今からこの物語を設定を考えます!

伊草

第1話 プロローグ


 一瞬という言葉が瞬き一つ分の刹那を差すなら、それは本当に一瞬の出来事だった。


 自宅のリビングでソファーに座りながらバラエティ番組を眠たげな眼差しで眺めていた道弥(みちや)が瞼を開けた途端、すでにそこは真っ白な空間だったのだ。


 何もない白紙のなかに迷い込んだかのような、果てのない白の世界。まるで遠近感も覚束ない、焦点も定まらない世界に道弥は一人で立っていた。


 さらに瞬きを一度、二度。


 三度目に瞼を開けたとき、周囲には幾人かの姿が忽然と姿を現していた。スーツ姿のサラリーマンにエプロン姿の女性、パジャマを着た幼児に杖を突いた老婆、老若男女問わず多くの人々の姿が青白い光とともに現れ、道弥の周りを取り囲んでいく。突然の召喚現象はなおも絶え間なく続き、やがて視界の遥か向こう、気が遠くなる程の距離まで広がっていった。


 ものの数秒で、白の世界は夥しい数の人々で埋め尽くされた。


「なんだ……」


 喉から乾いた声が漏れる。


 動揺しているのは当然道弥だけではない。


「な、なにっ?」


「え? なんで、さっきまで料理してたのに……」


「どういうことだ⁉」


「ゆ、夢……?」


「家内はどこだ⁉ 無事なのか⁉」


「一体どうなってるのよ⁉」


 最低でも一万人はいるだろうか。ワールドカップにスタジアムを埋め尽くす群衆よりもなお多い数の人々が一斉に叫び、喚き散らし、混乱の渦を巻き起こす。辺りはまさに阿鼻叫喚の様相を呈していた。


 何か常識外のことが起こっている。ここに至って道弥は初めて異常事態を肌で感じていた。


『静粛に』


 騒然とした声がぴたりと止む。


 総勢一万以上の人々が一斉に静まり返った。


 混沌を鎮めたのは、脳を揺らすかのごとき厳かな一声。


 道弥は遥か頭上に暴力的な存在感を覚えた。


 気づけば皆が顔を上げ、唖然とした顔で頭上の一点を見つめている。


 顔を上げずには、いられなかった。


『愚かに喚くのは許容しない』


 ——なんだ。あれ……。


 中空に浮かぶは、巨大な球体。


 しかし正確には球体ではない。そもそも確かな形状は維持されておらず、絶えず流動する青白い光が一点に集約しており、心臓の鼓動のごとく一定のリズムで眩い光が弾けている。生物と形容するには肉感を持たず、機械と呼ぶには無機質さに欠ける。例えば何か宇宙的な現象が間違って実体を持ち、叡智を得てしまったような、そんな壮大な存在。


 とにかく理解できるのは、アレが人間の常識を超越したナニカであることだった。


『説明は簡潔に、かつ効率的におこなうのが物語の美学である。よって自己紹介は割愛させてもらおう。諸君らを召喚したのが私であることと、私がルーラーと呼ばれる存在であることを理解していれば、それでいい。それ以上を知る必要はないし、知る権利は諸君らにはない』


 性別が判然としない厳かな声は、アレが絶対的な存在であることを雄弁に証明しており、こちらが声を上げることなど許されていないことを道弥は本能で理解した。そうでなくても喉が震えて元より声など出ない。


『喜ぶがいい。諸君らはアバベルの世界に選ばれた』


 圧し掛かるような重い声は、拡声器もないのに広く響き渡る。青白い光に漲るエネルギーの余波が肌をぴりつかせ、執拗に恐怖を煽る。


『これより諸君らはアバベルの世界で時を過ごすこととなる。これが一時の移ろいか、はたまた永遠の幽閉になるかは、諸君らの選択にかかっている』


 神秘的な全様は、反して下界の者たちに禍々しい印象だけを刻み込む。


『私が諸君らに求めるのはたった一つ。まだ見ぬ至上の物語を、私に見せることである』


 青白い光が脈打つ。


『さあ、どうか己が役割のなかで、思い思いに物語を紡いでほしい』


 超越の存在が大仰に手を広げてみせたイメージを道弥は幻視する。


『——期待しているぞ』


 覚えているのは、その言葉が最後だった。



 

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