File12-④.case牧田楓

受け持つ患者情報

 809号室

 氏名:井上雅子いのうえまさこさん

 年齢:84歳

 性別:女性

 既往歴:高血圧、花粉症

 入院歴:あり(当院)

 内服情報:アムロジピン、アレロック、ネキシウム

 経過:膀胱がん、ロボット支援根治的膀胱全摘除術+回腸導管造設術day3


初めて受け持つ患者さんの情報をしっかりと取らないと、と思い、目の前の用紙にカルテから得た情報を書き出した。

確か略語で報告はするとまずいから、ロボット支援根治的膀胱全摘除術+回腸導管造設術と。今まで担当したことないな、と考えながらカルテの画面をスクロールしていた。術後の患者さんは何回か担当したことあるけど、今回の方は初めてだな…。


■□■□

俺は中学の時に、共通のドラマの話題で意気投合したまこ、原真琴とともに医療従事者を目指すようになった。はじめのうちは、俺が医者になる、とか言ってたけど、現実的に考えると無理だとわかった。知識が伴わない上に、6年も大学に通うことが苦痛に思えたからだ。

高校も大学も同じまこは、本当に親友とも呼べる存在だ。どんな些細な事でも、お互いの近況を報告し合っていた。

だが大学での一時期、まこと距離を置いたことがあった。そう…、忘れもしない実習でのことだ。俺自身、臨床現場が向いていないと思えた時期でもあった。

日々の実習記録に追われ、グループ内でも話し合う内容がないとの理由で、決められたカンファレンスも計画できない、おまけに記録内容も適当だの、とまぁ色々とあった学生時代。今思えば、あれは俺最大の黒歴史とも言えるだろう。


だが、そんな俺のことも見捨てずにいてくれたまこのことを、俺は…。


■□■□

朝っぱらからケガをした先輩が、病棟へと戻って来てほんの数分後。

情報収集にあまり時間をかけずに済む方法を今度教わりたいと思いつつ、俺は佐久山さんの元へと行った。


「最後は牧田君、今日の受持ち患者さんのこと教えて」

「はい。―――です」

「この術式、どんなのか知ってる?」

「はい…」

「じゃあ、この人に膀胱はありますか?」

「…あります」

「ないね。井上さんの尿はどっから出てるのかな?」

「お腹…です」

「代用したのは?」

「回腸です」

「見た事ある?」

「初めてです」

「ストマについて勉強した?」

「してません」

「よし、じゃぁまずはそこからだね」


なんとも言い難い会話を終え、これから何をしなければいけないかはわかったが、全く佐久山さんの意図がわからないままだった。


しばらくすると、他の同期の元から佐久山さんは戻って来た。


「ベッドサイドに行く前に確認なんだけど、初めて見る事に関してはしっかりと勉強せなあかんよ。昨日から担当することはわかってたはずなんやから」

「…はい」

「時間がないから、まずは点滴の準備からしよか」


俺は佐久山さんの後を追いかけ、点滴作成台へと急いだ。

これから投与する点滴を2人で確認し、作成にとりかかる。術後3日目であり、十分な水分量を確保するために24時間持続で流す点滴に加え、抗生剤の準備を始めた。

点滴作成は何度も経験しており、手こずることなく準備できた。

井上さんの元へ行くために準備したカートに、先ほど作成した抗生剤と輸液バックを乗せ、佐久山さんと一緒に部屋へと向かった。


コンコンコン

「どうぞ」

「失礼します」


部屋へと足を踏み入れると、そこには想像していなかった光景が広がっていた。


まず目に入ってきたのは、井上さんがベッドにいるのではなく、床に座っている姿。そして、遠くの方にキャスターがついている点滴棒が倒れており、点滴棒の近くから点々と赤い模様が井上さんの方へと続いていた。

よく見ると、井上さんの手から血液が流れている。

〈何が起きてるんだ?なんで点滴棒が…?自分で…抜いた?〉

俺が頭の整理ができずに突っ立てると、隣から佐久山さんの声が聞こえてきた。


「とりあえず、まずは止血をしよう」

「……」

「牧田君!!」

「は、はいっ!!」

「俺は止血するから、牧田君はバイタル測って」

「バ、バイタルですね」


慌てて血圧計を持ち、井上さんの近くまで行った。すると、


「やめてー!!あっち行ってー!!」


急に身体を大きく動かし、血圧を測るため腕に血圧計を巻こうとしたのを遮られた。


「井上さん、血圧を測るだけですから、痛いことはしません」

「本当に?痛くない?」

「大丈夫です」


佐久山さんの言葉に落ち着きを取り戻されたところで、ようやく血圧を測ることができた。


俺は、井上さんの情報を見落としていたことがあった。

『術後せん妄』

井上さんには、その術後せん妄が顕著に表れていた。


床に散らばった血液を拭き取り、病室の整理を行い、点滴していた箇所の止血を確認した後、一旦部屋を出ることになった。

俺は佐久山さんに言われたことを行っただけで、自ら進んで何かをしたわけではなかった。


「このまま詰め所に戻っといて」

「佐久山さんは?」

「俺は月島君の様子を見てから戻るわ」

「わかりました…」

「詰め所に担当の先生がいると思うから、さっきのこと報告しといてな」


そう言い、佐久山さんは急ぎ足でその場を去った。

その背中を、俺はどこか遠くに感じた。


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