side美江-①

 今日の部活動が終わった後、私は今日もジャージ姿から制服へと素早く着替え、野球部の部室の前でとある人物を待っている。


ガチャ


「あれ、山田。もしかして、今日も待っててくれたの?」


 私が待っていたのは、今しがた野球部の部室から出てきた、桜井新次くんだ。待ち合わせている訳では無いけど、最近はよく一緒に帰っている。


「うん。今日も一緒に帰りたいなって思って」


 桜井くんとの会話はとても楽しくて、過ごす時間は心地よい。彼の人柄のおかげだと思う。


「……そっか。うん。待っててくれてありがとう」


 桜井くんが微笑むと、なんだか心がポカポカ暖かくなる。


 桜井くんは最近うちに来たばかりの転校生で、それ以前の接触も小学生の頃に一度だけだったんだけど、もうずっと前から友達だったみたいに感じてしまう。


「あまり遅くなるんじゃないぞ?」

「分かってるわよ。それじゃあ、お兄ちゃん。またね」

「お先に失礼します」


 野球部の監督である私の兄、崇お兄ちゃんは、この後学校側に事務手続きをしてから帰らなければならない。だから、私とお兄ちゃんが一緒に帰ることってあんまりないのよね。


「ねえ、桜井くん。今日の数学の課題、見た?」

「ううん。まだ」

「凄いのよ? 私もまだチラッと見ただけなんだけど、問題数は少ないのに殆ど応用問題で……。絶対時間のかかるやつだわ」


 私が文句を言っていると、桜井くんは優しい顔でクスクスと笑う。どんな話をしてもこうやって嫌な顔ひとつせず話を聞いてくれるから、桜井くんと話す時間は凄く心が安らぐのだ。


「山田は数学が苦手なんだっけ」

「うん……」

「じゃあ、分からない問題があったら連絡してよ。俺、数学は得意なんだ」

「いいの!?」


 桜井くんは表情だけじゃなく、性格も優しい。少し前にも、私は桜井くんにお世話になっている。


「桜井くん、まるでお兄ちゃんみたい」


 私が言った「お兄ちゃん」は、私の実の兄達の事ではなく、桜井くんの優しいところが兄基質なんだな。と思って出た言葉だ。


「あ、お兄さんに教わる方がいいか。同じ家に住んでるんだし……」


 桜井くんはそう言って、少しだけ気まずそうに頬をかいた。


「ううん。そんな事ない。樹お兄ちゃんは頭いいけど、今日は帰ってこないと思うし……。崇お兄ちゃんはあんまり勉強は得意じゃなかったって言ってたし」


 私にはもう1人、一番上にひとしお兄ちゃんがいるんだけど……。仁お兄ちゃんは結婚して家を出てしまっているから、一緒には住んでいない。当然、学校の課題の事も聞けないのだ。


「そうなんだ。そういや、うちの親父も今日は帰れないって言ってたかも……」


 私と桜井くんの共通の話題は結構多い。家族の職場が同じである事もそうだけど、可愛らしい妹がいるという点も共通点で、お互いの兄弟の事を話していることも多い。桜井くんの実家である千葉の大滝町の事もよく話す。


 私が桜井くんに対して話しやすいと感じるのは、そういう共通の話題が多いから、ってところもあるのかもしれない。


「じゃあ、山田。また明日」

「うん。また明日」


 桜井くんは一緒に帰る時、いつも家の近くまで送ってくれる。たまに寄り道をして暗くなると家まで送ってくれるし、さり気なく歩道側や道の端を譲ってくれる。紳士な人なんだなって思う。


「気をつけて帰ってね」

「ありがとう」


 と言っても、すぐそこなんだけれど。桜井くんは本当に優しくて頼りになるなあ……。


 それなのに、崇お兄ちゃんは家に帰ってくるなり私に対して小言を言ってくる。内容は桜井くんの事。


「桜井が良い奴なのは認めるがなあ。桜井も年頃の男子なんだぞ。あんまりベタベタと……」

「何よ。ベタベタって……。桜井くんとはお喋りをしてるだけで、お兄ちゃんが考えるようなふしだらな関係じゃないわ。それに、桜井くんはいつも家の近くまで送ってくれるし、1人で帰るより私も安心だもの」


 お兄ちゃんの言う通り、確かに私は最近、桜井くんといる事が多い。断じてベタベタはしてないけど。


 部活後の下校もだけど、学校の休憩時間だとか、昼休みはかおりと一緒だけど、たまに桜井くんと三須くんを含めて4人で食べたりもするし、部活中の休憩時間にも、よくお喋りを楽しんでいたりする。やっぱり桜井くんとの時間は多かった。


「桜井くんとは話しやすいんだもの。でも、それだけよ。お兄ちゃんが考えてるような事はないんだから」

「美江がそうでも、向こうは分からんだろ」

「もう。すぐにそんな事言って! 桜井くんは誰に対しても分け隔てなく接してるわよ。他の部員達と話すところだって見てるでしょ?」


 私と崇お兄ちゃんが言い合っていると、妹の沙江が部屋から出てきたみたいで、リビングにコソッと顔を出す。


「お兄ちゃんとお姉ちゃん、さっきから何話してるの?」


 きっと声が上まで届いてたのね。私と沙江の部屋は2階にあって、リビングは1階だもの。


「お兄ちゃんったら、私が桜井くんと喋るとすぐに彼を睨むのよ? 今だって勝手なイメージで桜井くんとベタベタするなって……。普通に会話してるだけで、ベタベタなんてしてないのに」

「沙江、桜井先輩は優しくていい人だから好き」


 沙江は純粋だから、少し優しくされただけですぐに懐いてしまう。沙江の言う好きは、学くんに対して以外は恋愛の好きじゃないんだけど……。お兄ちゃんにとっては焦る一言だったらしい。


「なんだって!?」

「お姉ちゃんと桜井先輩なら、お似合いだと思うなー!」


 沙江ったら、以前も似たようなことを言ってたけど……。私と桜井くんはそんな関係じゃないのに。


「美江。ま、まさか桜井の事……」

「桜井くんは確かに優しいし、話しやすい人だけど、そんなんじゃないわよ」


 少しだけ顔が熱いのは、沙江がお似合いだなんて言うからだ。そう思った。


「ほら。あなた達。いつまでも言い合ってないで、ご飯にするわよ」


 母に呼ばれて、私達はリビングからダイニングに移動した。お兄ちゃんは今もまだ納得してないようで私を見つめてくるけど、知らない。


 次の日の昼休み。私はかおりと体育館の屋上にある中庭でお弁当を広げている。


「……って事があって。確かに私は桜井くんによく声をかけてるけどさ。別に、ベタベタだなんてふしだらな事はしてないし、会話くらいいいじゃないの」


 と、昨日の出来事をかおりにも話した。愚痴を聞いて欲しいのだ。


「なるほどねえ。あのお兄さん、妹を溺愛してるものね」

「だからって、桜井くんの事まで睨むし……」


 私が近づかなきゃいい話かもしれないけど、そんなの嫌だし。


「ちょっと思ったんだけど、美江って新次くんは友達なのよね?」

「え? うん。当たり前じゃない。かおりだって、桜井くんは友達でしょ……?」


 桜井くんとかおりも、よく2人で話してたりする。桜井くんもかおりも社交的だから、友達が多くて誰とだって仲がいいし、2人の波長も合うのかもって私は考えてる。


「そりゃ、友達だけど……。そんなに文句を言う美江が珍しいからさ。新次くんの事、好きになっちゃったんじゃないかと思って」

「えっ!?」


 桜井くんの事でお兄ちゃんに苛立っていたのは事実だけれど、桜井くんとはあくまで友達だ。私が桜井くんに肩入れしたがるのは、桜井くんが私の心を軽くしてくれた恩人だからだ。


「好きだなんて……」


 私は、恋を連想させる言葉を聞いた時、今もまだ要先輩の顔が思い浮かぶ。桜井くんは優しい人だし、きっと彼と付き合える女の人は幸せなんだと思う。けど、私は…私の気持ちは、まだ要先輩を忘れていないのだ。


「あら、可愛い顔するじゃない。美江がその気なら応援するよ?」

「や、違うの。桜井くんはいい人だけど……。そんなんじゃないの」


 私は、桜井くんを好きかどうか聞かれたらドキドキするし、顔も熱い。でも、私は桜井くんじゃない別の人の事も考えている。


 それって、二股みたいじゃない!?


 私は自己嫌悪して落ち込んで、かおりにギュッと抱きつくのだった。

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