side学-②
俺は母さんがお茶を入れている間、皿にドーナツを盛っていた。箱のままでもいいが、誰が誰のか分かりやすくするために、皿に移しているのだ。
箱は弟の涼の為に取っておく。六月でじめっぽいから冷蔵庫にでもしまっておいてやるか。と思って冷蔵庫を開いた。
「ねえ、学」
「何?」
お湯を沸かしている母さんが何か嫌な笑みを浮かべてこちらを見ていることに、返事をしてから気がついた。
「何その顔」
「沙江ちゃんに何話してたのよ? えっち」
「はあっ!?」
何がえっちなんだ。ちょっと耳打ちをしただけではないか。そう思って、俺は母さんを思い切り睨む。
「だってえ、沙江ちゃんの顔真っ赤だったじゃないの。何言ったのよ? セクハラよ?」
そういう内容では無いことくらい、わかっているはずだ。そもそも、本当にセクハラ発言なら笑ってないで怒るはずだし。
ただ俺をからかいたいだけなのがわかって、俺は拗ねたい気持ちになった。
「何も。後で本人から聞けば?」
俺はそう言うと、早くその場から逃げ出したくて、ドーナツの入った皿を三つお盆に乗せてリビングに向かった。
「あ、学。ありがとう!」
「はいよ。お茶はもうちょい待って」
「うん! ねえ、学……。これ、変じゃないかな?」
「え?」
沙江が見せてきたのは、最近書いていた服の絵だった。
沙江の不安げな表情からすると、本当に真剣に書いたのだろうということが窺える。
「…俺は女性の服はわからないけど、沙江は何度も書き直してこれを選んだんだろ?」
「うん」
「じゃ、平気だ」
「…うん」
「平気だ」とは言ったけど、母さんはきっと真剣には見ないだろう。俺はそう思った。
沙江もそれがわかっているようで、作られた笑みは少々悲しげだった。
「お待たせー!」
「あ、ありがとうございます!」
「サンキュー」
俺は早速ドーナツから手をつける。
暫くはおやつを食べながら雑談だけをしていたのだが、沙江がやっと覚悟を決めたのか、母さんにさっきの紙を見せる。
「あら。可愛らしい服ね。沙江ちゃんらしいわ」
「…本当に可愛いですか?」
「ええ! もちろん! 今度作ってあげましょうか? こういう服。」
「…ありがとうございます」
やはり。と俺は思った。きっと沙江もだろう。笑ってはいるが、どこか悲しそう……。
母さんは沙江に対して傷つけることは言わない。
だから、沙江が真剣に描いて持ってきたデザインも軽く扱ってしまう。子どもをあやす時と同じ言葉選びで、優しい言葉で、全肯定をする。
沙江は真剣に見て貰えないことを努力不足だと思っているようだが、母さんはただ沙江に嫌われたくないだけだった。
「……母さん」
いつもなら俺も口を挟まない。沙江が泣く顔を見たくないし、俺も前までは、趣味のようなものだろう。と軽く扱っていたからだ。
しかし、最近の沙江は本当に真剣に描いていた。
真剣に描いたデザイン画も、これで三度目だ。
一度や二度は様子を見ているだけだったが、流石に三度目ともなれば、本気なのだろう。と俺も思う。
「何? 学も見る? きっと、これを着た沙江ちゃんは可愛いわ」
と浮かれた様子で笑っているから、俺はもう少しだけ強めの口調で呼んだ。
「母さん」
俺がじっと母さんの目を見つめると、ピタッと母さんの動きが止まった。
「そいつ、本気だよ。本気だから……その
「…学」
ここまで言えば、母さんにも伝わる。途端に仕事をする時のような顔つきに変わって、俺は目を逸らしたくなった。
きっと、沙江は泣くだろうな……。
真剣に描いたとはいえ、素人の沙江がプロから受ける指摘の言葉は、きっと厳しい。『真剣に見て』とはそう言うことでもあったから。
「――だし、――は、―――。――にはいいかもしれないけど――には―――か――を――――。」
「母さん!」
俺がもう一度声をかけると、母さんはハッとする。
わかりきっていたことだが、やっぱり沙江の瞳には涙が滲んでいた。言葉遣いは丁寧だったが、発する言葉はやはり厳しかったから。
沙江は泣くのを必死に堪えているようで、ぎゅうっとセーラー服のスカートを掴んで、皺ができてしまっている。
「ご、ごめんなさい……。私ったら…沙江ちゃんになんてことを……」
おろおろと謝る母さんに対して、沙江はぶんぶんと大きく首を振った。
「沙江…ずっと、早苗さんに憧れてたっ…からっ……ほんとのこ…こと、知れて……嬉しっ…ですっ」
ぐすっぐすっと喋る度に涙が溢れ、止まらなかった。
「さ、沙江ちゃん……」
「沙江、早苗さんのことっ大好きでっ…です!」
泣きじゃくる沙江を恐る恐る抱きしめた母さんも、少しだけ泣きそうになっていた。
「泣かせてごめんなさい。憧れだなんて言ってくれて嬉しいわ。沙江ちゃんが考えた服を可愛らしいと思っているは本当なのよ?」
「…ありがとうございます。」
……暫くして沙江が泣き止むと、母さんはまたおろおろとして手をさ迷わせた。
沙江はにへっと緩く笑って「大丈夫です」と言っているが、母さんには泣かせてしまったことに、まだ罪悪感が残っているのだろう。
「沙江のことは俺が送るから、そろそろ涼も帰ってくるし、ご飯作ってなよ」
「そ、そう? わかった……。あの、沙江ちゃん。また遊びに来てくれる?」
「はい。あの、ありがとうございました!」
いつもの元気は無かったが、沙江は笑顔でそう言った。
「学、ありがとう……」
帰り道、沙江が急に自分の腕を俺の腕に絡めてきて、驚いた。沙江が足を止めるので、俺も自然と立ち止まる。
「あのね…早苗さん、また描いたデザイン見てくれるかな?」
それが不安だったのか。
急に可愛いことをするものだから、驚いてしまった。俺は沙江の無防備に対する不満を心の奥にしまって、返事をする。
「見るだろ。母さん、沙江のこと大好きだし」
「えへへ。今度は泣かないように頑張る」
「続けるんだな」
「うん!」
「頑張れ。また泣いたら…仕方ないから慰めてやるよ。幼なじみの好で」
俺はそう言って頭を撫でてやった。照れ隠しに結構強めに撫でてしまったので、沙江は怒った顔をする。
「もーっ! 髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃう!」
「あ、悪い。なったわ」
「もう……」
沙江は拗ねた顔で髪ゴムを外し、手ぐしで梳かしている。
「でも、今日は許してあげるね。学が応援してくれたの、嬉しかったよ」
「…ああ」
面と向かって言われると、やっぱり恥ずかしくて、俺は目を逸らしてしまった。
「大好きだよ。学!」
だから、急にそんなことを言う沙江の、恥ずかしそうな可愛い笑顔は見逃してしまったのだ。
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