がって点在しているか…である。


私の場合、がん細胞の組織を検査したところ、浸潤がんにあたるという結果だった。非浸潤がんであれば、がん細胞を部分的に切除するだけで良かったのだが、浸潤がんともなれば、どこまでがん細胞が広がっているかで治療方針が変わる。


浸潤じゃない方が良かった…


二ノ山医師が私の反応を見て何かを察したようだった。


「先週に検査をさせていただいた結果がこちらです」


そう言いながら、パソコン画面を父と私に見せた。


「病理検査結果からわかるのは、がんの種類だけです。佐久山さんの場合、がん細胞がどの程度広がっているかわかりませんし、細かな検査をしてから最終的な治療方針をお伝えしようと思っています。検査でいただいた細胞をより詳しく調べるのにまた1週間はかかりますが、その間に画像検査もしておこうと思います」


医師の話を聞き、これまで大人しかった父が口を開いた。


「先生、娘みたいに若い人でも乳がんになるんですか?」

「そうですね…少なからずおられます。乳がん発症の時期は、だいたい閉経してからが多いのですが、佐久山さんのように若くして発症される方もおられます」

「…治りますか?」

「乳がんは比較的発見が早ければ治ると言われていますよ」

「そう、ですか」


医師の話を聞き、父は少し落ち着いたようにも見えた。

そして画像検査(造影MRI)の日程が組まれ、改めて来院することになった。時間をかけて患者の気持ちに寄り添うために、あえて他の患者が帰ってから話をしたのだと後で気づいた。

クリニックからの帰り、父は私に尋ねてきた。


「楽人には言わんでええのか?」

「今はいいや」

「…そうか」

「別に、お父さんから言ってくれてもええねんで」

「父さん、よう言わんわ」

「…そうやろね」


しばらく黙ったまま狭い道を歩いていた。


「どっか食べに行くか?」

「今日はええわ」


診断結果を聞き、私自身が思っていた通りの結果だったことに思いのほかショックを受け、食欲なんてどこかにいっていた。


「…来週、また来るわ」

「うん。今日はありがとう。駅まで送ろか?」

「ええわ。せっかくやし、この辺をぶらぶらして帰るわ」


片手を振りながら父は私の前を足早に歩いて行った。

その背中は子どものときとは違い、小さく見えた。


父を見送ったあと、真っすぐ自宅へと戻った。

パソコン画面を開けると、職場専用のアカウント内に複数のメールが入っていた。上司、同僚から仕事のメール、研究チームからの進捗メール、企業からのメルマガ…。それらに目を通しながらある事を考えていた。


仕事…どうしよっかなぁ

まず上司に言わなあかんやろな…

それもこれも、来週の結果が出てからでええか


ソファに顔を埋め、私は何も考えずにしばらく過ごしていた。

いつもならメールの返信や症例の振り返り、受持ち患者の疾患に関する勉強をしているのだが、この日は何もしたくない、という思いが強かった。


どのくらいの時間が過ぎたのかわかないが、突然スマホが鳴りだした。

画面を覗くと、そこには『はやて』の文字があった。

颯こと、古川颯は医学部時代から付き合っている、私の恋人だ。


颯…電話なんて珍しい…

でも今は話したい気分じゃないねん


電話に出ることはせず、そのまま呼び音が消えるのを待っていた。彼にも伝えなければ…そう思いつつも、このことを言うことで今の関係が終わったらどうしよう、という不安もあった。


なんで私が…


頭で何度も何度も反復していた。


こんな精神的に不安定な状態が続く中でも、患者は待ってくれない。

気持ちを切り替え患者と接するも、やはり自分自身と目の前の患者を比べてしまう私が許せないでいた。


人は人、私は私


そう思っていても、心ここにあらずな対応になっていたのかもしれない。


「先生、大丈夫ですか?」


外来診察で何人もの患者に言われてしまった。

そのことが上級医である先輩に伝わり、程なくして呼び出しを受けたのは言うまでもない。



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