side美江-②

 お兄ちゃんが突然、おかしな事を言い出した。桜井くんが私の事を好きだとか、ずっと私の事を見ているだとか。


 この場で聞くことでは無いし、桜井くんに失礼すぎる。大体、お兄ちゃんは桜井くんを警戒しすぎだと思うわ。私が選んだ友人に対して変に口出ししないで欲しいんだけど。


「…………」


 桜井くんは戸惑って黙り込んでしまっている。そりゃそうよね。急に変なことを言う兄が悪いわ。私は桜井くんに申し訳ない気持ちになった。


 私が桜井くんの顔色をチラッと覗くと、頬がかなり赤くなっているように見えた。思わずドキリとしてしまうくらい、照れた桜井くんの表情は綺麗で……。艶やかだった。


「お、お兄ちゃんが変なこと言うから、桜井くんが戸惑ってるでしょ!!」


 私は自らも頬が赤くなってくのを感じて、誤魔化すように大きめの声で兄を咎めた。


「だって、ずっとお前の事見てたぞ」

「そ、そうだとしてもよ。ちょっとデリカシーがないんじゃないかしら」


 私がそう言うと、お兄ちゃんは口をもごもごと動かして、やがて諦めるようにひとつため息をついた。


「あの、すみませんでした……」


 桜井くんが気まずそうに頭を下げる。その頬は今もまだ赤みがさしていて、それが私にも移ったみたいに照れくさいと感じてしまう。


「ううん。むしろ、うちの兄がごめんなさい。ここ最近、ずーっと桜井くんを目の敵にしてるでしょ?」

「それはお前が「お兄ちゃんは黙って」


 私が睨めば、お兄ちゃんはまた何かを言いたそうにしているが、結局は何も言わなかった。


「監督は山田が心配なだけだから、あんまり怒らないであげて」

「もう。桜井くんは優しすぎるのよ」


カーンっ


 大きな音と共に、歓声が聞こえる。しかし、その歓声も長くは続かなかった。


 要先輩が打ち上げたボールが、レフト後方でうちの2年生、天内あまうち先輩によってアウトになったのだ。フェンス際でギリギリ取ったうちの先輩は凄いけど、やっぱり要先輩の打撃力も凄いよね。


「おい。桜井? お前また……」


 と、お兄ちゃんが桜井くんを睨んでいるらしい。私は桜井くんを振り返ると、バッチリ目が合って驚いた。


「あ」


 桜井くんはすぐに目を逸らしてお兄ちゃんに言い訳をしているけど、確かに桜井くんは、きっとずっと私の顔を見ていたんだ。


 少しだけ悲しそうな表情で……。


「もう。お兄ちゃん。次はうちの攻撃なんだから、桜井くんのスコア付けの邪魔しちゃだめよ」


 私はもう一度兄に牽制をすると、桜井くんのユニフォームの裾を少しだけ摘んで、桜井くんにこちらを向かせる。


「心配してくれてありがとう……」


 私は小さい声で、桜井くんに聞こえているかは分からないけど、お礼を言った。


「どうしたの?」

「ううん。桜井くんも、お兄ちゃんにばっかり構ってないで、ちゃんとスコア付けのお仕事しないとだめだからね?」

「う、うん。すみません……」


 桜井くんは、私が要先輩の事を好きだって知ってるから。私が要先輩を見て色々考えてしまっているから、心配してくれてるのよね。やっぱり優しい人だ。


 試合が終わって、桜井くんも他の部員達と一緒に片付けやグラウンド整備を手伝っている。


「お兄ちゃん。私、今日も桜井くんと帰るから」

「は? せっかく今日は一緒に帰れるのに!?」


 全員直帰が許されているから、確かにお兄ちゃんと私も一緒に帰ることが出来る。でも、今日の私はお兄ちゃんに対して少し拗ねている。


 私を心配してくれている桜井くんを睨んだり、おかしな事を言い出すんだもの。


「桜井くんがいいって言ってくれたら、寄り道もする予定だもん」


 だからこれは、お兄ちゃんへの反抗心である。


「あんまりベタベタするなって言ってるだろ」

「ベタベタなんてしてないってば。桜井くんは友達なんだから、別にいいでしょ?」

「お兄ちゃんは許しません」

「お兄ちゃんの許しなんていりません」


 私はピシャリとそう言って、もうお兄ちゃんの話は全て耳から耳へと流す事にした。


 挨拶が終わって解散になると、私はお兄ちゃんを無視して桜井くんを誘う。


「え? 監督と帰んないの?」

「いいの! 桜井くんとお喋りしながら帰る方が楽しいもの」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど……。俺とはいつでも帰れるでしょ?」

「桜井くんは私と帰るの嫌?」


 この言い方は自分でもずるいと思う。桜井くんは優しい人だから、こんな事言ったら断れないって分かってるんだけど……。どうしても、今日はお兄ちゃんに反抗したかった。


「嫌だなんて。そんな事ないよ」


 ほら、やっぱり桜井くんは断らない。


「よかった!」


 私と桜井くんは、同級生の部員や先輩達に少々冷やかされながら……。そして、お兄ちゃんに睨まれながら門をくぐった。


「あの、桜井くん」

「ん?」

「ごめんなさい。強引に誘っちゃって……」


 断りづらい言い回しをしてしまったのだもの。今思い返しても、さっきの私はずるかった。


「ううん。俺も山田と喋りながら帰るの、凄く楽しいから。本当に嫌だなんて思ってないんだよ」


 本当にこの人は、なんて優しいんだろうか。


「……もうひとつ、桜井くんに言いたい事があるの」

「言いたい事?」

「うん。まだ時間があるなら、ちょっと寄り道して行かない?」


 今度は無理やりにならないように、ちゃんと桜井くんの意見を聞く。もしも用事があったり、疲れたから帰りたいって思っていたりしたら、悪いもんね。


「うん。いいよ」

「本当? そしたら、商店街でアイスでも食べよ」


 私がそう言うと、桜井くんが一瞬だけ喉を詰まらせた。どうしたんだろう? と思って見つめていたら、桜井くんはこちらの視線に気づいて、照れくさそうに私の視界を手で遮ってくる。


「凄い見てくるじゃん……」

「あ、ごめんなさい。桜井くん、なんだか一瞬面食らっていたように見えたから……。私、何か変な事でもしちゃったかしら?」


 私がそう聞くと、桜井くんは更に照れくさそうな顔で、「早く行こう」とだけ言って、私を追い越す。


 追い越したはいいけど、桜井くんはまだこの辺りの道順をきちんと覚えていないみたいで、商店街の入り口で私を振り返り、聞いてくる。


「アイス屋ってどこにあるの?」

「ふふっ。着いてきて」


 私は得意になって桜井くんのスポーツバッグを軽く引き、彼を誘導する。これは、決してベタベタなんかでは無い。私は意外と、兄の言葉を気にしているみたいだ。


「着いたよ。桜井くんは何味が食べたい?」

「今日は暑いし、レモン味にしようかな」


 レモン味は口の中が爽やかになるし、涼しい気持ちも倍増って感じだもんね。私もレモンにしようかな。


「じゃあ、買ってくるね!」

「え、いや。お金っ」

「いいの! お礼だよ!」


 私を心配してくれたお礼と、強引なお誘いにも嫌な顔をしないで付き合ってくれたお礼。だから、今日のアイスは私の奢りだ。


 私がアイスを買って帰ってくると、桜井くんが眉を下げて申し訳なさそうにしていた。


「もう。そんな顔しないでよ。言ったでしょ? お礼なんだよ。このアイス」

「俺、何もしてないよ」

「してくれたの! 桜井くん、練習試合の時私を心配してくれてたんでしょ?」


 私がそう聞くと、桜井くんは目を見開いてから、更に眉を下げて俯いた。俯いても、桜井くんと私の身長差はかなりあるから、表情は丸見えである。


「嬉しかったんだよ。だから、もうそんな顔しないで?」

「ん……。わかった。じゃあ、これはありがたく貰うね。いただきます」

「えへへ、どうぞー! あそこに座って食べよ?」

「ああ」


 アイス屋さんのすぐ側には、ベンチがひとつとアイスのカップやコーンの包み紙の為のゴミ箱がひとつ置いてある。


 ここの商店街は長いから、食べ歩きの人もいれば、お店が用意した休憩スペースでゆったりしている人もいるの。


「ねえ、桜井くん」

「ん? 何?」

「私って、そんなに分かりやすかったかな?」


 ずっと要先輩を見ていたこと、桜井くんには全部わかっちゃってたんだもんね。心配かけちゃうくらい、私は未練タラタラの顔で見ていたのかな? もしも要先輩にまでバレてしまっていたら、どうしよう。


 私は今更不安になってくる。


「単純に、見てたから」

「や、やっぱり。私ったらジロジロ見ちゃってたのね……」

だよ」


 桜井くんの口から漏れた言葉が意外で、私は固まってしまう。


「監督が言ってたように、俺が山田を見てたから」

「え……。え、だって、私を心配してくれたから、見てたんじゃ……」

「どっちが先だろうね」

「え」


 私は戸惑ってしまって、アイスを食べる手を止める。もうすぐ夏だ。じわじわとゆっくり溶けていくアイスみたいに、私も恥ずかしくて溶けてしまいそうになる。だって、桜井くんみたいなイケメンにそんなことを言われちゃったら、こっちだって勘違いしそうになるよ。

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