File7.ある人の…覚悟
声をかけたのが俺だと気づいた中道さんは慌てて涙を拭い、何もなかったかのような振る舞いを見せた。
「楽人、今帰り?」
「そっ。今日でやっと講習会が終わったんだ」
「…お疲れ」
「…なあ。…隣、座っていい?」
「あっ、おう、いいぜ」
中道さんの同意を得た俺は、冷え切ったベンチへと腰掛けた。
「うっ…やっぱ冷てーな」
「ってか、いつもの口調はどーしたのさ。まだここ病院やで」
「今の俺は営業時間外だから気にしなくてもいいんだよ」
「はは、…そっかそっか…」
いつもと様子が違うのは中道さんにも言えたことだが、あえて俺はそのことを口にしなかった。病院での診察を終えた患者さんがパラパラと出てくる様子を2人して眺めていた。しばらく沈黙が続いたが、その沈黙を破ったのは中道さんの方だった。
「なぁ……楽人」
「んー?」
「……俺さ、また再発してた」
「そっか…。中道さん自身の免疫より、がん細胞の方がすんげー強かった…ってことだな」
「…だな」
「先生はなんて言ってた?」
「今のところ…他に転移がないから…手術で取れるって」
「…再発してたこと、辛かった?」
「それもあるけど…違う。……手術することで、…男としての価値がなくなるのが悲しくなった」
「あぁ…。なるほど。そういうことか…中道さん、子ども好きだもんな」
中道さんは子どもたちの笑顔に癒される、と前に聞いたことがあった。
子どもたちと多くの時間を過ごしたいとの思いから保育士となり、日々子どもたちと関わっていた矢先に…精巣腫瘍がわかった。治療に専念するために休職を選択。抗がん剤治療を終え、定期診察のために訪れた際、再び再発の告知を受けたのだ。
「ってか、男としての価値って何?」
「へっ?!」
「子種がなくなると、男としての価値がなくなんの?」
「…少なくとも…俺はそう思ってる…かな」
「ふーん。まぁ…考え方なんて人それぞれだしな。…中道さんの考え方から言うと、俺も男としての価値がないってことだな」
俺の一言に中道さんは驚いていた。
そんな彼を余所に俺は話を続けた―――。
■□■□
俺が中学1年になった頃、俺は精巣破裂で手術をした。
上級生と派手な喧嘩をし、相手は肋骨に顎の骨折、俺は精巣破裂という結果を招いた。手術前、医師や父親から将来子どもができなくなる事を聞いても何とも思わなかった。
反抗期ということもあり、お見舞いに来た父親に対してもじっちゃんに対しても素っ気ない態度で接していた。そんな俺を叱責したのが、当時俺の担当となった看護師の
「佐久山くん、家族に対してあんな態度はあかんでしょ。せっかく来てもらっているのに」
「………」
「ってか、こんな派手に喧嘩して病院来た人
「先に手ぇ出してきたんはあいつらや。俺やない!!」
「そうか…。けどな、よう聞き。一回しか言わんから。人様に迷惑をかけるような生き方はしたらあかん!!ケガを負うってことはな、多くの人に迷惑をかけてんのと
「はぁ?…看護師が言うことか」
「看護師やから言えんねん。ええか、お医者様にも、患者様にも強く言えるのは看護師だけや!!さすが俺、ええこと言うたわー。名言やな!!」
この入院生活で、川村さんは時間ができては俺の部屋を訪れ、看護師らしからぬ態度をとっていたが、俺にとっては全く苦ではなかった。
それは他の患者さんも感じていたそうだ。言葉使いは決して良いとは言えないが、患者さん一人一人と真摯に向き合い、心身のケアを行っていた。
―――そんな彼に俺は憧れた。
■□■□
過去の話を聞いていた中道さんは、次第に表情が明るくなった。
中道さんに話をしている時、俺はあることをふと思い出した。俺が実家を出るときにじっちゃんが言った一言――—。
―—「楽人、人様に迷惑だけはかけるんじゃないぞ」
あの言葉のルーツは川村さんか…。そのことを思い出した俺は苦笑いした。
「楽人……さっきのことだけど……」
「謝る必要ないから。中道さんは中道さんの意見を言っただけ…。俺には俺の考えがあるだけのこと」
「…わかった。謝らない代わりってわけじゃないけど…。楽人、次…入院したらまたよろしくな」
「おぅ。…ほな、帰るか」
中道さんにとっては大きな覚悟を決めた日。
俺は看護師を目指すきっかけを思い出した日。
そんな日に、今年初めての雪が降り出した―――。
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