第1話 私の世界に「いってきます!」

 思い出したのは突然。

 忘れたのも突然なら、思い出したのも突然。

 一瞬で記憶が頭の中を駆け巡った。

 一瞬で失ったものが、一瞬で舞い戻ってきた。


 今日、突然に思い出すことなんて何も知らない私は仕事終わりの帰り道、近くにオープンした雑貨屋に立ち寄った。

 期間限定の店らしく、そう広くない店内はたくさんの人で賑わっていた。

 その店には、アクセサリーやバッグ、置物やぬいぐるみ、可愛らしい文房具まで置いてあった。

 私は、何か特別にほしいものをめざして入店したわけではなかった。

 なんとなく、目についたから。

 そこで、アクセサリーがたくさん置いてあるエリアで一つ手に取ってみた。

 ただ、たまたま目についたから。

 それは赤いハートが特徴の髪飾り。

 金属で枠組みされた大きなハートの中に、赤い石かガラスできた一回り小さいハートが、ピッタリとはまっている。

 そのハートから垂れ下がった3連のチェーンの先に、色とりどりのビーズと白いパールが、しゃらしゃらと音を立てる。

 つけてみたりはしないけれど、目の前に置かれた鏡に向かって顔を近づけ位置をあわせてみる。

 キラキラしていて、これ一つで華やかになる。

 けれど、色合いとサイズのおかげなのか、普段使いでも派手になりすぎることはなさそうだ。

 一度、鏡から離れてその髪飾りをじっと見る。

 いつもの私ならあまり買わないタイプのアクセサリーだ。

 若い時なら、いざ知らず、アラサーの自分には少し可愛らしすぎるデザインな気がした。

 それこそ手に取るのも珍しいくらい。

 でも、なんだか気になって、置き直すのも躊躇われた。

 ちらりと値札を見れば、安くはないが高すぎることもない妥当な価格。

 うーん、と少し小首をかしげた後、その髪飾りだけを持ってレジに並んだ。


 つい買ってしまった。

 見るだけのつもりで入った雑貨屋で、普段なら買わないような髪飾りを買ってしまった。

 いわゆる衝動買いというやつだ。

 けれど買ってしまったからには、つけないのは、もったいない。

 私は家に帰ってきて、すぐに紙の袋から髪飾りを取り出し鏡の前に向かう。

 スマホで、髪飾り、つけ方、似合う、を検索して、それを参考に何度か髪にあててみて、位置を決める。

 そして髪につけてみた。

 カチリと金具がはまった音がした瞬間、懐かしい匂いがした気がした。

 香水よりお香のような、でも、もっと自然の花みたいな香り。

 フルーツのように甘いけれど、爽やかなすがしい香り。

 何の香りかもわからないのに、思考が思い出せと強く訴えてくる。

 この匂い、この世界のどれでも当てはまらない。

 でも、この匂いを絶対に知っている。

 そう思った瞬間、私は全てを思い出した。

 異世界の匂い、ヒノモトで過ごした日々の記憶、私の守った人たち、私を守ってくれた人たち。

 どれだけ忘れても、決して忘れられない、私の大切なもの。


「あっ!思い出した!!今、全部思い出した!!」


 誰に言うわけでもないのに思わず声がとびだす。

 異世界に突然、召喚された高校生の頃の思い出。

 桜吹雪に呑まれたことがはじまりだった。

 異世界で出逢った人たちのこと。

 みんな、優しくて、かっこよくて、綺麗で、とても素敵な人たちだった。

 右も左もわからない異世界で走ったり、戦ったり、宴で舞ったり、いろんなことに奮闘した日々。

 若いからできたことだよね。

 今、あの動きしたら完全に背中がつるし、筋肉痛で動けなくなる。


――本当に……今じゃ無理なことばっかりだな。


 若かった頃の、キラキラとした記憶に想いを馳せながら、鏡に映った今の自分の姿を見る。

 そして、もう見たくないとばかりに顔を伏せる。

 懐かしい記憶が胸に沁み込んで、視界がじんわりと滲んでいく。

 しゃらりら、と髪飾りが揺れた。

 その瞬間。

 突然、強風が吹いて髪飾りを揺らした。


――ほんの一瞬、目を瞑る。


 薄く目を開くと、はらはらと強い風に逆らえず、ただ舞い上がる白いもの。

 髪飾りのパールが取れたのかと思って触れたけれど、そこにはパールの感触がたしかにあって。

 これがあの桜吹雪だと私にはわかった。

 私は一瞬、息を呑んでから、辺りを見回す。

 鏡に映る自身と、もう見慣れた室内と広がっているこの世界の景色をこの目に焼きつけるように。

 そして、誰がいるわけでもないけれど、笑って言った。


「いってきます!」


 また、必ず私はこの世界に帰ってくる。

 だけど……いや、だからこそ、その時まで。

 その桜吹雪に呑まれ、そしてとけるように私は再びこの世界から消えた。


 目を開くと、そこはあの頃と変わらない懐かしい匂いの、異世界ヒノモトだった。

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