美里編

File19.美里の覚悟

佐久山家の長女として産まれた私こと佐久山美里みり

両親の愛情いっぱいに育てられ、2年後には弟の楽人が産まれた。小っちゃくて可愛い弟の存在はかけがえのないものとなった…。

でも、楽人が産まれて1年後…母は天国へと旅立ってしまった。

まだ幼い楽人は母親がいなくなったことを受け入れられず、夜泣きがものすごくひどかった。そんな楽人を父は甲斐甲斐しくみていた。日に日に父の顔色も悪くなり、仕事と家事・育児の両立が困難な状況にまで陥っていた。そんな時、父方祖父が父のことを見兼ねて家に来るように声を掛けたみたい。もともと祖母が早くに亡くなっていたため、祖父も寂しかったのかもしれないなぁ。


こうして祖父、父、楽人、私での生活が始まったのだけど、楽人は相変わらず夜になるとぐずっていた。父は引っ越しを機に在宅勤務ができる職へと転職し、部屋に籠ることが多くなった。そのせいもあってか、楽人の我儘度が格段にアップしていたような気もする。

でも、楽人の傍に祖父が一緒にいることで我儘度も段々と落ち着いてきたのには、父も私も驚いていたのを今でも覚えている。


家族みんなで仲良く、っていうのが理想だったけど…、それは理想に過ぎないんだ、って後々に気付かされた。


反抗期。

これがまぁ厄介。私は父の苦労している姿を見ていたから、そこまで反抗することはなかったけれど、楽人は酷かった。


喧嘩っ早いというか、短気なのか…、よく怪我をして帰って来ていた。怪我の手当をしようとしても、よく手を跳ね除けられていた。


姉弟仲が良いとは言えず、いつの間にか私も楽人とは距離を置くようになってしまっていた。私は大学へ進学するとともに実家を離れ、楽人は専門学校へ進学を機に実家を離れた。実家を出るときでさえ、楽人とは顔を合わさなかった。ろくに連絡も取り合わず、楽人が看護学校に通っていると知ったときには驚いた。


あの楽人が看護師!?

あり得ないでしょ


何度も父に言ったことがあった。


「お前だって医学部ってこと楽に言ってないだろ」


確かに…


そして何年もの時間が過ぎ、祖父が亡くなった事を知った。葬儀には出席したが、3回忌の時にはどうしてもはずせない用があったため実家に帰省できなかった。


きっと帰らなかったからバチがあたったんだろうな…


研修医期間を終えた私は、乳腺外科の医局を希望した。

女性の約9人に1人が乳がんになると言われており、1人でも多くの乳がん患者を救いたい、との思いから乳腺外科を選んだ。

医師として経験を積むために先輩医師から技術を学び、専門書で知識を深めて過ごしていた。


そんな矢先、私自身が乳がんになった。


異変を感じたのは昨年5月のこと。

もともと月経周期が乱れており、今回もなかなか来ないなぁ、と思いつつ月経前症候群(PMS)がないか確認するために左胸に触れてみた。


コリッ


こぶ状に触れるものがあった。

まさかな、と思いつつ反対の胸に触れるも、左胸に感じたようなこぶは無かった。


えっ、嘘だよね…


頭によぎるのは“乳がん”だった。

乳がんの発症は閉経してからが多いが、中には若年で発症する場合もあるため、私は念のため…との思いで近隣にある乳腺クリニックを受診した。


「今日、マンモグラフィができる技師がいなくて、先生の触診とエコーでしか対応できないけどいい?」


受付でそう言われたが、それでも十分だと思い頷いた。

検査がしやすいよう、このクリニックでは事前に検査着への着替えがあった。名前を呼ばれた後、着替えを済ませ診察を待っている中、周りを見ていると私よりも年齢層が上の人が多い印象を受けた。


やっぱりそうだよね…

閉経して女性ホルモンが乱れることで発症しやすいもんね


そうこう考えていると診察室へ呼ばれた。


「初めまして。担当します医師の二ノ山です。今日はどうされました?」

「月経が来ないと思い、胸の張りがないか確かめるために左胸を触ってみたら、しこりみたいなのがありまして…」


その事を聞いた二ノ山医師は触診を始めた。


「たしかにここになんかあるね。エコーしてみようか」


診察室のベッドへと誘導され、そのまま横になった。

しばらくエコーで画像を見ていた医師が急に同席していた看護師に声を掛けた。


「CNBの準備して」


CNB:専用の針をしこりに刺して組織を切り取る針生検


このワードを聞いたとき、私の頭を過ったのはやはり乳がんの可能性があることだ。

看護師がせっせと生検の準備を進める中、二ノ山医師はこれからすることを私に告げていた。


「今から局所麻酔をして、組織片を検査に出しますね」

「はい」


それが精一杯の返事だった。

左胸に針が刺さる痛みはあまり感じなかったが、生検用の針が刺さった時にはなんとも言い難い鈍痛があった。


バチンッ


大きい音がしたと同時に、二ノ山医師が何やら焦り始めた。

ふと医師の方を見ると、医師の袖口に何やら液体が付着していた。そして付き添っていた看護師が慌ててガーゼを当てていた。

どうも乳頭から液体が出てきたようだ。


これは確定だなぁ


知識と今の状況を照らし合わせ、私は確信した。

検査を終え、身なりを整えていると、二ノ山医師は私にこう告げた。


「検査結果が出るまで1週間はかかります。次の診察の際には、ご家族にも同席をお願いしたいです」

「わかりました」


クリニックの帰り道、私は父へと連絡を入れた。


「もしもし」


父の声を聞いた瞬間、思わず私はその場で泣き崩れてしまった。電話口で私の名を呼ぶ父も、何事かと心配していたのを今でも鮮明に覚えている。


「取り乱した…ごめん…」

「何があった」

「お父さん、来週ってこっちに来れそう?」

「あぁ大丈夫だ」

「私ね、乳がんかもしれへん」

「… …」


父の息をのむ音だけが聞こえ、しばらくの間沈黙が続いた。


「その…かも、ってことは…違うっていう可能性もあるのか?」

「多分確定やと思う。診てくれはった先生の反応とか、私に出てる症状が一致するねん」

「なんで来週なんや?」

「生検の結果が出るのに1週間かかるねん」

「…そうか」

「家族も一緒に、って言われたからさ…」

「…そうか。…わかった」

「驚かしてごめん」

「美里、1人で大丈夫か?」

「大丈夫。彼氏もいるし」

「…そうか」

「また連絡する」

「ん」


電話を切った途端、寂しさが込み上げてきた。

父には心配かけないでおこう、そう思っていたのに…。結局冷静ではいられずに取り乱してしまった。


お父さん、びっくりしたやろな…

まさか娘も母親と同じがんに罹るなんて思わへんもんな


今回の検査結果が出るまでの1週間は、今までに感じたことがないくらい長い1週間となった。



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