童貞、銃と暮らす。

 その日から、銃との奇妙な日常が始まった。


 銃はことあるごとに撃ちたがった。僕が電車の順番待ちに割り込まれた時も、取引先に無茶苦茶なクレームをつけられた時も、引き金をバタつかせながら「撃っちまうか?」と尋ねてきた。僕が笑って断ると、「そうか」と撃鉄をすくめていた。流石に人に向けて撃つことは考えられなかったが、銃が側にあるだけで、僕の弱気が随分と軽減された。


 銃は、思ったことをすぐに口に出した。僕のことをウスノロと罵り、目覚ましが鳴りっぱなしの時はグリップをぶつけてきた。お笑い番組を観ていても「今の芸人、どこが面白いのかわからなかったわ」と口に出したり、アニメを観て「原作の方がよかったな」と呟くこともしょっちゅうであった。逆に、感動しているらしいこともよくあり、そうしたときには銃口を少し下に向け、恥ずかしそうにしていた。

 何より凄かったのは、ガンアクションを観ている時の反応だった。特に『ジョン・ウィック』は大のお気に入りの様で、「凄え!凄え!やっぱり撃ったら気持ちいいのかな!」と興奮しっぱなしであった。

 騒がしくはあったが、銃のような気の置けない友人は久しぶりで、僕は正直とても嬉しかった。学生時代の友人とは徐々に疎遠になっていた。友人たちの中には結婚する者も出始め、人生のステージを順調に進めている人間と未だ童貞のまま置いて行かれている自分との差を否応なく自覚させられる。会うたびに愛想笑いが増えている自分に気づき、自ら距離を取るようになっていた。

 好きな人はいるんだ。焦りから、飲み会で唐突にそんなことを口走ったこともあった。友人たちは一瞬キョトンとしたあと、「へえ、良かったじゃん。また付き合ったら紹介してよ」と返してくれた。気を遣ってくれているのが伝わってきて、より惨めになった。本当は好きな人なんていなかった。人を好きになるということすら、よく分からなくなっていた。


 銃には何でも話すことができた。

 僕がこれまでの人生で唯一付き合った人の話もした。彼女はサークルの同期で、大学1年生の秋から翌年の春までの約半年間交際していた。漫画やアニメの話で意気投合し、彼女からの告白で付き合うことなった。仲は良かった。一緒に水族館に行ったり、毎日LINEをしたりしていた。幸せだった。お互い未熟だったこともあり、セックスは20歳になってからというのが暗黙の了解となっていた。僕もそれでいいと思っていた。無理にセックスをせずとも今の関係で十分に幸せだと考えていた。

 バレンタインデーから1週間ほど過ぎた辺りで、彼女の返信が途絶えるようになった。嫌な予感がした。いや、彼女はバイトや他サークルの活動で忙しいのだろう、今は僕に時間を割く余裕がないだけなのだ。そう言い聞かせ、あえて踏み込むことはしなかった。

 ホワイトデーが近くなり、彼女に久しぶりの連絡を取った。バレンタインデーのお返しを渡す日を決めようとした。彼女も喜ぶはずと信じていた。意に反し、彼女からは「今週会える?大事な話がある」とだけ返信があった。心臓がキュッと痛くなった。

 彼女は「他の男から告白された」と告げた。そうか、と思った。覚悟はしていた。覚悟はしていたが、マグカップを持つ手は震えていた。泣きそうな顔で僕を見つめる彼女を責める気にはなれなかった。君が幸せならそれが1番だ、と絞り出した。彼女は「ありがとう。優しいのね」と笑顔になった。優しいわけではなかった。本心を剥き出しにし、縋り付くことがみっともないと思っただけだった。こんな時でも、自分の小さなプライドを優先していた。

 僕から彼女を奪った男のSNSは意外とすぐに見つかった。写真を見て、僕の方がまだ格好いいのに、と思った。すぐに戻ってきてくれることを期待した。

 久しぶりに見た彼女のLINEアカウントは知らない姓に変わっていた。僕のものでも、僕から乗り換えた男のものでもなかった。

 銃は、終始「マジかよ」「ヤベェな」「撃っちまうか?」と相槌を打っていた。


「一度でいいから誰かに撃ってもらいたいんだ」銃は酔うと、よくそう言ってくだを巻いた。いつも自信家で口の悪い銃のことが、そのときばかりは自分と重なって見えた。撃つために造られたのに一度も撃たれることなく捨てられていた銃。子孫を残すことはおろかセックスを一度も経験することなく人生を終えそうな僕。

銃身を撫でてやると、銃口からスゥーと空気が漏れる音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る