File4-①15時45分→22時

夜勤が始まると同時に向井さんが日勤メンバーのところに行った。俺も同じように付いていき、向井さんの行動を見ていた。


「カルテに書ききれてないない情報って何かありますか?」

「そうですね…。私たちのペアは全てカルテ通りですので、追加でお伝えすることは何もありません」

「了解しました」

「水谷さんの方は?」

「あっ、えっと……、812号室の柴野しばのさんが先ほど手術に呼ばれたところですので、帰室がまだです。術後ベッドは準備して看護助手さんにお願いしています。部屋の準備も終わっています。…あとの患者さんは特に何もありません」

「了~解」


日勤看護師から情報をもらい、巡回ラウンドの準備をしている向井さんに俺は尋ねた。


「向井さんって、一人称使い分けてるんっすか?」

「んっ?どういうこと?」

「いや…。さっき、国木田さんや戸田さんの前では“僕”でしたけど、俺らの前では“俺”って・・・言ってましたよ。だから使い分けてんのかなぁ、と思いまして…」


失礼なことを聞いたのではないかと思い、恐る恐る向井さんの表情を見ると、そこには目を見開き、呆然としている先輩の姿があった。


「…まじかぁ。…言われるまで気付かんかったわ。俺…使い分けてた?」


返答の変わりに頷くと、


「無意識に変えてたのかもしれんわ。先輩の前では“僕”、後輩の前では“俺”って」

「じゃあ、向井さんの一人称を聞けばどの方が先輩かわかるってことっすね」

「そんなとこ観察せんでもええわぁ。うわぁー、恥っずぅ」


この出来事を機に、常に明るく患者さんに接し、同僚に対しても思いやりを持ち、誰にでも分け隔てなく接する向井さんは、俺にとっての憧れる先輩の1人となった。

そんな他愛もないやりとりをしている間に、巡回の準備は着々と終わっていた。

使用するワゴンの上段には、カルテ入力に使用するノートパソコンと患者さんの情報を記入した用紙を挟んでいるバインダー、2段目には使用する血圧計・SpO2モニター・血糖測定器、一番下には針捨てBOXの準備がされていた。


「じゃあ、挨拶がてら回ろっか」


俺は向井さんと共に受け持つ患者さんのところを訪れた。

S8の特徴として、801号室から806号室は4人部屋、807号室から815号室は個室となっており、満床時には33人もの患者さんが入院していることになる。とは言え、S8は内科と外科が混合しており、常に満床状態…。常に他の病棟にも患者さんが散らばっている状況だった。

看護師の巡回方法は人それぞれである、とこの数か月で学んだ。詰め所から離れた遠い部屋から回る人もいれば、部屋の番号が浅い順で回る人、患者さんの状態から判断し、重症と思わしき患者さんを最初に回る人、特に決まりはなく、どのような順で回るかは個人の判断に委ねられていた。そんな中…向井さんはというと、患者さんの状態で回る順を決めていた。

詰め所を出てすぐ俺に声をかけてきた。


「まずは…808号室から行くね。今日が手術日で、13時50分に帰室されているから、術後の様子を見に行こうか」

「はい!!」


俺自身、これから訪室する患者さんの情報はとれていないが、向井さんは気にすることない、といわんばかりの表情を見せ、付いてくるようにとの仕草をした。

808号室の部屋の扉をコン、コン、コンと3回ノック。しばらくしても返事はなく、再び3回ノック。それでも返事はないため、そのまま向井さんと俺は室内に入ることにした。


木塚こづかさん、失礼します。本日夜担当します、看護師の向井と佐久山です」


ベッドの近くに寄ると、寝息を立てている木塚さんの姿があった。麻酔の影響で目が覚めていないと判断し、大きな音をたてないようにベッド周囲の確認作業に移った。


木塚隆こづかたかしさん、55歳男性。膀胱がんに対し、全身麻酔下、経尿道的膀胱腫瘍切除術(TURBT)を施行された患者さんであり、俺が初めて入院から担当することになった患者さんだ。

術後の観察として、酸素がどのくらいの量で流れているか、血液の酸素飽和度はしっかりと保たれているか、点滴は問題なく繋がれているか、尿道カテーテルはしっかりと固定され、尿も問題なく出ているか、心電図モニターは問題なく作動しているか等、観察すべきことはたくさんあり、1つ1つ向井さんと確認をしていた。


「酸素4L、SpO2酸素飽和度:99%です。点滴の漏れはありません。膀胱留置カテーテル固定は問題なく、血尿スケール3です。コアグラ血の塊は今のところありません。血圧も上が139、下が85です」

「オッケー。しっかりと観察できてるね」


向井さんと確認作業を終え、室内のカーテンを閉じようとした時、


「こやつの足についとる機械はなんじゃ?」


俺は目を疑った。

そこには木塚さんの足をまじまじと見ては、指先で突っつく動作をしているじっちゃんの姿があった。

俺はつかさずじっちゃんの近くに駆け寄り、


「何しとん!!」

「おう楽人、じっちゃん、来てやったぞ」


俺の動きを見ていた向井さんがつかさず、


「佐久山くーん、どした?…なんかあったか?」

「あっ、いや、何でもないです。フットポンプが作動しているか確認してました」

「それも大事やったな。問題なさそうか?」

「はい、問題ありません。」


そう答えた俺は少し小さめの声でじっちゃんに伝えた。


「じっちゃん、頼むから俺の視界に入ってんな。向井さんも他の人も、じちゃんのこと見えてないから。俺がおかしい人って思われるやろ!!」

「………わかったわい」


じっちゃんが最後まで言い終えるまでに俺は部屋を後にした。


他の患者さんにも挨拶を終え、向井さんと俺は一旦詰め所に戻った。途中までしか情報を取れていなかったため、俺は空いているパソコンでカルテを開き、残りの情報を取ることに専念した。


18時過ぎ、日勤スタッフが業務を終え、帰宅する様子を見届けていると、手術を終えた812号室柴野さんのお迎えを知らせる電話が鳴った。向井さんとともに手術室へ出向き、手術室の看護師より術中の状態について報告を受け、ベッドの頭元と足元に分かれ2人でベッドを押しながら病棟へと戻った。病棟へ向かう途中で執刀医の井上Drと合流をした。


「おっ、今日は新人看護師も一緒か。初めての夜勤で不安かもしれないけど、向井君がいれば心強いだろ。私も今日は当直でいるから、何かあったら遠慮なく呼んでくれ」


俺は井上Drの顔を見ながら頷いたが、

〈当直だからって呼んだら不機嫌になるくせに……〉

と心の中で言いながら、声には出さず黙っていた。

先輩かた事前にDrの情報は貰っていた…。


術後のケアや、度重なるナースコールへの対応を夜勤看護師全員で行い、気付けば消灯時間を迎えていた。

向井さんとともに電気を消すために、受持ち患者さんの部屋を回っている最中、俺はあることに気付いた。

〈後ろからやたらと視線を感じる〉

ふっ、と後ろを振り向くが、そこには誰もいなかった。


「佐久山君?」

「なんでもないです…」

「そうだよね、いないよね……」

「向井さんって、幽霊はいると思いますか?」

「へっ?!いきなり……なに?幽霊?そ…そんなのいるわけ…ないじゃん!!」

「やっぱそうですよねー。俺もいないと思ってたんですけど……いるっすね」

「……はい?えっ?見えちゃう系?」

「ちょっといってきます」

「はい?行くってどこに?いやいやいや、普通にあり得ないでしょ…。病院はよく出るって言われてるけども…」


向井さんの声を背中に聞きつつ、俺は気配のする方へ歩いて行った。

病棟全体が消灯しており、廊下は暗くなっていたが…俺にははっきりと見えた。

大部屋806号室の前にある洗面台に入り、俺は声をかけた。


「じっちゃん!!」



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