妹
仄香は頭を掻きながら肯定する。
「うん。勇気出して誘ってみたら、オッケーもらえて」
茜は無表情のままだ。
その冷ややかな視線に違和感を覚え、動きを止めた。
「おねえちゃん、危機感なさすぎるんじゃない?」
茜は志波と宵宮の計画について仄香から聞いている。
だからこそ、志波とのデートで浮かれている仄香が能天気すぎるように見えたのだろう。
仄香は慌てて言い訳のように言った。
「そ……そうかもしれないけど、現状解決策が見いだせない以上、まずは敵の情報を得るところから始めないといけないなって思って。ほら、授業で習ったOODAループっていうやつだよ。まずは相手を観察して状況判断して、その後意思決定を……」
「――わたしなら志波高秋と宵宮千遥は先に殺す」
茜が仄香の言い分を遮った。
殺すなんていう物騒な言葉が茜から出てきたのが予想外で、仄香は内心動揺する。
「確かに最悪の未来を避けることだけを最優先事項にするならそれが一番手っ取り早いかもしれないけど、一線を越えてるし、それを実行したら犯罪者になっちゃうよ」
「一線を越える? 犯罪者? 一線を越えようとしてるのも、犯罪者予備軍なのも向こうでしょ。それを見過ごすことで人が大量に死ぬなら、二人の犠牲で済む方がマシじゃない……?」
茜は睡眠不足で少し変になっているのかもしれない。そう心配し、やはり寝かせた方がいいのではと思った。
しかし茜は自分の意見を曲げずに続ける。
「犯罪者の性格特性はそう簡単に変わらないよ。例え何らかの方法で志波高秋と宵宮千遥を止められたとしても……別の形で同じ結果になる。彼ら二人は、既に一度はテロ行為を計画した人物なんだから」
「茜ちゃん、殺すなんてそう簡単に言っちゃいけないよ」
「わたしならおねえちゃんや尚弥の未来にとって脅威になるものは殺す。それが最善だと分かっててわざわざ遠回りなんてしない」
いつもほんわかした笑顔を浮かべている茜からは想像も付かないくらい法令遵守の意識を取り払った意見だ。幼い頃からややマッドサイエンティストな部分が見え隠れしていたとはいえ、こんな発言をされたのは初めてなので戸惑った。
仄香はどうにかその考えを沈めてもらおうと別の角度から実現可能性を否定する。
「そもそも、志波先輩たちは国内でも一、二を争う優秀な異能力者なんだよ? それを殺そうなんて……」
「殺せるよ?」
茜が殴り付けるような口調で言い切った。
その眼差しは限りなく冷たく、しかし本気に見えた。
「人類はどんな凶悪な敵を相手にしても知能だけを武器にして打ち勝ってきた。それが自分より体の大きいマンモスであろうが、数百万人の命を奪った目には見えない細菌だろうが。革命によって飢饉も防いだ。致死率二割以上の感染症も根絶した。国家を敵に回した戦争で有利になるために原子爆弾を生んだ。何でまだ完全には解明されていない高度な異能力という比較的新しい概念になった途端、人間には太刀打ちできないもののように語るのかな」
しん、と室内が静まり返る。
茜の桃色の瞳に引きずり込まれるような心地でいるうちに、その瞼がゆっくりと閉じられた。
次の瞬間、ガンッと茜の額が勢いよくテーブルにぶつかる。ティーカップが揺れ、紅茶が溢れた。
仄香はびっくりして正面の茜に駆け寄る。肩を支えて顔を上げさせるが、どうやら彼女は寝落ちただけのようだった。
相当疲れが溜まっていたのだろう。仄香は茜の体を抱え上げ、研究室にあるソファに横たわらせた。
寒くないように、近くにあったひざ掛けと自分の上着を茜の体にかける。
茜の寝顔は決して穏やかなものではなく、何だか苦しそうに見える。その首には仄香が茜にプレゼントしたお揃いのネックレスが光っていた。
(あんなこと言わせちゃうくらい、心配させていたのかな)
仄香は屈んで眠る茜を眺める。
仄香が今陥っている状況を知っているのは尚弥と茜の二人だけ。尚弥にとってはきっとどうでもいいことだろうが、茜にとっては実の姉が後に殺人鬼となる人間と関わり続けているのだから心配に決まっている。
そのうえ、茜には監視の目がなくなったことは伝えたものの、この件に関する他の進捗は報告していない。
状況が分からなければ悪い方向に想像して当然だ。きっと色々不安だっただろうに、そんな時に仄香が後の殺人鬼とデートするなどと浮かれていたら怒るに決まっている。
尚弥がちゃんと見ていろと言ってきた意味が分かった。
付き合いの長さから疎かにしがちだが、身近な人だからこそちゃんと見ておかなければならない。
「……ごめんね。茜ちゃん」
小さな声で謝罪して、その髪を撫でた。
テーブルの上に溢れた紅茶を拭き、茜が一口も食べていないケーキを冷蔵庫に入れてから、カップを片付けて研究室を出る。
(年末年始は茜ちゃんとゆっくり話そう)
去年は受験勉強が忙しく、茜とはほとんど喋らなかった。武塔峰に入学してからは寮が別々になってもっと疎遠になった。茜と、家族としての繋がりが希薄になっている。少しの変化にも気付けない程に。
ひとまず明日の志波とのデートについては茜にちゃんと報告し、自分はこういう方針で頑張りたいと思っているから協力してほしいと頼むと決めて寮に戻る。
荒々しい風が廊下の窓を叩き付け、唸るように不気味な音を立てていた。
紫雨華 仄香は、
この時 紫雨華 茜を後回しにしたことを、
生涯をかけて悔やむことになる。
◆
クリスマス当日。街はどこも赤と緑の二色で飾られていて、家族連れやカップルが通常より多いように見えた。
そんな中、仄香は白い息を吐きながらとある赤い車に向かって全力疾走する。
「本当にすみません、宵宮先輩!」
昨夜は茜のことを色々考えてしまってなかなか眠れず、アラームを鳴らしていたにも拘らず起きるのが一時間遅くなってしまった。
結果的に宵宮との待ち合わせ時刻に三十分遅れ、怒涛の謝罪連絡を送る羽目になった。
助手席に乗り込んでから、機嫌を損なわせていないだろうかと不安になって宵宮の顔色を窺う。数週間ぶりに会う宵宮は面白そうにニヤニヤ笑っていた。
「えー絶対許さない」
「そりゃそうですよね……! 先輩を待たせるなんて言語道断です。もう、反省してもしきれない……ほんとごめんなさい」
「冗談。ちゅー一回で許してあげる」
自らの失態に落ち込む仄香の両頬に手を伸ばした宵宮は、仄香の唇に悪戯に自身の唇を重ねた。ちゅっとリップ音を立てて離れていった宵宮の顔を呆然と眺める。
「乙女の唇を何だと……」
「どうせなおやんにもされてるんでしょー? いいじゃん、減るもんじゃないし。それにほのぴ、〝乙女〟って柄でもないし」
「それどういう意味ですか?」
「はい、後ろ向いて」
不本意な言葉が聞こえた気がしたが、時間もないので大人しく宵宮とは反対方向を向く。
今日は宵宮にデート前のヘアアレンジを頼んでいるのだ。希望のヘアアレンジはネットで写真を検索して前もって宵宮に送ってあった。
宵宮が仄香の髪を編み込んでいる間、仄香は来たるデートを妄想してドキドキしながら窓の外を眺める。空は生憎の曇天だった。
「今日も雪降りますかね……」
「天気予知情報では午後三時から五時にかけて大雪みたいだよ。その時間帯は屋内にいた方がいいかも。高秋なら把握してると思うけど」
「昨日も雪降ってましたよね。最近雪ばっかり」
「ん、そうだね」
宵宮の声音が単調な気がして問いかける。
「雪、嫌いですか?」
「……何で?」
「雪の話になった途端声のトーンが変わったので」
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