File13.情報収集のコツ

朝からツイてないことばかりだ。

職場のドアでケガをするわ、1年目さんが受け持つ患者さんは、何かとイベントがあるわ…。正直、俺1人で対処なんてできねぇ、そう思いながら俺は詰め所へ足取り重く歩いていた。


詰め所へ戻ると、陰気な雰囲気漂う一角があった。ふとそこに顔を向けると、誰が見てもわかるくらい、凹んでいるいる後輩の姿があった。

俺は彼の元へとゆっくり近づき、隣の椅子へと腰掛けた。


「牧田君」


その声に牧田君は反応した、が、生気がない。


「佐久山さん…俺…あの時、何もできなかったです」

「知ってる」

「どうすれば良かったのでしょうか…」

「うーん。まず、どうすれば良かったかを考える前に、何が足りてなかったかを考えないと」

「…情報が取れてなかったです」

「そだね。井上さんの情報で、どんなことを取るべきだった?」

「術後の経過…です」

「牧田君が普段、どんな風に情報を取ってるかわからないけど、他のスタッフからも結構、情報収集量が足りないって聞くねんな」

「…はい」

「とりあえず、今は患者さんのベッドサイドに行くことが大事だから、一緒に行こ。金城かねしろ先生からは、点滴を一旦中止にして、経口摂取をすすめることで様子を見ることになったから」

「…はい」


俺は、終始落ち込み気味の牧田君に、優しく声をかけながら行動するように促した。いくら凹んでいようと、患者さんは待ってくれない。となれば、すべきことをしてから反省するに越したことがない、と常々思っていた。

自分自身の失敗は、自分自身で解決しないと成長に繋がらない、俺自身もそうだったように、今は牧田君を動かすことに専念した。


井上さんの部屋に行くと、先ほどまでとは打って変わって、ベッドの上で寝息を立てて休んでいた。


「井上さん」

「んん…」

「井上さん、起きて下さい。今寝てしまうと、夜眠れませんよ」

「う…ん…」

「井上さん」


俺は井上さんの身体を揺すり、覚醒を促した。

しばらくすると、重たい瞼を開け、俺たちの姿を確認した。


「あら、もう朝?」

「お昼前ですよ、もうすぐお食事も来ますから起きて下さい」

「うーん、そうね…」


朝の訪室時とは、まるで人が変わったかのように素直な井上さんの姿に、俺と牧田君はほっとした。

幸いなことに、術中に新たに作成した回腸導管も、術後体内に余分な血液が溜まらないように留置していたドレーンも抜けることはなかった。


「井上さん、今朝のこと、覚えておられますか?」

「今朝の、こと?」

「はい」

「何にも覚えてないわ」

「そうですか」


これが、術後せん妄の特徴だ。患者さんは一切覚えていない…。

だが、それがきっと患者さんにとっては良いことなのかもしれない、と俺は思っていた。もしも患者さん自身が覚えていたのであれば、罪悪感に苛まれる人もいるかもしれないからだ。看護師だけでも覚えていればいいことだろう、と心の中で思いながら、俺と牧田くんは必要なケアを行った。


術後はしばらく入浴ができないため、温かいタオルで清拭することになっていた。女性患者さんの中には、男性看護師の清拭を断る人もいるが、井上さんの場合は『もう年だから気にしないわ』と言われており、今日もこうして清拭をすることができている。こうして清拭をすることも、看護には欠かせないことだと常々後輩には言ってきた。身体の皮膚状態に変化はないか、術後ドレーンを挿入している箇所に水膨れはできてないか、テープかぶれはないか、清拭ひとつでもこうして情報量は入ってくる。俺はこのことを牧田君に伝えながら、一緒にケアを行った。


「井上さん、また何かありましたらナースコールでお知らせくださいね」


そう言い残し、俺と牧田君は部屋を後にした。


「今日のスケジュールはどんな感じで組んでる?」

「今日はストマ装具交換がありますので、お昼からしようと思ってます」

「昼の時間帯によっては、術後帰室の人がいるから、具体的な時間が決まれば教えて。調整が難しかったら、他のスタッフにお願いするかもしれへんし」

「わかりました…」


いつまでもテンションの低い牧田君に、俺はどう声をかけていいのかわからなかった。だが、いつまでもこのままだと、周りに影響が出かねない、ましてや患者さんに迷惑だと思い、俺は心を鬼にして牧田君へと声をかけた。


「牧田君」

「…はい」

「いつまでそのテンションでいるつもり?」

「……」

「なんなの、かまってちゃんなの?」

「…へっ?」

「いくら何でも引きずりすぎやで。気持ちはわからんでもないけど、しっかりと切り替えて!!学生じゃなくって、一応、資格を持ったプロなんでしょ!!」

「そうです…けど」

「何が足りてなくて、どうすべきだったのか、次同じような事をおこさないために何に気を付けるべきか、すぐ考えてすぐ反省して」

「えっ、はいっ」

「いつまでも陰気な空気纏うのやめて、こっちまで陰気になる」

「……」

「返事は?」

「はいっ」

「さっさと休憩行くで、昼からも忙しいんやから!!」

「はいっ」


〈あぁ、やってしまった。だが、結果よしとしておこう。いつまでもこんな陰気な空気を纏ったままだと、他に影響がでてしまう…。誰かが言わなければ、っていつも俺の役目だけどなぁ…〉


俺自身、物事をはっきりと言う性格であるため、これまでにも何度も何度も言い過ぎて、その度に後悔をしていたが、今回ばかりは正しい事を言った、と心の中で思っていた。


その人にとって足りていないことを指摘するのも時には大事、だが言い方は考えないとならん


ふと、じっちゃんが言ってことを思い出しながら、俺は昼休憩をとることにした。

〈昼からも長くなりそうだなぁ…〉


コンビニで買ってきたカップ麺に湯を注ぎ、スマホ画面を見ていると、向かい側に座ってきた牧田君が話かけてきた。


「佐久山さん」

「ん?」

「佐久山さんって、普段どんな風に情報を取っているのですか?…参考までに教えて下さい」

「俺のやり方聞いてどうすんの」

「……」

「やだぁ、先輩、牧田君に冷たーい」


そう言いながら近づいて来たのは、原君だった。


「冷たくしてない」

「えぇ、今のは冷たいですよぉ」

「…はぁ」

「まこ、もういいよ」


牧田君は、原君に隣の席に座るように手で椅子をポンポン、とした。隣に座った原君は、買ってきたばかりのおにぎりのフィルムを剥がし始めた。


「言っとくけど、俺のやり方を聞いたところで、同じように情報収集はできない、って意味で言っだけだから」

「…はい!」

「情報取るときには、何の疾患で、何のために入院されているのか、どういう治療を受けられているのか、何の薬を飲んでて、新たに始まる薬はなにか、ってのをまず取る。そんで、自分が最後に受け持ってから何か変わりがないかを見てる。以上」

「おおぉ、さすが先輩!」

「あ、ありがとうございますっ」

「…大袈裟」


俺は恥ずかしさを隠すように、時間が経っていないカップ麺を啜り出した。

口に含んだ麺を飲み込み、付け加えた。


「ようは、何事も慣れが大事」

「慣れ、ですか」

「そう」

「自分なりに頑張ってみます」


そう言った牧田君の顔は、先ほどまでとは全くの別人に思えた。




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