幕間 帰り道の私が出逢った後の彼ら

 突然、背中に降り注がれた声に、俺は弾かれるように振り返る。


――こんな偶然あるのか?


 俺が、逢いたいと願ったのが、まるで神か仏かに筒抜けだったみたいじゃないか。

 俺はあまりの驚嘆のせいで、こわばっていた体から力が抜けていった。

 運命みたいな偶然に感謝しながら、俺は力なく穏やかに笑った。

 ふと前を見れば、先程まで眼の前で享楽的に笑っていたウチの大将は、俺と同じ顔をしていた。

 その事に思わず、俺は吹き出した。                                                     


「あれ?キラまで笑ってるけどそんな面白いことだったの?それとも何?誰かが来年のことでも話してたとか?」


 彼女が、俺たちをからかうみたいに笑って言う。


「鬼だけにか?御神姫みこひめにしちゃぁ、うまいこと言うじゃないか!」


 大将がヘラヘラとしながら近づいていき、彼女の頬を、ぐにっとつねった。


「ほはっ!いひゃふはないけろふへふなぁ……」


 たぶん(ぐはっ!痛くはないけどつねるなぁ……)と言ってるんだろうな。

 カラッと笑う大将と、本気ではない非難の目で睨んでみせる彼女がじゃれ合う。

 その光景を見て俺は、本当にホッとしたんだ。

 俺のせいで、何かが壊れてしまうかと思った。

 俺がわかってしまったせいで、俺が大将に縋ったせいで、俺が獲物を取り逃がしたせいで。

 何かはわからないけど、なにか大切な何かが壊れて消えてしまうかと思った。

 ホッとしたせいか、足に力が入らねぇや。


「あっ!!御神姫サマ!!用事終わったのぉ?」


 彼女の姿を見たラスが手を大きく振りながら、少し離れた場所から駆けてくる。

 その後ろから、ゆっくりルインがこちらに向かって歩いてくる。

 彼女の後ろにいた男、ヤマトっていったか。

 そいつが心底気に入らねぇって顔して、大将から彼女を引き剥がす。

 無理矢理、彼女を引き剥がされて、口をとがらせる大将の肩に手をおいて、ルインが言う。

主様あるじさま、おたわむれも、ほどほどに。お酒もたらふく飲みましたでしょうし、我らもそろそろ戻りましょう」


 聞き違いじゃなければ、今ルインが手をおいている大将の肩からミシッて音がしたような。


「で、その酒飲み対決は鬼王きおうが勝ったの?」


 大将とルインたちが首を縦に振ると、彼女は呆れるように笑って肩をすくめた。


「だよね……鬼王に酒飲み対決で勝てる人なんているわけないもん」


「ん?惚れ直したか?」


「それは一度でも惚れられている人の言葉ですよ」


 大将の言葉をヤマトがズバッと切り捨てる。

 空気が悪くなることを懸念けねんした彼女が、明るい声をあげる。


「そうだ!私、次の宴で舞うんだ!それでね?」


 彼女の言葉に、皆が興味津々でその先の言葉を待つ。


「宴って言っても貴族だけの宴じゃなくて、どっちかと言うとお祭りみたいな感じで。この通りの先にやぐらを建てて、そこで舞うの」


「へぇ!!御神姫サマの舞は久しぶりだね!」


「うん!!あたしもここに帰ってきて初だよ!それでみんなにも見てもらいたいなって。来れたらぜひ来て!」


「おや、鬼の私たちが行ってもよいのですか?人間たちの祭りでしょう?」


「うん!ホオ……っコホン!帝も是非って言ってたよ!」


「そうか!なら言葉に甘えるか!酒もまた、たらふく飲めそうだしな!」


「いいけど程々にしないと体壊すよ?」


 彼女が窘めるように大将を見るが、当の大将はどこ吹く風だ。

 まったく、と俺がため息を吐いた時、訝しそうな顔でヤマトが小さくこちらに問う。


「おまえ、何かあったんですか?いや、おまえたち……と言った方がいいですかね。少々、様子がおかしくありません?お前のところの大将込みで」


 ギクリ……と図星を指された俺がそちらに驚きの表情を見せる前に、その問いに背後から答えられた。


「いいえ、何も。……それより良いのですか?あなたの主殿が私の主様に撫でくりまわされてますが」


 ルインが指を指しながら言うと、ヤマトは慌てた様子で彼女たちのもとへと向かった。


「キラ。……おまえは何も悪くありません。だから堂々としていなさい。降りかかる火の粉は打ち払いければいい。それだけです」


 ルインは前を見据えたまま、俺にそう言った。


――こいつ……俺が動いてること知ってたのか?


 それとも、たまたま言った言葉が的を得ただけか?

 じっとそちらに目を向けても、表情を見ても読めないルインの腹を探るのをやめた。


「やいやはっはな……みほひへ」


 大将の情けない声がしてそちらを見やると、今度は彼女が大将の頬をつまんでいた。

 (やりやがったな……御神姫)って言ってるんだろうが、言葉にはなっていなかった。

 それにしても、あれでも鬼の一門の頭である大将に、あんな事できるのは彼女くらいのものだろうな。

 大将の頬から手を離した彼女は、はしゃぐように少し離れた場所まで走った。

 そして、こちらに向けて手を叩いてみせて歌うように言う。


「鬼さんこちら、手のなる方へ……♪」


 彼女のそばに立っているヤマトは、聞こえてきた彼女の歌にこらえきれず吹き出す。

 そして挑発的な笑みを浮かべ、こちらに向けてからかうように小さく舌を見せる。

 カチンッときた俺は、ヤマトに向けて怒鳴る。


「ヤマトさんとやらよぉ!!おまえはやっぱりムカつくぜっ!」


 そう言ってから俺は、彼女の歌に従うことにした。

 彼女のもとへ目掛けて、駆ければ、その距離は一瞬で詰まる。

 彼女の横に立った俺は、笑って言ってやった。


「おらぁ!来てやったぞ!御神姫!」


「おぉ!さすがキラは足が速いね!」


 あぁ、そうだな。

 どうせ疾風の如く疾く駆けるなら、こいつのそばにがいいや。

 捕まった!と笑う彼女がすごく愛らしくて、俺は思わず抱きしめてた。

 俺の腕の中にいる愛おしい女のあたたかさを感じながら、目を閉じた。


「何目つぶってんですか?眠いならお引き取りを」


 無防備に体を彼女に預けていた俺は、肩を強く掴まれた感覚に驚き、はっと目を開き顔をそちらに向ける。

 その目に飛び込んできたのは、不機嫌を隠すことなく顔に貼り付けたヤマトの姿だった。


「御神姫にいつまでひっついてるんですか……。いい加減離れなさい」


 ぐいっと容赦なく引かれ、俺は彼女から思い切り引き離される。

 彼女のぬくもりにまだ浸っていたかったってのに。

 こいつマジで邪魔しかしねぇ。

 俺は眉を寄せて目を細めてヤマトを睨みつける。


「おまえに命令される筋合いねぇんだよ!おまえこそ、こいつにひっついて回る金魚のフンだろ!」


 俺がそう言い放つと、たちまちヤマトのこめかみに青筋が立つ。


「私は御神姫を守る任を仰せつかってます。身勝手に這い回るだけのおまえとは違うんですよ?」


「んだと!誰が身勝手に這い回ってるってんだ!」


 掴みかかりそうな俺に冷たい目を向けながら、平然と目の前の男は言ってのけた。


「おまえですよ。おまえ以外の誰がいるっていうんですか?」


「喧嘩売ってんのか!?なら買うぞ!!脆弱ぜいじゃく人間風情にんげんふぜいがいい気になりやがって!!」


「私は商人あきんどと違いますから、物を売ったりはしませんが、向かってくるなら容赦なく打ち払います。気に入らない相手を消す、いい理由ができてこちらとしても好都合です」


 睨み合う俺たちを、困ったように周りは見ていた。

 ふと見れば、彼女は俺たちをじっと見つめてから、聞き取れないほど微かに呟いた。


「この2人のカプもアリっちゃぁ、アリだな……」


 かぷ?あり?

 聞き取れたとは思ったけれど、言葉の意味は全くわからなかった。

 声をかけようと思ったが、彼女があまりにも真剣そのもので気が引けてしまった。

 まぁ、雰囲気的に、危ないことをしようとは考えていなそうだし、気にしないことにした。

 女の秘密を、わざわざ目くじらを立ててあばこうとするほど、器の小さな男にはなりたくないしな。

 俺がそんな事を考えている間に、ヤマトの怒りも冷めたのか、興味なさげに俺の横を通り過ぎた。

 そして彼女に微笑みながら話しかけていた。


立通たちどおしでは足がお疲れでしょう?御神姫、さっさと帰りましょう」


「さっさと帰りたいなら君だけ先に帰ったらぁ?ヤマトくん☆」


 彼女がなにか言う前に、ラスがヤマトに挑発的な言葉を投げかける。


「どいつもこいつも……」


 心底面倒くさそうにヤマトがラスを見たところで、彼女がヤマトとラスの手を両手に握って歩き出す。


「ほら!もう喧嘩してないで帰ろう!!」


 彼女に笑顔で手を握られた2人は、後ろからでもわかるほど顔を赤らめて、そのまま彼女の言葉に素直に従って歩き出す。

 大将とルインが困ったようにその光景を見ていた。

 そこには敵意も、殺意も、這い回るような忌々しさもなかった。


――あぁ、これが何気ない平和なんだろうな。


 大将がいて、ラスたちがいて。

 ムカつくけど、人間が普通に俺たちと会話してて。

 こいつが今、楽しそうに笑ってる。


――あぁ、これでいいんだ。ちがうな……これが、いいんだよな。


 そう思ったら、肩から重い何かが落ちたような。

 暗い洞窟の中で先の出口からの光が見えたような。

 とてもホッとした感覚になった。

 いいしれない不安が、俺の中からたちまち消えていくような心地だ。

 獲物のことは何も掴めなかったのに、自分自身の中の迷いが晴れていくようで、安堵の表情が隠せない。


「ほら!キラも帰ろう!!」


 振り向いた彼女にそう言われて、俺も彼女の後についていく。

 ルインと大将も静かに俺の後に続く。

 夕日も山に姿を隠す。

 もうじきにヒノモトにも夜が訪れる。


 愛おしい彼女が願って、戦って、掴み取った平和な未来。

 愛おしい彼女が笑って生きているこの世界。

 なら、やっぱり、自分はこの日々を守りたい。

 たとえば、守るだけじゃ駄目なんだと、ありふれた言葉で誰かが惑わしてきたとしても。

 たとえ、壊したその先にはもっと自分に都合のいい未来があるんだと、誰かがそそのかしてきたとしても。

 自分は必ず、彼女が掴み取ったこの平穏な日々を守りきる。

 たとえ、そのことで何処かの誰かが傷ついていたとしても。

 たとえ、その結果、何処かの誰かに恨まれ、なじられたとしても。

 何を犠牲にしたとしても、何を背負ったとしても。

 それが仲間であったとしても、罪や罰であったとしても。

 何にとがめられたとしても、何にさいなまれたとしても。

 それで彼女に嫌われたとしても、彼女に憎まれたとしても。


――自分には、彼女の幸せな未来以上に大切なものなんて……ないのだから。


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