幕間 祭りの前に鬼が嘲笑った


「本当にキラも鬼らしくなりましたよ」


 昔を懐かしむように言うルインの言葉に、鬼王きおうも大きく頷いた。


「キラを鬼にした日、その時まで溜め込んでた俺の妖力が一回すっからかんになったからな」


「そうでしたね。髪の色やら目の色やら、見た目を変えるだけならまだしも……寿命を変えるだの、種族を変えるだのは、相当なものですからね」


「俺以外には出来なかっただろ?」


「そうでしょうね。神すらもしのぐ行いなど、そんな罰当たりなことができるのは、主様あるじさまくらいのものです」


「そういう事じゃなくてだなぁ!」


 不服気味ふふくぎみに眉を寄せる鬼王を軽くあしらって、ルインはキラをみつめた。

 あの時の光景を忘れることはないだろう、と彼は回顧する。


 あの時、ルインは鬼王を止めることなく、その光景を見ていた。

 いな、ルインは止めることもできず、見ていることしかできなかった……という方が、正しかったかもしれない。

 鬼王の絶大な妖力で施された妖術は、みるみる間にキラを、このヒノモトに生きる同胞オニへと変えた。

 しかし、それは施す鬼王にとっても、その術を受け止めるキラにとっても、負担の大きなものだった。

 結果、鬼王はその時、持ち合わせていた全ての妖力を使い切り、三日三晩も眠り続けた。

 一方キラは、鬼王の絶大な妖力を無理矢理にじ込まれたせいで、その日より以前の記憶が曖昧になり、言語も何故かヒノモトの言葉を話すようになった。

 その時に目の当たりにした光景の出来事を、ルインは冷静に把握している。


――鬼王が妖力を使い切り、一度死にかけたこと。


――人間だったキラには、絶大な鬼王の妖力は耐えきれず、記憶や言語までにも影響を与えたこと。

 そして、それでも消化しきれなかった鬼王の妖力が未だ、キラの身のうちに根付いていること。


 問題だらけの出来事ばかりが起きたあの一日を。

 痛みに歯を食いしばる2人を見ていることしかできなかったあの時の光景を。


――ルインは決して忘れることはできない。


 それでも、今、鬼王として鬼の一門の長として君臨する主君と、それ以降は問題なく、鬼として成長し大きくなったキラを見ていると、いつかの日の壮絶そうぜつな出来事も間違ったとは思わない。

 ルインは今の2人が不幸だとは思わないし、あの日の判断に一切の後悔もない。

 ルインは、ゆっくりと目を瞑り、静かな声で徐ろに鬼王に夢物語を語る。


「けれど、もし、あの日以前の主様とヒノモトが戦をしていたら人間など一瞬で消炭。鬼の一門がこのヒノモトを占領し、和議なんて生温く甘い事にも、なってはいなかったでしょうね」


 あの後、鬼王は目を覚まし、再び絶大な妖力をその身に宿した。

 けれど、昔を知っているルインからすれば、今の鬼王の妖力など、かつての彼からしたら天と地ほどの差がある。

 あの時、使い切っていなければ、戦の結末は違っていただろう、とルインは思いを馳せた。


「でも、今の生活も嫌じゃねぇだろ?」


 鬼王がニカッと笑ってルインに言う。

 ルインは鬼王の笑顔と、遠くでラスと笑い合うキラを交互に見てから苦笑した。


「まぁ……そうですね」


 そして今はこの鬼の一門が暮らす里にいない、勇ましく優しい愛しき女性を想い、心のなかで微笑む彼女に向けてルインは微笑んでから頷いた。

 キラと出逢わなければ、鬼王がキラを鬼に変えなければ、御神姫みこひめ様が彼女じゃなければ、結末は大きく変わってしまっていた……とルインは想像してから眉を顰めて、ため息を吐いた。

 それは何とも味気なくつまらない、誰も幸福にならない結末に思えたから。


「あら……うんど、さあてぃ、ふじょし」


「……何のまじないですか?」


 突然、意味不明なことを口にする主に、心底心配そうにルインが声をかける。


「いや、御神姫の世界の言葉らしい」


「へぇ、興味深いですけど。……主様、意味わかってるんですか?」


 疑いの眼差しを向けるルインに、鬼王は満面の笑みで答えた。


「さっぱりだ!」


「でしょうね」


 ルインは予想通りの返答に呆れたように言った。

 遠くからキラが2人に走って近づいてくる。

 ルインはそれに気づいたが、御神姫の世界の言葉を覚えるのに夢中で気づいていない鬼王は、再び意味も理解しないまま口にする。


「あらうんど」


 キラがきょとんとした顔で、くるりとその場で回りながらキョロキョロと辺りを見回す。


「……?……周りに何かあったのか?」


 そう言ったのは、くるりと回ったキラ自身だった。

 キラの突然の行動に、鬼王とルインは顔を見合わせて首を傾げる。

 キラもまた、小さく首を傾げながら、鬼王たちに問いかける。


「ん?だって今、その辺を回ってみたいなこと言わなかった?」


「…………」


 2人はもう一度、目を見合わせてから、鬼王が話題を変えるようにキラに問いかける。


「……いや。それよりキラはどうした?何か用事があってこっちに来たんじゃないのか?」


 キラは、忘れていた用事を思い出し、慌てた様子で鬼王に報告する。


「あぁ!そうだ!……何か嫌な匂いが強くなってんだよ!たぶん海辺の方からすごくにおう……」


 鬼王はキラの言葉に驚く素振りもなかった。


「そうか、わかった。よく教えてくれた。あとは任せとけ」


 鬼王は、キラを安心させるように明るい声音で笑って言った。


「あぁ。……でも気をつけてくれ。なんか……たくさんいそうだから」


 珍しく不安気に言い淀むキラに、ルインは首を横に振って言う。


羽虫はむしいくたばになろうと、主様には勝てん。いらぬ心配はせずに、主様の言いつけ通り、おまえはラスのところに戻れ」


 ルインにピシャリと言い切られて、キラは不満を隠しもせず怒鳴るように言う。


「うるせぇ!ルインには言ってねぇんだよ!」


「……本当に、大きくなったものだ。しかし、一人で大きくなったようなつらも、何故か憎めないものだな」


 しみじみと語るルインにキラは吠える。


「何か言ったか!?」


「……いや、何も。とりあえず、おまえはラスのところに」


「わかったよ、うるせぇなっ!!」


 ルインが言い切る前にキラが返事をして、プンプンとしながら、ラスのもとへ向かった。

 それをしっかりと見送ってから、ルインと鬼王はその場をあとにした。



 荒れた海、吹きつける潮風が2人の美しい黒髪を揺らす。


「この場所だったな。キラを拾ったのは」


「そうでしたね」


「鬼の一門、なんてずいぶん大層なものになったよな?俺達も」


「えぇ、鬼の王だなんて、あなたには過ぎたる名かもしれませんよ?」


「言ってくれるじゃねぇか!一回すっからかんになった俺より弱い妖力のくせに!」


「妖力はね?でもちょっと、考えなしでしょう?」


 2人は昔と変わらない小競り合いをしながら、海をみつめる。

 荒れた海にいくつもの篝火かがりびが見える。


「さて、そろそろおいでなすったようだぞ?」


 2体の鬼がニヤリと口角を上げる。

 目の奥には赤い炎がくすぶり、口元の残忍ざんにんな牙が血肉ちにくを求めるように光る。

 大きな手の先に伸びた鋭利な爪が、出番はまだかとうずいている。

 2体の鬼は、快楽で凄惨せいさんな光景を求める猟奇的りょうきてきで狂気にまみれた獰猛どうもうな鬼の本質と本能をさらけ出して、立っている。

 その姿こそ、鬼そのもの。

 今は平穏と恋しい女のために鳴りを潜めていたはずのかつての鬼が、潮風に髪を揺らし、立っている。

 篝火がヒノモトの砂浜を踏んだその瞬間、どちらからともなく2体の鬼が唸る。


「行くぞ、我が同胞……」


「狩りの時間です」


 それらは潮風より強く疾く、いとも簡単に全てをぎ倒しながら、土煙つちけむりを撒き散らしながら、気炎万丈きえんばんじょう、吹き荒れた。

 決着は一瞬。

 なすすべもなく倒れ伏す大群の人間を踏みつけて、祭りの前に鬼が嘲笑わらった。


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