届かない人




 きっかけは、尚弥が仄香の妹である茜を好きになったことだった。


 尚弥が茜と話す時だけ声がうわずっていたり顔を赤らめたりしていたから、「尚弥は茜ちゃんに恋してるの?」と茜の目の前で聞いてしまったのだ。

 今考えると申し訳ないことをしたと思う。

 尚弥の顔はみるみるうちに真っ赤になり、「んなわけねーだろ、こんなブス!」と言って走り去っていった。それ以来気まずくなったのか、尚弥と茜は話さなくなった。


 仄香の質問のせいで尚弥の恋は散った。


 だからこそ彼は仄香のやることなすこと全てが気に入らないらしい。

 あの時から尚弥はクラスの男子と一緒になって仄香のことを執拗にいじめるようになった。もう、小学生の頃からずっとだ。


「……私、今日の検査では能力発現してたよ」

「今更発現したって遅ぇだろ。このクラスの連中は皆もう自分の能力種に合わせた授業選択して日々努力してんだよ。遅れてんのはお前だけ。それにどーせ大した能力種じゃねぇんだろ?」

「そんなことな、」

「あ? じゃあ俺に勝ってみろよ」


 バチンッと威嚇するように電気が発生し、仄香の体に痛みが走った。これをされると仄香は怖くて反抗できなくなってしまう。


 尚弥の能力種は【電撃】。


 電気を自在に操る攻撃的な能力だ。応用として、電気で動いている機械を壊したり、ハッキングしたりすることもできる。

 尚弥は武塔峰の一年生の中で咲に並ぶトップクラスの能力者として扱われており、成績も常に上位である。


「お前が武塔峰に受かったのなんてたまたまなんだからな。調子乗んなよ」


 怯えて黙り込んでしまった仄香に対し、尚弥は満足気に口に弧を描いて吐き捨てる。顔の造形だけは整っているのに、吐き出す言葉は悪意に満ちていて醜い。


 尚弥は仄香が大切に持っていた手紙を奪い取り、内容を読んで鼻で笑った。


「なぁ、こいつあの志波さんにラブレター書いてるぜ」

「はぁ~? きっも」

「アンタなんかが志波さんに相手されると思ってんの?」

「よくそんな夢見れるよねー。釣り合わないっつーの」


 ラブレター、ではない。解釈によってはラブレターに近い内容かもしれないが、仄香にとってはファンレターだ。

 仄香は月に一回、必ず志波にファンレターを送っている。



 何故なら志波は仄香が異能力犯罪に対応する警察を目指したきっかけとなった人――小学生の時、命を助けてくれた恩人である。



 仄香は親と一緒に出かけた銀行で、強盗犯の人質にされたことがある。


 いくら待っても助けが来ず、自分の命を諦めた時、志波は颯爽とその場に現れた。


 後に聞けば、彼は当時正式な警察だったわけではなく、たまたまその場に居合わせたまだ見習いの高校生――武塔峰の生徒だったそうだ。


 志波は小さな仄香を抱える犯人に何の躊躇もなく攻撃を仕掛け、一瞬にして仄香を取り戻した。仄香の両親も泣きながらお礼を言っていたのを覚えている。


 咄嗟の判断力、迅速な行動、強力な異能力。その全てが仄香を魅了した。


「あ、あのっ」


 人見知りだった仄香が自分から年上の男の子に話し掛けたのは、その時が初めてだった。


「私も貴方みたいな、強くてかっこいい異能力者になれますか?」


 志波はこの問いに眉を寄せ、冷たい目で仄香を見下ろしこう答えた。


「無理だろう」


 思えばそれは優しさだった。自分に憧れの目を向けてくる幼き少女に、はっきりと現実を知らしめる言葉。

 志波ほどの能力者は国内を探してもそういない。確かに、人質にされて怯えているような何の力もない少女が安易に目指せるレベルにはいない人だった。


 しかしその発言は仄香の心により火を付けた。いつか絶対にこの人の隣に立ってみせる、認めてほしいという思いから誰よりも努力した。


 遺伝子検査で自分に武塔峰の推薦資格があることを知ってからは、推薦入試に向けて勉学に励み、できるだけ豊かな経験を経て自分のアピールポイントも沢山作り、銃を扱うことや体術の練習も重ねた。


 結果、仄香は武塔峰に受かったわけだが――。




 目の前に散らばっているのは、びりびりに破かれたファンレターだ。


 昨夜何度も書き直しながら丁寧に綴ったファンレターは、尚弥や他のいじめっ子たちの手で滅茶苦茶にされてしまった。


「身の程弁えろよ。ざぁこ」


 意地悪く笑う尚弥の顔が歪んで見える。同時に授業開始のチャイムが鳴り、クラスメイトたちが自分の席へ戻っていく。


 惨めな気持ちでただの破られた紙と化したファンレターを見た。



(……志波先輩。貴方はまだ遠いです)




 ◆



 昼休みになると、ようやく咲と合流することができた。


 武塔峰の食堂は広く、どのメニューも美味しい。仄香は学校で唯一昼休みの時間だけが楽しみだった。

 クラスでいじめられていることは咲には黙っている。そんなことを言えば、正義感の強い咲はこちらのクラスに乗り込んで来かねないからだ。



 武塔峰には研究開発科と異能力科の二コースがあり、仄香たちがいるのは高レベルな異能力者及び異能力発達の見込みのある者のみが所属できる異能力科である。


 逆に、研究科には無能力者の中でも若くして研究成果を上げている天才たちが集まっており、日々異能力関係の研究を進めている。


 異能力でなく頭脳で日本のトップに立つ高校生たちだ。彼らは研究発表をすることで内容によっては飛び級もでき、十六歳で日本最高峰の帝都大学に入った者も複数いる。仄香の妹である茜もこのコースに所属している。


 異能力が重要なエネルギーとして扱われるようになった現代では、国際的な異能力研究開発競争が進んでおり、国も研究費を惜しみなく出している。

 隣にそびえ立つ研究科の立派な校舎を見れば、相応の金がかかっていることはすぐに分かる。




 学食は相変わらず混雑していた。

 夏休み期間中に大量のロボットが導入されたらしく並ぶ必要性はほぼなくなったが、入学当初は長蛇の列ができていたのを覚えている。


 仄香はお茶漬けとからあげ、咲はカレー定食をロボットに頼んで席についた。


「あんたまたお茶漬け? ここのお茶漬けやたら高いのに……。寮で作って食べた方が安上がりでしょ」

「そんなことないよ! 学食のお茶漬けはブランド米のやっつぼしを使ってるしこだわりの高級具材と出汁が本当に美味しくて……」

「分かった分かった。今度食べるから」


 呆れた顔をする咲にお茶漬けの布教をしていると、ふと嫌な視線を感じた。

 顔を上げると、向こうでクラスメイトたちが仄香を睨みつけている。一年生の代表格であり有名な咲と紫色の瞳をした劣等生の仄香がこうして二人で食事しているのが気に入らないのだろう。


 でも、だからといって咲を避けるなんてことは絶対にしない。何を言われようと、どんな嫌がらせを受けようと――大好きな咲の隣にいることだけはやめたくないから。


「どこ見てんの? 仄香」

「ううん、何でもない」


 不思議そうに聞いてくる咲に笑顔で返し、ロボットが運んできたトレイを受け取って食事を始めた。



 昼休みが終われば異能力倫理学の授業だ。

 その次が異能力犯罪関連学の授業で、この担当教員は抜き打ちで小テストを仕掛けてくるとの噂である。早めに食べ終えて復習しなければいけない。




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