おねえちゃんはわたしのもの



 ◆



 翌日、何とかカプセルを回収した仄香は、昼休みの間にそれを持って茜の元へ向かった。茜は全く抵抗なくそれを受け取り、機械に読み込ませ始める。研究科は国からの支援金を大量に得ているため、このような最先端の技術も研究室で使えるらしい。特に茜はずば抜けた研究成績優秀者のため、個人の研究室が設けられており、どの機材も自由に扱える。

 茜はコーヒーメーカーを使って仄香にコーヒーを差し出した。そして自分にも用意し、湯気の出たそれを飲みながら、ぽつりと言う。


「昨日、海外の文献を調べてたんだけど……そもそも、未来視で視た未来は、基本は変えられないらしいよ」


 もしかしたら知的好奇心がくすぐられて寝ずに調べていたのかもしれない。目の下に隈ができている。


「どれだけ頑張っても無駄ってこと?」


 咲の話では、歴代の未来視の異能を持つ能力者たちは戦争を食い止めていたこともあるらしい。彼女たちはどうしたのだろうと考え込んでいると、茜が否定してきた。


「ううん。正確には、〝異能力者が干渉した場合〟のみ変えられるみたい……どういう理屈かは分からないけど、興味深いよね……。因果や確定した未来に干渉できる力のことを〝異能力〟と定義することもできるのかもね……これで論文が一本書けそう……」


 ウキウキしている様子の茜を見て、忙しい茜に面倒事を押し付けた罪悪感が少し和らぐ。熱いコーヒーにミルクを混ぜながら夢の解析結果を待っていると、大きな画面にノイズが走り、夢と同じ映像が流れ始めた。驚きの再現度だ。

 舞い散る桜から、靴、志波、女性の死体――順番や映像の角度も全く同じ。夢で見た光景がそのままそこに映っている。

 茜は研究で死体を扱うこともあるため見慣れているのか、なかなかグロテスクな映像であるにも拘らず冷静で、「なるほど……」なんて言いながらゆっくりとした動作でコーヒーを啜っている。


「これって、おねえちゃんが好きな人……?」

「う、うん」


 武踏峰の寮に入る前、実家で写真を飾っていたため、有名人に疎い茜でも分かったらしい。

 茜はちょっと気まずそうに視線をそらし、言いにくそうに忠告してくる。


「…………おねえちゃん、男の趣味を直した方がいいのでは……」

「い、言わないで! そんなこと言わないで!」


 まさか妹にこんなことを言われる日が来ると思わず、恥ずかしくて頭を抱える。

 茜はしばらく気の毒そうに仄香を見てきた後、気を取り直すかのように別の質問をしてきた。


「普通の夢ならこの機械を使ってもこんなにはっきりとは映らない……全体がぼやけてたり、色が付いてなかったりする……だからこれは、本当におねえちゃんの異能、未来視である可能性が高いね……。いつも見てるのはこの夢……?」

「いや、これは昨日初めて見た夢だよ。いつもは私が縛られてるところから始まって、目の前に友達の死体があって。そこに志波先輩が来るんだけど、志波先輩はどうやら警察側じゃなくて犯人側っぽくて……」

「……ふむ。じゃあ……この夢は、志波高秋のターニングポイントってことかもしれないね」


 茜がもう一度映像を最初から再生し、志波が笑うシーンで停止する。


「ここで志波高秋は死体が好きになる。あるいはもっと前から興味があって、実際目の当たりにしたことでより強烈に魅力を感じたとか……」

「茜ちゃんもそう思う? できればそう思いたくないんだけど……」

「おねえちゃん、目を覚まして……どう見ても死体愛好家の顔してるよ……普通の人間は死体を見てこんな恍惚とした表情をしないよ…………」


 長年片思いしている相手の好きなものが死体。このショックをどう受け止めていいのか仄香にはまだ分からない。


 そこで仄香はハッと気付いた。以前見た夢によれば、志波が関与していると思われる連続殺人事件が始まったのは来年の十月七日。この映像は春だ。

 ここが志波のターニングポイントと捉えるなら、志波が死体に魅了されるのは時系列的に来年の春ということになる。


 「食い止めなきゃ……」と使命感で呟くと、茜が淡々と「おねえちゃんは死ぬの?」と聞いてきた。


「え? 私?」

「うん……」

「私は……分からない。はっきり死の未来が視えたわけじゃないから。ただ死体の前で縛られてて、これから殺されるって感じの未来は視えた」

「そう……」


 茜が憂いを帯びた表情をした。茜のこういう表情は、女の仄香でもどきりとする色気がある。

 茜はコーヒーカップを研究室の散らかった机の上に置いた。


「なら、本当に食い止めなきゃって感じだね……。おねえちゃんに害が及ばないなら、何人死のうと正直、どうでもいいんだけど……」


 さらっと怖いことを言う茜も、おそらく人間的な感情がいくらか欠如している。

 先程茜は“普通の人間は死体を見て恍惚とした表情をしない”と言ったが、果たして茜が“普通の人間”を理解しているのかは疑問だ。茜もややマッドサイエンティストな部分があり、自分の家族以外のことはマウスのような実験動物としか見ていない節がある。研究者としての才能と引き換えに倫理観を捨てたのではないかと、姉としてはたまに不安になることがある。


「とにかく、わたしの方でも調べ物を進めるよ……」

「ごめんね、茜ちゃん。本当は忙しい茜ちゃんにこんなこと押し付けるの気が引けるんだけど」

「いいよ……おねえちゃんの異能、興味深いしね……。それと、外国から多額のお金を積まれても無視してね。向こう行ったら何されるか分かんないし……」


 茜の発言を理解できず「え?」と聞き返すと、茜は「自覚ないんだね」と苦笑した。


「おねえちゃんの能力、武塔峰異能力科の推薦基準に達してたってことは今後もっと成長する異能だろうし、今おねえちゃんは世界中が喉から手が出る程ほしい研究材料だよ……?」

「そ、そうかな」

「日本は未来視の研究が遅れてるから反応薄いけど、高レベルの未来視の異能力者は六十年以上世界に誕生してないからね……。深刻な研究材料不足なの。少しでもイサーエヴナ・コロヴニコフのような存在になれる可能性がある異能力者なら、おそらく世界中が黙ってない」


 イサーエヴナ・コロヴニコフ。以前咲が言っていた有名な平和貢献者だ。自分がそんな存在と並べるとは全く思えないが、“異能力レベルの成長可能性”を計る遺伝子検査では、仄香は確かに異能力科の推薦基準に達していた。


(私、もしかしてとんでもない異能を持っちゃったのかな)


 一抹の不安を覚える。


「大丈夫だよ……。おねえちゃんはわたしのもの。だから他にはあげない」


 薄く笑う仄香に少しぞっとしつつ、昼休みが終わりそうなので教室に戻ることにした。




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