File9.看護の基本

看護師4年目、新人教育担当となった今月の俺のシフトがどえらいことに――。

月金勤務の5日勤…。新人時代に味わった、あの平日5日勤をまた味わう羽目になるとは思いもしなかった。

何がしんどいか…定時に終われずに長々と病院にいることが苦痛で仕方ない。


憂鬱な気分で出勤支度をしていると、立川から着信が来た。

スワイプして電話に出る。


「あっ、がっくん。おはよー」

「おはよー。立川が電話してくるなんて珍しいじゃん」

「そうだね。こういうことは、メッセよりも直接言った方がいいかと思って」

「んで、要件は何?あーっ、もしかして昨日の――」

「そうだよ。…報告しとこうと思って」

「ちょ、ちょっと待って。心の準備が…」

「ははは。なんで、がっくんに心の準備が必要なんだよ。もういい?ってか、あんまり時間ないからもう言うよ!!」

「よし…わかった。…さっ、こーい!!」

「それでは…。この度、立川浩輔は、和泉下雫さんとお付き合いすることになりました。報告は以上です。尚、詳細につきましては一切お答えいたしませんのでご了承下さい」

「うおっーー!!立川おめでっとー!!いやぁ…ついにひっついたか…。俺のモチベは保たれた。んでんで、なんてったんだ?」

「話聞いてた?詳細は答えないって言ったよ、俺」

「えぇー、そこは同期の吉見として何とかー、って言ってる場合じゃない!!俺もう出ないと、また今度話そうぜ!!」


電話を切ってすぐ、振り向きざまにベッドで座りながらうたた寝をしていたじっちゃんに伝えた。


「じっちゃん!!立川と和泉下が付き合いだしたぜ。俺も負けてらんねーな!!」

「何言っとんじゃい。とっとと行かんかね。だいたいおめーさんは出会いから探さねーといけねーだろが」

「寝ぼけてないのかよ。はいはい、わかってますよ!!」


片手を振りながら俺は部屋を出た。

朝の憂鬱な気分が少し解消され、清々しい気持ちで出勤した。


病棟前に到着すると、4人の新人はすでに到着していた。俺の姿を見つけた原くんが、手を振りながら元気よく挨拶をしてきた。


「佐久山さーん、おはようございまーす」


4人に近づき挨拶を交わした後、スタッフ休憩室へと案内した。事前に割り当てられたロッカーへ荷物を入れるように促し、そのまま休憩室内の説明を済ませた。


「昼休憩のときはここを使って。あと、冷蔵庫に飲み物とか入れる場合は名前を書いといてね。病棟内でのお知らせはこのドアに貼り出されるし、翌月の勤務希望表もここに貼り出される。5月の休み希望があるなら後で書くといいよ。締め切りは10日までだから。あっ、でも1年目さんは書いても良かったっけなー。後で師長に確認してみるから待ってて。うーんと、…ここはこのくらいかな。質問がなければ病棟に行こうか」


4人を引き連れて病棟へと向かい、朝の申し送りが始まる前に新人の紹介をした。

夜勤からの申し送りを終え、日勤スッタフのジャマをしないよう詰め所を離れた。

病棟内のオリエンテーションをしていると、俺たちに向かって歩いてくる中道さんの姿があった。


「あれ、楽人くんじゃーん」

〈よりにもよってこのタイミングで――〉

「中道さん。リハビリですか?」

「そう。術後の体力回復をしないと退院できないからね。今年の新人さん?」

「そうです。どうぞ、お手柔らかにぃ~」


中道さんが4人に目を向けた際、4人はお辞儀をした。そんな彼らを見てなんだか微笑ましい気持ちになった。


「はいよ」


上機嫌で中道さんは通り過ぎた。

その姿を見送り、俺はオリエンテーションを続けた。

1時間ほどで設備や物品に関する案内を終え、少しの休憩を挟んだのち、マニュアルに関する説明をするため面談室へとやって来た。4人に空いてる椅子に座るように促し、事前に用意していたマニュアルファイルを配った。


「これからマニュアルの説明をするけど…。はあぁ」

「えっと…佐久山さん?」

「あー悪い。説明せなあかんのはわかってるねんけど、なんしか面倒なんよ」


4人が一斉に動揺しだした。

それもそうだ、今まで真面目に淡々と話をしてきた奴が、急にやる気を失くした感じになったのだから。


「えっ、佐久山さんってそんな感じなんですか?想像通りなんですけどー。きゃははははは」

「ちょっと楓、先輩に失礼やて。…くふふふふ…俺も思たけど」


緊張の糸が切れたかのように、4人は声を出して笑った。

そんな様子を見ていると、いつの間にか俺も一緒に笑っていた。


「思てたんかい。ははは。まぁ、俺が言えたことではないねんけど、マニュアルの説明って聞いてて退屈やねん。書いてあることをただ言うだけやから。それやったら自分で時間があるときに読んどいて、で済ませたらエエんやけどなぁ」


マニュアルの冊子をパラパラとめくりながら考え、俺はある決断に至った。


「習うより慣れろ、という訳で、実際に色々触ってみようか。2人組になってくれるかなー。言うとくけど、原くんと牧田くんは別々やで。パソコン2台で済むし、空いているノートパソコンを2台持ってくるわ」


その後、看護師としての役割や記録の方法について話をし、実際にカルテを開けて各々で情報収集するように投げかけた。

昼休憩前に差し掛かった時、月島くんが俺に質問をしてきた。


「佐久山さん、お聞きしたいことがあるのですが」

「何?」

「佐久山さんが思う、看護の基本って何ですか?」

「看護の基本ね……」


しばらく考えた後、俺は答えた。


「俺が思う看護の基本は、患者さんを知ること、かな」

「かの有名なナイチンゲールも同じようなことを言ってましたね。看護の基本は観察だと。良かったです。失礼を承知で言いますと、佐久山さんに指導していただくことに少々不安を感じておりましたので」

「おい、月島!!いくらなんでも言い過ぎだろ!!」

「いや、ええよ。そうはっきり言ってくれる方が俺もやりやすいから。もしこれから先、俺が教えることに不安や不満があれば遠慮なく師長に言ってくれてもいいから」


俺の返答に4人は驚いていたが、正直な気持ちを話してくれた月島くんには感謝していた。一番俺が不安だったから―――。



こうして俺の新人指導は幕を開けた。

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