武塔峰での生活
その夜、仄香はまた夢を見た。その次の夜も、その次の夜も同じ夢を見た。
一年後の冬、十二月一日の夢。
何故日付が分かったかと言うと、夢の中のスマートフォンの画面にそう表示されていたからだ。気の早い世間はすっかりクリスマスムードで、街や商店街もクリスマス一色だった。
しかしそのような街の雰囲気とは一変、どのテレビ局もとある残酷な事件を報道していた。
『最初の被害者が出たのは今年十月七日。それ以後、立て続けに被害者が出ています。全て、若い女性が刃物で腹と喉を切り裂かれています。その数はなんと現在確認されているだけでも三十名――警察は同一犯と見て捜査を進めていますが、犯人の足取りは全く掴めておりません。現場の痕跡から異能力者の犯行と見て間違いないようですが……』
『異能力犯罪対策課は何をしているんでしょうね。都内の女子校では登下校時の危険性を考慮し学校自体を閉鎖しているところもあるようです』
夢の中の仄香は商店街近くの家電量販店でテレビの中を眺めている。
そこで、ザザッとノイズが入り始める。最初はノイズだらけだった夢が、日を追うごとに徐々にはっきりしてきた。
番組は異能力者の存在の是非を語り始める。
『そもそもこの国は異能力者に国家機能を託しすぎなんですよ。若者に権力を渡すとろくなことには――』
『こちらのグラフをご覧ください。異能力者を持つ家庭と持たない家庭では経済格差が顕著で――』
『異能力抑制アイテムも精々能力者のパワーを数段階抑える程度、これではとても〝抑制できている〟とは――』
『最近話題になっている都内のいじめ問題ですが、いじめられていた生徒の多くは無能力者で――』
『私の考える何よりの問題は治安悪化です。今回の事件のように異能力を利用した完全犯罪が可能となった現代では――』
『異能力者という脅威を生み出してしまったのは我々開発者です。技術は新たな技術でコントロールを――』
『今回の事件で異能力者は常に凶器を所持しているのと同じだという声も上がっており、身を守るために銃刀法の改正を求める無能力者も――』
『そのために異能力犯罪対策警察がいるのでは? 何より、このままでは日本国内での対立を生みかねず――』
『しかし異能力者がいることで我が国の諸問題は――』
ノイズが酷くなり、場面が変わる。
そこは以前夢で見た寂れた倉庫のような場所だった。仄香はまた縛られており、目の前には咲の死体がある。
自分が何か叫んでいる。「どうしてこんなことを」「貴方はそんな人じゃ」など、ノイズでよく聞こえないが、一部だけが聞こえた。
目の前にいる志波はゾッとするほどの美しい顔で薄く笑い、「君が俺に理想を押し付けていただけだろう」と言う。
「君は――生命が失われるその瞬間こそ、美しいとは思わないか?」
――体を強く揺らされて目が覚めた。体は汗でびっしょりだった。
横を見ると、心配そうに覗き込んでくる咲の顔があった。二段ベッドの階段からこちらを見ている。
「仄香、あんた大丈夫? 最近ずっと夜うなされてるけど……」
「……ごめん。起こしてくれてありがとう」
「何かいつも変な寝言言ってるわよ? よく聞くといくつかの日付なんだけど、関連性がなくて意味分かんないし……」
上体を起こし、ひとまずシャワーを浴びることにした。こんなに汗をかいていてはもう一度寝る気にもなれない。
「ねえあんたさ、早速未来視してんじゃない?」
「え?」
咲にベッドの階段から退いてもらって床に降りると、咲が深刻な表情で聞いてきた。
この前の異能力検査の結果は咲にも共有した。仄香がやっと能力を発現したことを咲も一緒に喜んでくれた。
しかし、まだ意図的にコントロールできるわけでもなく、授業でも一度もうまく使えたことがない。
「夢見てるんでしょ? あんたが寝言で言ってるの、来年の日付なの」
そう言って、咲は本棚から何やらドイツ語で書かれている難しそうな本を取り出した。
咲はドイツと日本のハーフで多言語話者だ。異能力先進国のドイツ語が読めるのは大きいだろう。
夏には武塔峰の新入生代表としてドイツまでプレゼンテーションをしに行っていた。日頃からドイツ語で書かれた異能に関する論文を読み漁っている勉強熱心さもある、尊敬できる親友だ。
「歴史的に見ても、強力な未来視ができる異能力者の瞳は紫色で、生まれつき極度に視力が悪いのよ。古代ギリシャの文献にもそのような記述が残ってるわ。能力を発現すると徐々に視力が人並みに戻ってくるらしいんだけど、その過程で意図的に自分の視界に未来を写せるようになってくるとか」
確かに紫色の瞳は滅多におらず、自分以外では聞いたことがない。両親も瞳の色がグレーとオレンジで、どちらからも遺伝していないはずだ。
咲が食い気味に顔を近付けてきた。
「知らない!? カプリス・プーツとか、イサーエヴナ・コロヴニコフとか――彼女たちはどちらも紫色の瞳! 日本人ではまだいないけど、鮮明に未来視することができた過去の異能力者たちはその力で世界に貢献して偉人になってるのよ。特にコロヴニコフは第三次世界大戦のきっかけとなる予定だった危機を未然に防いで和平条約まで持っていったでしょ。彼女は平和賞を受賞してるし――」
咲は異能力者の歴史を語る時だけ早口になる。オタクと言ってもいいかもしれない。
コロヴニコフの偉人伝は聞いたことがあるが、彼女の瞳はそこまで紫色ではなかったはずだ。確かに、青っぽい色だとは思ったが……。
「年と共に未来視の異能力はなくなってくるらしいわ。それに伴って瞳の色も変わってくるって言われてる」
「そうなんだ……でも、私の色はたまたまなんじゃないかな」
「瞳の色が遺伝に関係なく紫で、能力種が未来視なんて、偶然で片付けるには出来すぎてる。あたし、あんたに検査結果聞かされた時から実はちょっとテンション上がってたのよね」
テンションが上がっているのか、笑顔で語りながらぐるぐると部屋の中を歩き回る咲を見て、これが本当に未来視による夢なら、と想像して血の気が引いた。
「それで、どんな夢見てるの?」
咲は楽しげだが、反対に仄香は笑えなくなっていく。
夢の中で見た咲の死体を思い出す。本人に向かって、あなたが死ぬ夢を見ているなどとはとても言えない。
「凄くぼやけてる夢だからはっきりとは……」
「なーんだ。でも、はっきり見えるようになったら教えてよ? あんたの異能力、絶対凄いよ」
自信持って、とウィンクしてくる咲の笑顔を見て、胸が締め付けられるような心地がした。
(十月七日……)
夢の中の日付まで、あと一年と一ヶ月ちょっと。
それまでにこの未来視をコントロールできるようになって、本当にあの夢が未来の出来事なのか確認しなければならない。そして、本当に起こることなら――食い止めなければいけない。
その日から仄香は、未来視の異能を強化しコントロールするためのヒントを探し始めた。
担任の先生にも特別授業の申請書を出してみたが、未来視はマイナーすぎて教えられないと断られてしまった。
高レベルな未来視についてのデータはこの国にはあまりないようだ。そもそもはっきり予知できる能力者自体これまで日本にはいなかった。武塔峰生の権限を使っていくらか論文検索してみたが数件しかヒットしなかった。
(仕方ない……忙しいあの子に手間かけさせたくないけど)
仄香が次に向かったのは、天才研究者である茜のいる研究棟だ。研究科と異能力科では制服の色も違うため一人で来ると浮いてしまうが、しのごの言っている場合ではない。
「茜ちゃんいますか」
「ああ、茜さんのお姉さんですか。すぐ呼びます」
茜のクラスメイトらしき女子生徒が、教室の席に座って一人勉強している茜を呼んだ。
茜は他人とのコミュニケーションよりも勉強や研究が好きなタイプだ。加えて、ずば抜けた天才である茜は近寄り難いと思われている。友達がいないのは相変わらずのようだった。
「……なに……おねえちゃん」
茜は自身のショートヘアを照れたようにいじりながら聞いてくる。
「今、ちょっと時間ある?」
「ある……」
「未来視について教えてほしんだけど」
「未来視……?」
茜が首を傾げた。話し方がおっとりしているし、体も顔も小さいので小動物のような可愛らしさがある。
「おねえちゃん、異能、未来視だったの……?」
全寮制で部屋が違うため家族とはいえ話す機会は滅多にない。そういえば異能が発現したことを茜には伝えていなかった。
「すごいよ……おめでとう……」
茜は小さな手でぱちぱちと拍手してくれる。
仄香はいつも茜に対して劣等感を抱いている。けれど、それだけ凄いと思っている妹本人に褒められると、自分の異能が少し誇れるものであるように感じられた。
へへ、と頭を掻きながら笑った後、本題に入る。
「未来視を強化して、異能をコントロールできるようにしたいの。今は全く同じ夢を毎晩見るって感じで、もっと情報がほしいのに取れないっていうか……」
「なるほど……? じゃあ、今夜は寝る前にこれを飲んでみて」
茜がごそごそとポケットから薬のケースを取り出した。得体の知れない紫色の不気味な薬だ。これを口に含むのはちょっと躊躇われる。
「これは、人の夢を記録して映像で再現できる薬……。その夢がどんなものか実際に見てみないとどこが不十分なのか、能力のどこを補えばいいのか分析できないから、お願い……。夢が異能とは無関係の場合もあるし……」
「ええっと、これは飲むだけでいいの?」
「いや……翌日うんちとして出てくるから回収してほしい……」
「うんちとして……」
「うん。おねえちゃんが嫌だったらわたしが回収するから、便意がしたら呼んで……」
「い、いや、いいよ。自分でどうにかするよ」
茜はどこか感覚がずれている。研究や知的好奇心のためなら“汚い”という感覚がほぼなく、小さい頃は躊躇いもなくドブ川に突っ込んでいったことがある。
茜は相変わらずだな、と思いながら、不気味な色の薬のケースを受け取った。
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