これはありふれた日常の物語
〜下手でも嬉しい物語〜
side学
最近、幼なじみの沙江が学校帰りに
今日もうちに寄ると言って、鼻歌交じりに水着の入ったスイムバッグを振り回している。
「おい。この辺は人通りないからいいけど、あんまり振り回して歩くんじゃねえよ」
「あ、ごめん。えへへ。楽しみでつい……」
「また新しい
沙江がうちに来る目的は、日によって違う。単に母さんとお茶をしたい時。母さんの作品を見たい時。そして、母さんにデザイン画を見てもらいたい時だ。
「ううん。今はまだ描いてないよ」
「ふーん……。じゃ、服が目的か」
「違うよ。学も私ももう少しで大会でしょ?」
「あ? ああ。そうだな」
大会は確かにあるけれど、それとうちに来るのと何か関係があるのだろうか。
俺は疑問に思って、沙江を訝る。
「えへへ。学の部屋に行ってからね」
「は……?」
え? 待って、何も聞いてないけど? いつものリビングじゃなくて、俺の部屋に来るつもりなの? このばか。
「なんで部屋?」
「え? 今日は早苗さん、出勤日だから…。お話できないし」
え? そうなの? と言うか、何故息子の俺が知らないことを沙江が知っているんだ。そもそも、母さんがいないからって俺の部屋に来る意味もわからない。
「だからって、わざわざ部屋に行くことなくない?」
俺がそう言うと、沙江がきょとんとした顔をした。その顔がしたいのはこっちなんだが……。
たまに恐ろしく鈍感で、天然なんだよな。こいつ。
「部屋は、久しぶりだから行ってみたかったんだもん」
その程度の好奇心で、異性の部屋に入ろうとしないで欲しい。いくら幼なじみで慣れていても、警戒心は持っていて貰えないと俺が困る。
「それに……」
沙江は何かを言いかけて、ちらっと俺を見るとすぐに言うのを止めてしまう。
「やっぱり後で」
俺は沙江を訝りながら帰宅する。
沙江の言った通りで、家に母さんはいなかった。ついでに、涼もまだ帰っていないらしい。それなら、尚更部屋に入れるのは難しい。
涼という第三者がいれば、間違いが起こることなんて万に一つもなくなるが、二人きりはちょっと……。俺の精神的に厳しい。
「沙江。いつも通りその辺座ってて。茶菓子かなんかあると思うから、持ってくる」
「学の部屋は?」
「却下で」
「えー……」
残念そうに可愛くおねだり顔しても、俺は引かないぞ。
俺はお茶菓子を持ってきて、沙江の座っている目の前に置いた。
「学。お部屋が無理なら、カーテン閉めてほしいんだけど…いい?」
「え? 何? なんで?」
「うん。あのね、学に試しで着てもらいたい服があるの」
服……? もしかして、部屋がいいって言ったのも、俺に着替えて欲しかったからなのかな。
「まあ、いいけど」
俺は沙江の言う通りにカーテンを閉じて、沙江から服を受け取った。
「あれ? この素材って、ラッシュガード?」
「うん。うちの学校、指定のラッシュガードはないじゃない? 学がいつも使ってるやつ、少し古くなってきたって、この前早苗さんが言ってたから」
「確かに……。袖のとこちょっと擦れてて、油断すると穴が開きそうになってるけど。それに、サイズもちょっと小さくなってたし」
言いながら、俺はワイシャツを脱いで貰ったラッシュガードを羽織ってみる。これも、少しだけサイズが小さかった。
「んー……。もうちょっと袖のところ、ゆったりしてる方がいいよね。裾もちょこっと短いかも……。」
沙江がちょこちょこと俺の周りを見て回り、触れてくる。なんかくすぐったくて、落ち着かないな。
「学。ちょっとそのまま採寸させて?」
「お、おー……まあ、いいけど」
沙江に採寸まで済ませてもらったので、俺はラッシュガードを脱いでそのまま部屋で着替えてからリビングに戻る。
その間に、沙江には出したお茶菓子を食べて待っていてもらおうと思ってたんだけど。
「何してんの」
沙江はノートを取り出して、何かを熱心に描いていた。多分、デザイン画なんだろうけど……。
「直す部分を書き出してたの。学、その素材どう? 肌に合いそう?」
「裏地のこと? 肌触り、結構良かったよ」
「良かった。肌に直接触れる部分だから、結構悩んだんだあ」
凄く楽しそうに、沙江は笑う。頬が赤く染ってるから、興奮しているのだろう。とすぐに気づいた。
正直、沙江のこういう表情を見るのは好きだ。可愛いと思う。
「自分の分にしねえの? 生地だってタダじゃねーだろ?」
「沙江は自分のサイズ知ってるもん。もう作ってあるよ。ほら」
沙江がノートを捲って、自分のために作った方のデザイン画を見せてくれる。
俺に作ってくれようとしている物とは、少しだけデザインが違った。同じ生地だけど、何故だか女性らしい。差し色の違いかな。
「あのね、学が沙江の夢を応援してくれた時、嬉しかったから……。それに、最近また学のタイム上がったでしょ? 大会でもこの調子で頑張って欲しいから。それまでに完成させるから、使って欲しいな」
沙江が少しだけ緊張しているのが、表情から伝わる。
そりゃあ、こいつが自分でデザインして作った服って、人に着てもらうのは初めてだもんな。初めての相手が俺なの、やっぱり嬉しい。
たとえ上手く作れなかったとしても、絶対に使いたいと思った。今日着たラッシュガードを見る限り、下手ってことはないだろうけど。
「ありがたく使わせてもらう。だから、俺のために頑張って作れよー?」
ぐりぐりと頭を撫でると、沙江は心地良さそうにはにかんだ。しかし、すぐにハッとして、ぷっくりと頬を膨らませる。
「学! また髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
「…あ、悪い。なった」
言われてから気がついて、俺は手を離す。沙江の髪はもう乱れてしまっていたので、とにかく謝るしか無かった。
「もーっ!」
不貞腐れた顔で髪ゴムを外した後、ジトっと俺の顔を半目で見つめてきた。まだ怒っているようだ。
「学が責任もって直してよ」
「えー……。全部まとめて縛るのでもいい? 同じ髪型は無理」
沙江の髪型ってなんだっけ? あの髪型、結んでるうちに別の髪も巻き込んじゃいそうだし、絶対にできない。まだポニーテールとかの方が上手くできる気がした。
「それでいいよ。結んで?」
沙江はポーチを取り出して、俺にそれごと差し出した。勝手に開けていいってことだろう。
沙江が後ろを向いたので、俺は初めての髪結びチャレンジを始める。
「……痛くねえ?」
「うん」
「お前、結構くせっ毛だよな」
「うん。学みたいにサラサラが良かったなあ」
「そう? …俺は沙江の髪、結構好きだけど」
「え?」
言ってから恥ずかしくなる。顔がじわじわと熱くなってくるのを感じて、余計に恥ずかしかった。沙江がこちらを向けない状態で良かった。と本気で思う。
沙江も照れているのか、結び終わるまではお互いに無言だった。
「……なあ、俺、もしかして髪結ぶの上手くね?」
「綺麗に纏まってる……。学、凄い!」
ヤバい。ちょっと楽しい。もしかして、いつもの沙江の髪型も、やろうと思えば出来るんじゃないだろうか。挑戦しておけば良かった。
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