幕間 用事がある私が別れた後の彼ら


「キラ?どうしたのぉ?まだ苛ついてんのぉ?」


 ラスに声をかけられて、俺は首を横に振る。

 ただ、不審な動きはないか、周りを見ているだけ。


「なら、その睨むような目はおやめなさい。敵意があると思われてまた難癖をつけられても面倒です」


 こちらを見ることなくルインにそう言われて、俺は舌打ちを吐いた。

 俺の気を知りもしないで、言いたいこと言ってくれる。

 俺は今たぶん、だいぶ焦っている。

 いまだに何も手がかりすら掴めていない。

 まだ続いている飲み比べは、終わる兆しさえ見えないが、安心してはいられない。

 この酒飲み対決が終わらないうちに、どうにかしてでも、探り当てなくてはならないというのに。

 今もこの肌に感じる、嫌味たらしくまとわりつき、反吐へどが出そうなほどの嫌気いやけ根源こんげんを。

 ヘラヘラとしながら酒をあおるウチの大将は、たまにこちらに目を向ける。

 その時の瞳は、あの頃と変わらない戦いの中に身を置く鬼の目だ。

 俺が目を伏せて、小さく首を横に振れば、大将はまた人間に、人の良い屈託くったくのなさそうな笑みを向ける。

 俺はまた、辺りを見回す。

 俺の気のせいなわけはないんだ。

 この鼻をつく異臭、肌をうような忌々しい感覚。

 俺にはわかる。

 俺にはわかってしまったんだ。

 何かがこのヒノモトに近づいてきている。

 いや、もうすでに何か異物がヒノモトに入り込んでいる。

 あいつが守ったこの平和なヒノモトが、また危険にさらされる。

 やっとあいつを取り戻す術をみつけられたのに。

 せっかくあいつが帰ってきてくれたのに。

 今ようやっと、あいつが笑っていられるのに。

 また、あいつが涙を流し、血に塗れて、傷つく。

 そんなことはさせたくない。

 そんな、あいつは見たくない。

 だから、俺はウチの大将に協力をしてくれと、頭を下げてまで頼み込んだのだから。

 まぁ、ウチの大将は二つ返事で承諾してくれたが。


 この感覚に襲われたのは、あいつが帰ってきてから程なくしての頃だった。

 最初はすぐに消えるかと思ったが、感覚は増していくばかりだった。

 その事に気づいた俺は、単独で動いて手当たり次第探したけれど、全く手がかり一つも掴めなかった。

 時間が経てば経つほど、感覚は強まるばかり。

 気ばかり焦る俺の様子を不審に思った大将が声をかけてきた時、俺は意を決して話した。

 何もわかっていない今の状況と、それでもどうにかしてほしいと、進言しんげんした。

 頭を下げている姿は、進言というより懇願こんがんの方が正しかったかもしれないな。

 けれど大将は嗤うことなく話を聞いてくれて、一つの提案をしてくれた。

 それが、この酒飲み対決だ。

 今回の酒飲み対決にともない、この感覚の原因を探るために俺もこの人間の居住区まで来た。

 ラスやルインまで来てるのは完全に予想外だった。

 あいつに会えたのも、偶然だったが、様子を見れてよかった。

 とりあえず今のところは、特にはあいつに変わったところはなさそうだったからな。

 ふと、あいつが向かった方向に目をやった。

 その瞬間、俺は目を見張った。

 そして、考える前に体は動いていた。

 俺が走り出したことに、ラスは驚いた目を向けたがルインはただ、前を見ていた。

 体を低くして、戦の時と変わらない動きで、人の波間を掻き分けて、獲物に近づこうと駆ける。

 疾風の如き俺の動きでさえ、獲物は流れる水の如くさらりとかわす。


――常人の動きじゃないっ……!!


 追跡者の存在に、獲物も気づいている。

 人のざわめきを器用に躱しながら逃げる獲物を、俺は目の端に縫い付けて追い続ける。

 獲物との距離は縮まらないまま、周りの時間だけが過ぎる。

 獲物は土地勘が浅いのか、なにか策があるのか。

 迷うことなく曲がり角を駆けていく獲物の先にあるのは、行き止まりだ。

 俺は、もらったっ!!っと曲がり角に立ちはだかった時、そこには誰もいなかった。

 そんなわけない。

 この道は一本道で後ろには俺がいた。

 眼の前は壁で、辺りには身を隠せそうな物はない。

 狐につままれたような心地になりながらも、警戒を解くことなく辺りを見やる。

 けれどそこには、壁に溶けた俺の影と、走って荒くなった俺の息の音しかなかった。

 俺は爪が食い込み血が滲むほど強く拳を握りしめて、その場を後にした。

 最後にもう一度振り返っても、そこには壁が広がるだけ。

 走ってきた時と何ひとつ変化のない一本道を、俺はただ足取り重く戻っていく。

 頭の中では、憤りで真っ赤になりながらも、駆け回る冷静な思考が繰り返し巡っていた。

 獲物の存在と処遇、ヒノモトのこの先について。

 そして、何よりもあいつの安否と平穏と未来について……最良の選択を叩き出すために。


「どうだったんだ?」


 ウチの大将が夕日を背景にして声をかけてきた。

 口角は上がっているけれど感情が読めない表情だ。

 俺は大きく首を横に振って項垂れた。


「追いつけなかった……。全力で走ったってのに、全然……無理で。果てには、あの一本道の曲がり角の先で煙みたいに消えちまった。……行き止まりだってのにっ!」


 獣が唸り声を上げながら咆哮するように、俺は自身の不甲斐なさを吐き捨てるように言った。


「……よくやった。なに、収穫が皆無ってわけじゃない。上出来だろう」


 大将は、ニヤリとしながら俺の肩を叩く。

 顔を上げた俺は、ゾクリとした。

 その時のウチの大将の顔……見たことねぇ……。

 俺が獣なら、言葉の通り、ウチの大将は……。


――……鬼だ。


 目の奥には赤い炎がくすぶっていて、口元には残忍な牙が血肉を求めるように覗いている。

 俺の肩に置かれた大きな手の先に伸びた鋭利な爪が、出番はまだかと強く主張している気がして。

 戦の時だって、こんな大将を見たことはない。

 脳内では警鐘が鳴り響き、全身の毛穴からは汗が吹き出す。

 この場に影を縫い付けられたように、一瞬の身動ぎさえできない。

 止まらない震えまで恨めしい。


――今、俺の目の前に立つこの男は誰だ?


 こんな何の理由もなく、遊戯で人を殺めるような。

 快楽で凄惨な光景を求める猟奇的な鬼の姿なんて。

 俺は知らない。

 眼の前で微笑っているこの男が、本当にウチの大将だって言うのか……?


「キラ、俺は良かったって思ってるんだよ……」


 おもむろに俺の肩から手を離しながら男は言う。


「ただの人間じゃなくてさ。それにおまえ言っただろ?このヒノモトに異物が入り込んでるって……」


 俺は男の言わんとしていることが見えてこなくて、ただ頷いた。

 頷く俺を目に映した男は、微笑んだまま言葉を続ける。


「……このヒノモトに仇をなす存在が、ヒノモトに暮らすただの人間だと殺りづらいじゃないか。でも有り難いことにそいつは異物で、その上、人外の強さを持ってる」


「あぁ……」


「しかも鬼を出し抜くってなら容赦なく本気を出せる。……一番面倒なのは大義名分のない狩りと煩わしいしがらみ、ちまちまと手加減することだろ?」


 狂気に塗れた鬼がウチの大将と同じ笑顔で、屈託なくニカッと微笑う。


「あっはっは!キラ!早く異物みつけないとな?」


 あぁ、今すぐにあいつに逢いたい。

 鬼の本質と本能を曝け出しているウチの大将を見つめながら、そう思った。


「なに鬼王きおう笑ってんの?なにか面白いことでもあった?」


 待ち望んでいた声は、この場に似つかわしくないほど間が抜けていたのに、とても心地よかった。


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