第2話 何はともあれ「ただいま!」

 目を開くと、そこは異世界ヒノモトだった。


 久しぶりに立ったヒノモトの土の感覚に足を取られる。

 初めてヒノモトに降り立った時と同様に、コンクリートの地面に慣れきった足が、ヨロリとよろけてしまう。

 けれど、強い腕の力で肩を包むように支えられ、転ぶことはなかった。

 見上げれば、いつも私をそばで守ってくれた彼がいた。

 私は彼に笑いかける。

 彼は困ったように、少し泣き出しそうに微笑わらった。

 でもそれは、彼だけじゃない。

 前を向けば、彼と同じような表情で微笑う人たちがいた。

 見覚えのある、なんてものじゃない。

 忘れたくなかったし、忘れてしまっても忘れきることのできなかった、私の大切な人たちがそこに立っていた。


 ヒノモトを統べる帝。

 そんな彼をそばで支える貴族たち。

 この国を守る武士たち。

 生活を支える陰陽師たち。

 和議を結んだ鬼王やその一門の鬼たちまで。

 そして、近侍きんじとして、私のことをいつも一番そばで守ってくれた彼。


 うん、相変わらずみんなイケメンだ。

 あの時と全く変わらないイケメンたち。

 私に優しくて、私を全力で守ってくれるイケメン。

 最近は守られるだけのヒロインなんてイヤ!なんて風潮があったりするけど、私は全然守られたいタイプ。

 お姫様扱い、女性に優しい王子様、どんとこいなタイプ、ガンガンに甘やかされたいタイプだから。

 やっぱりこの異世界ヒノモト、好きだわぁ!!


「おかえり、御神姫みこひめ


 その言葉に、よだれが出そうになっていた私も、ハッと我に返る。

 そんな私のことを抱きしめて彼が言う。


「このヤマトはずっと……ずっとあなたのお帰りをお待ちしておりました」


 ヤマトの言葉が、彼の体温のあたたかさが懐かしくて。

 久しぶりに会えた安堵のせいか、泣き出してしまいそうで、声が詰まったように出てきてくれない。

 もう少しだけ、このぬくもりに浸っていたい……なんて、子供じみてるかな。

 少し照れくさくなった私が、彼に返事を返そうとした時、それは声になる前に掻き消された。


「おい!いつまで、御神姫にへばりついてんだっ!御神姫を取り戻せたのは、おまえだけの手柄じゃねぇだろうがっ!!」


 そう言ったのは、鬼王を支える腹心のキラだ。

 彼は強い力で、ヤマトから私を、べりっと引き剥がす。

 引かれた力が強くて、よろけた私はその勢いのまま、キラの胸に向かってとびこんでしまった。

 トンッと軽い音を立てて、彼の胸に私の頬があたる。

 あぁ、ごめんね?と軽く笑って離れようとしたけれど、彼の胸から聞こえてくる鼓動が強くて思わず顔を見上げた。

 キラは顔を真っ赤にさせて、体を硬直させていた。

 その顔をじっとみつめていると、私の視線に気づいた彼は困ったような、怒ったような表情で髪をかきあげる。

 うん、キラはぶっきらぼう系のイケメンだ。

 口調はお世辞でも丁寧とは言えない。

 でも本当はすっごく優しくて、照れ屋さんでとっても可愛い人。

 本人に言うと、褒め言葉じゃない!って怒るから言わないけどね。

 あぁ、そろそろ離れないとヤマトに怒られるな。

 そう思って一歩、足を後ろに引いた。

 その瞬間、両肩を大きな手で掴まれる。

 そしてバックハグをされた。


「俺の相手もしろよ。なぁ、御神姫さま?」


 振り向かなくても声で誰かくらいわかる。

 彼は普段、私を御神姫さま、なんて丁寧な呼び方をしない。

 からかったり、おどけたりした時の呼び方だ。


「久しぶりだね、鬼王きおう


 私の言葉に彼は満足そうに息を一つ吐く。


「あのさ、鬼王?このままだと動きにくいよ?」


 私が、もぞりと身をよじるけれど、彼の強い力に勝てるわけもなく徒労におわる。

 彼は今の状況を楽しんでいる。

 そして意地の悪い挑発的な笑みを浮かべて、ヤマトたちを見ているに違いない。

 彼は俺様系イケメンだ。

 多少、ワガママや傲慢に見えるところもある。

 けれどカリスマ性もあり、実力もある。

 そして自身が気に入った相手、そばにおくと決めた相手のことは心の底から慕い、絶大な力で守る。

 俺様というより、もっと絶対的な王様イケメン。


「お前のために、俺がお前に逢うだけのために頑張ってやったんだ。もっと、褒めろよ」


 彼が耳元でポツリと囁く。

 私の肩に乗せられた彼の頭を少しだけ撫でる。

 彼は心地良いのか、くすぐったいのか、薄く笑う。

 それから、ぐいっと強く頭を押し付けてきて、ちょっとだけ肩が重くなる。

 重いよ、と抗議の声をあげたところで、今度は鬼王とは違うしなやかな手に、私の右手が掴まれて、軽く前に引かれる。


「いい加減、離れてもらえますか?また、争い合うのは嫌でしょう?」


 穏やかだけれど、冷たさをはらんだ声で鬼王に微笑む。

 微笑みを浮かべてはいるが、目が笑ってない。

 穏やかに見えるけど、空気が冷たい。

 鬼王から離された私は、このひりついた空気を変えるため、目の前に立つ男性の名を呼び、努めて明るい顔で笑いかける。


「あぁ!シンジさん!!えっと、お久しぶりです!お元気でしたか?」


 私の声は、空気を変えたいという思いが強すぎて、場違いなほど大きなものになる。

 そんな必死な私の声に、鬼王を睨むように縫いつけられていた彼の視線が、ゆっくりと私に向けられる。

 私の焦りと必死さが伝わったのか、彼は困ったような表情を浮かべる。

 そして柔らかく目を細めて、優しく微笑んだ。


「突然あなたがいなくなって、元気なわけないでしょう?……私はもちろん、皆、あなたの無事だけを願っておりましたよ」


 切なさをたたえた彼の微笑みに私の胸は、しめつけられる。

 不謹慎とはわかりつつ、いつも飄々としているイケメンの弱っている姿にキュンッキュンッする。

 急な萌えの供給に身悶えつつ、しばしニヤケが止まらない。

 しかし、シンジさんは至って真面目であり、本気で心配してくれている彼にこの表情を見せるのは、大変申し訳ない。

 それ以前に、せっかく乙女ゲームのヒロイン的な立ち位置になれたのに、イケメンにこの表情を見せるというのは、御神姫の名が廃る。

 慌てて、自分の律して彼に言葉を返す。


「すみません。私も突然のことでして……」


 私の言葉に彼はゆっくり首を横に振る。

 その姿が優美で、なんと絵になることか。


「あなたを責めたいわけではないのですよ。けれどあなたの御身は尊く稀なるお方。あなたを見失った私たちはただ……あなたの身を案じることしかできない」


 彼の声は、以前と変わらずしっかりとしているのに、強く握られた私の手から彼の震えが伝わる。

 彼の不安や寂しさ、内に秘められた慟哭どうこくが手をつたって流れ込んてくるみたいで、私の胸まで引き絞られるように痛む。

 本当に心配をかけてしまったんだ。

 私の口から自然に言葉が漏れる。


「心配かけて(いたのに、イケメンの弱っている姿に、不謹慎にもヨダレ垂らしながら、キュンッキュンッしてて)ごめんなさい」


 しゅん、として俯く私の頭を、彼はまるで幼子をあやすように優しく撫でる。

 見上げた私の瞳に映るのはあの日々と変わらない、いつものたおやかな彼の微笑みで。

 そして、安心させてくれるように彼は、柔らかい声音で言った。


「あなたの帰りを一日千秋いちじつせんしゅうの心地でお待ちしておりました。……おかえりなさい、御神姫様」


 ただいま、と答えようとする私の口元に、彼は指の腹を軽く押しあてて、優美に微笑う。

 そして、彼は声をひそめて、小さく私に耳打ちをする。


「その言葉は誰よりも先に御上にお願い致します。とても心配なさっていたので」


 彼の言葉に誘われるように私の瞳は、護衛の武士の奥に立つ帝の姿をとらえる。

 帝はいつも柔らかく微笑んでいる姿しか、外に見せない。

 楽しいことも、悲しいことも、悔しいことも、喜びや憤りさえも、その柔らかな微笑みの奥に隠してしまう。

 本来の無邪気な彼の年相応の表情が垣間見えるのは、本当に少ないことで。

 帝の立場として懸命に心を隠し立っている。

 そんな彼の心細そうにした不安げな表情を見た私は、シンジさんに肯定の意味をこめて強く頷いた。


「はい……!」


 そのまま私はシンジさんから離れ、帝の前まで向かって歩き出した。

 近くまできた私に、武士の人たちが恭しく頭を下げて、一歩、後ろに下がってくれる。

 彼の目の前に立った私に彼が言葉をくれる。


「私はあなたとまた相見あいまみえたこと、喜ばしく思う。再びヒノモトはあなたの帰還を歓迎しよう」


 彼は懸命にいつもの微笑みをつくりながら、しっかりとした言葉を紡ぐ。

 そんな彼を心から安心させたくて、私も微笑み小さく頷いてから、しっかりとした声で言葉を紡ぐ。

 私がヒノモトに帰ってきた瞬間から、ずっと言いたかった言葉。


 誰より頑張りすぎてしまうヒノモトを統べる帝に。

 私の身を案じ、懸命に探してくれた貴族たちに。

 ヒノモト、私の居場所を守ってくれた武士たちに。

 私の帰還のために尽力してくれた陰陽師たちに。

 私と再び逢うために、ヒノモトの人たちと協力して頑張ってくれた鬼王やその一門の鬼たちに。

 私の帰りを諦めることなく、誰よりも私を想い、ずっと待ち続けてくれていた近侍の彼に。

 このヒノモトという異世界の全てに。

 私はずっと言いたかったんだ。


「……ただいま!!」


 何故もう一度この場所に戻ってきたのか。

 どうやってこの場所に帰ってこれたのか。

 平和になったこの場所で私は何をすべきなのか。

 アラサーの私がどこまで頑張れるのか。

 体はついてきてくれるのか。

 何もわからないけれど。


「……ずっと会いたかったよ!みんな!!」


 わからないことばかりだけれど。

 ただ今は、何はともあれ。


「ただいま!」


 私はずっと、その一言を言いたかったんだ。


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