side涼

「痛っ!」


 ズドンという大きな音とともに聞こえてきた声で目が覚めた俺、春山涼はるやまりょうはベッドから顔を出すと、俺のベッドとは向かいの壁際に置いてあるベッドを見た。


 週に数回は起こるのことなので分かりきっていたことなのだが、兄の学がベッドから落ちた音だった。


「兄さんって、本っ当に寝相悪いよね」


 土曜日で学校も休みだと言うのに、兄さんのおかげで健康的な時間に目が覚めてしまった。背中をさすっている兄さんに、俺は小さなため息をこぼす。


「毎日じゃなくなっただけマシなんだけどな……」


 立ち上がった兄さんがそう言って苦笑する。


 確かに、兄さんが小学生の頃はもっと酷かった。毎日のようにベッドから転げ落ちるので、ベッドの脇にもうひとつ布団を用意して、衝撃を和らげていたくらいだ。


「今日土曜なのに……。まだ朝の六時じゃん」

「悪い悪い。あ、そうだ。コンビニ行かない? 確か今日からハイソンで新作のトリカラくんが出るだろ?」


 『ハイソン』とはコンビニの名前。結構大きくて、全国規模のコンビニだ。青い横縞の制服で、イチオシ商品は丸々とした唐揚げが小さな箱に入った『トリカラくん』。


「一人で行ってくればいいのに……」

「いいじゃん! お菓子も買ってさー。帰ってきたら、それつまみながらゲームしようぜ」

「兄さん強いから嫌なんだけど」


 そもそも、先に朝ごはんだろう。俺はそう思いながら、とりあえずパジャマから外にも着ていけるラフな服装に着替える。ご飯の後に俺がその気だったら、別に一緒に行ってあげてもいいかな。と思ったからだ。


「行く気じゃん」

「うるせ。兄さんも早く着替えなよ」

「へーい」


 俺たちの部屋があるのは二階。ダイニングは一階なので、兄さんが着替え終えた後に二人で下に降りる。


 ご飯を食べ終えたあと、俺たちは食器を水につけておき、そのままの足でコンビニに向かった。


 ……コンビニに滞在している間に、朝の七時半を回ってしまった。


「…兄さん、長いんだけど。いつまで選んでるの?」

「だってさー……。期間限定って言われると買いたくなるじゃん。でもいつも食べてるやつも美味いし」

「沙江さんとたまに買い物に出かけてるけど、いつもこんな感じなわけ?」


 俺たちの幼なじみの山田沙江さん。兄さんとは同い年で、いつも一緒にいる。彼女のことも待たせているんだったら、可哀想だ。


「沙江はひとつずつ買おうって言って、半分こしてくれる」

「優しいな……。それに甘えてばっかりだと、いつか愛想つかされるぞ?」


 沙江さんの方が兄さんにベッタリだから、きっとそれは無いのだろう。しかし、俺はさっきから十五分以上待たされているのだ。少しくらいはからかっても、許されると思う。


「……じゃあこれ」


 今の言葉が効いたのか、兄さんは唇を尖らせつつ、俺の持っていたかごの中に期間限定のポッキーを入れた。


「兄さんって、本当に沙江さんのこと好きだよねー」

「うるさ。そういうお前は、誰かいないのかよ? クラスに気になってる子とかさあ」

「えー? 俺はまだいいよ。友達と遊んでる方が楽しいし」

「つっまんねえ。お前、結構モテるんだろ? 中等部にも噂が届いてるぞ?」


 そうは言われても、まだ誰かを好きって気持ちになったことは無い。


 仲のいい女子も何人かいるけど…それも友達って感覚だし。


 告白も何度かされたし、されたら嬉しいとも思うけど、好きではないのに付き合うのは悪いと思うから断ってきた。


「いいじゃん。俺のことは。先に兄さんだろ? 沙江さんもモテるらしいし、幼なじみだからって悠長にしてたら取られるよ?」

「うわっ。正論きつっ……」


 俺たちは買い物を終えて帰宅する途中でも、ちょっとした言い合いをしていた。


「あれ? 向かいのでかい家、誰か引越してきたんだな」


 と兄が言うので、俺たちは言い合いと足を同時に止めた。


「あの屋敷みたいな家?」


 春山家の道路を挟んで向かいにある家は、うちの三倍近くあるのではないか。というほどに大きい。どんな金持ちが引っ越してきたのだろうか。と気になったが、じろじろと見るのも不躾だろう。


 きっと、引っ越し作業が落ち着いたら挨拶にも来ると思うし。そう思ってスルーしようとしたのだが……。


 引越し業者の人が数名出てきた後に、家の人たちも一緒に出てきたため、俺たちは結局目を向けてしまった。


「それじゃあ、他の荷物も……」


 作業中のようだったが、俺たちの視線に気がついたのか、母親らしき女性がぺこっとこちらにお辞儀をして、近づいてくる。


「あ、えっと……」


 俺たちはそれに驚いて、たじろいでしまった。


「はじめまして。俺たちは向かいに住んでる春山です。あの…えっと、すみません……。近所に引っ越してきた方がいるんだなあと思って、じろじろ見ちゃってて……」


 兄さんがしどろもどろにそう言うと、女性はにこっと笑って挨拶をしてくれた。すごく優雅だ。と思った。


「向かいに越してきました、市川です。またお家にもご挨拶に伺わせてくださいね」

「は、はい。ありがとうございます……」

「えっと、よろしくお願いします……」


 俺たちは何を言えばいいかわからず、とにかくぺこっと頭を下げて挨拶をした。


 そして、顔をあげた時に俺は思わずドキリとした。


 母親らしい女性の他に、家から出てきていた家族たち。その中に、俺よりも年下だろうか。小柄の女の子がいた。その女の子と目が合ったのだ。


 俺は思わず息を飲んで、彼女の顔をじっと、無言で見つめてしまう。


「涼? 何見てんだよ。邪魔しちゃ悪いし、そろそろ家に入ろうぜ」


 その女の子の瞳はどこか澄んでいて、透明にも見えた。実際にはグレーが正しいのだろうが、とてつもなく綺麗で、吸い込まれてしまいそうだった。それに、目は大きめなのに他の全てが小さくて、陶器のように真っ白な肌で……まるで人形みたいだ。


「可愛い……」


 俺はつい言葉にしてしまい、ハッとする。


 目が合っていたのだから、彼女も自分のことだと何となく気がついたらしい。元々パッチリとした目が更に大きくなって、白かったその肌がピンク色に染まる。


 多分、俺も顔が赤い。何故なら、とてつもなく顔が熱いから。俺は「ごめんなさいっ!」と頭を下げると、兄さんを置いて家の中に逃げ帰った。

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