少しの仕返し
「仄香ー。まだ寝ないの?」
その日の夜、志波へのファンレターを書いていると、お風呂上がりの咲が聞いてきた。
仄香はペンを置き、真っ白なファンレターを引き出しに片付けた。
いつも書いているファンレターになんと書いていいか分からない。これまで何通も『大好きです』『永遠の憧れです』と志波を全肯定する手紙を書いてきたが、親友を殺される夢を見てしまってはそんな言葉も送れない。
今日は書けなさそうだと思い、電気を消して布団の中に入った。
仄香よりも先に下の段からいびきが聞こえた。咲は学校ではお淑やかなお嬢様として通っているが、いびきは豪快だ。
寝返りをうち布団を被る。暗い場所で目を瞑っていると何だか眠れそうな気がした。
すると、夢を見た。いつもとは違う夢だった。
桜の花びらが舞っている。春なのだろう。
敷き詰められた花びらの上に、上質な靴が見える。近すぎる気がして、もう少し遠くから見たい、と強く願うと、カメラワークがぶれるような動きがあった後、ぱっと靴が遠くなった。
そこには若い青年が立っていた。異能力対策警察の制服を身に纏った、漆黒の髪の男。仄香にはその背中を見るだけで誰か分かってしまう。
――志波高秋だ。
彼の前には後頭部がぐちゃぐちゃの女性の死体があった。夢の中とはいえ、なかなかグロテスクで気分が悪くなる。何故女性のものと分かるかと言うと、白いワンピースを着ているから。とはいえそれもほとんどが血に染まっている。
志波は呆然とその死体を見下ろしていたかと思えば、ゆっくりと顔を上げる。そこには高層ビル群があった。太陽を隠すほど、高い高いビルだ。おそらく少女はあそこから飛び降りたのだろう。
再び志波は死んだ少女を見下ろす。その時、志波の口元が――緩んだ。
がばっと起き上がると、まだ深夜の二時だった。
布団に入ってから三時間ほどしか経っていない。いつも夢を見るのは朝方だったが、今回は深夜だった。
(し……志波先輩はあんな顔しない……志波先輩は死体を見て笑ったりしない……)
必死に自分に言い聞かせるが、同時に、夢の中の志波の発言を思い出してゾッとする。
――『君が俺に理想を押し付けていただけだろう』――。
長年積み上げてきた憧れの志波高秋像が崩れ落ちていくのを感じた。こんな感情を抱えたまま再度眠れるとはとても思えず、静かにベッドから降りて机の上の小さな電気を付ける。
不思議と、志波の本質が自分のイメージから大きくかけ離れていたことへのショックは少ない。どちらかと言えば、今後の未来で志波が犯罪を犯し捕まるかもしれないことへの恐怖が大きい。
(私、咲が殺されるかもしれないのに、まだ志波先輩が好きなんだ)
そんな自分を情けなく思った。
長年の憧れはそう簡単に消えてくれない。
(違う。〝あれ〟はまだ起こってない。未来の出来事。まだ存在していない事象。結果には必ず過程がある。原因もある。それを解明して食い止めればいい)
志波のことも、咲のことも救ってみせる。そう覚悟した仄香は、真っ白だった手紙に万年筆で文字を書いた。
『人の死を美しいと思っていますか?』
たった一言の不気味な手紙だ。
受け取った側は何の話だと眉を潜めることだろう。もしも仄香の夢が異能でも何でもなかった場合恥をかくことになる。でも、少なくとも現時点の志波が人の死に対してどう思っているのか把握する必要はあると思った。
(って、いつも通り返信なんか返ってこないだろうし、そもそも読んでもらえているかも分からないけど……)
さすがに一言ではいけないと思い、いつも通り時候の挨拶と、最後に『好きです』とも付け足した。いつも『大好きです』だったので、『大』が抜けた形だ。
ハートのシールで封を閉じて、寮の二階へ向かう。
寮の一階には二十四時間受け付けのポストロボットがいるのだ。
生徒用の寮は二階が男子寮と女子寮の共用スペースで、キッチンや大きなテレビがあるリビング、自動販売機、自習室などがある広い空間だ。
ぺたぺたとスリッパの音を立てながらロボットに手紙を渡していると、「こんな時間に何してんだよ」と聞き慣れた嫌な声が聞こえてきた。
振り返ると、そこに居たのは尚弥だった。
派手な金色の髪と、両耳のピアス、制服の着崩しっぷりは、〝チャラい〟以外の表現が思い付かない見た目だ。高校に上がってからは舌にもピアスの穴を空けたと聞く。体に穴を開けるなど怖いと感じてしまう仄香とは違い、尚弥は怖いもの知らずだった。
いじめっ子の彼は仄香の手元を見つめ、はっと嘲笑ってきた。
「またラブレターかよ? 飽きねえな、お前も」
「…………」
「なんか喋れよ。コミュ障かよ」
まだ仲が良かった頃はお互いの家に遊びに行ったり、公園で砂場遊びをしたりしたのに、随分と変わってしまったものである。
積極的に話したくない相手なので無視して戻ろうとした。しかし無言でいることにまで文句を言われたので、仄香は緊張しながら分厚いメガネをくいっと上げて尚弥を見つめ返す。
「ラブレターじゃなくて、ファンレターだし……」
「あ? ちっせえ声でぼそぼそ喋ってんじゃねぇ」
何をしても文句を言われることに腹が立ち、少し言い返してやりたい気持ちになった。今なら怖い顔をした尚弥の取り巻きもいない。
「茜ちゃんは、そういうこと言ういじめっ子タイプじゃないよ」
言った後で罪悪感に襲われた。幼い頃自分が壊してしまった尚弥の初恋を引き合いに出すなど、少し悪いことをしたかもしれない。
効果は抜群だったようで、尚弥は「あァ?」と脅すような声を上げる。やはり茜のことを出されると弱いらしい。
「茜ちゃんはもっと優しい人が好きに決まってる」
「んなことお前に分かんねーだろ。知ったかぶりしてんじゃねぇ」
「…………双子だから分かる」
「双子っつっても二卵性だろーが!」
「みっみんな寝てる時間なんだから大きな声出さないでよ!」
そう言い返す自分の声も大きくなっていることに気付き、はっとして黙った。
「……やっぱお前、嫌いだわ」
私も嫌いだ、と言いたいところだったが、そんなことを言えば電撃を放たれかねないため口籠る。
「茜みてぇに可愛らしくできねぇのかよ。瞳の色もきめえし」
ずきっと胸が痛んだ。瞳については仄香にどうこうできる問題ではない。
だが、自分も先程尚弥にどうこうできることではない初恋を出して嫌味を言ったのだから、お互い様のような気がして言い返せなかった。
これ以上話しても苛々するだけと思ったのか、尚弥はくるりと踵を返して男子寮の方へ戻っていく。
死角で見えないのを良いことに、その背中を軽く睨み付けておいた。
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