貴方のもの
「……うちのアシュリーが、本当にすまない」
聞き飽きたその言葉を、咎めようと目を細めた。彼は首を横に振る。違うとでも言いたそうに。
そして、彼は語り始める。
「あいつのせいで、君は俺と婚姻させられて、俺や俺の身内の血でないと飲めない身にさせてしまった。君は、どこにも行けない。俺から離れられない。不自由にさせて申し訳ない。これを伝えるのに一月も掛かってすまない。君の好きな物語を、好きに読ませてあげられなくてすまない。好きだと思えるような物語に出会う機会を奪ってすまない。今回のことがあって、俺が生きながら婚姻を解除する方法をこの先見つけられるか分からない。我慢できなくなったら……俺をこ」
「スカー!」
それだけは言わせてはいけないと、掌いっぱいに涙を集めて、スカー様の、いやスカーの口に突っ込む。
苦しそうだけれども構わない。何も言わせちゃいけない。
「私、この生活が気に入っているんですよ!」
何か、言わなければ。
「どこにも行けない? 貴方となら行けるでしょう、どこにでも! 不自由? どこが? 襲われる心配もなく安心して暮らせる家が私はずっと欲しかった! この状況は不自由じゃない! そんなこと言わせない!」
「もが!」
「相変わらず私は好きに物語を楽しんでいるし、貴方と一緒に翻訳の仕事をしていれば、新しい物語に触れられる! 私は何も奪われていないし失ってもいない! 何も分かってない、貴方は何も分かってないスカー!」
「ゆきか」
「黙って!」
口内の涙がなくなったみたいで、喋られるようになってしまったから、また口に突っ込もうとしたら、両腕を掴まれた。動かない。涙を飲ませ過ぎた。思わず舌打ちが溢れる。
「黙らない。落ち着け雪被り」
「……っ!」
「失言だった、すまない。もう言わない、言わないから、落ち着いてくれ」
「……絶対?」
思いの外低い声が出てしまったせいか、彼は何度も頷いてくれた。
「嘘にしないで」
「もちろんだ」
その言葉を信じて、肩の力を抜く。スカーの手も離れていった。
「……」
「……」
沈黙。いや、駄目。まだ言ってないことがある。
「スカー。あ、いえ、スカー様」
「もうスカーでいいんじゃないか、雪被り」
苦笑混じりに言われ、少し羞恥を覚えながら頷き、
「これからも、ミス・シラーを探しますか?」
確認しておかなければいけないことを訊ねる。
「私は……このまま、貴方が死ぬまで、貴方の奥さんでいても、その、構わないのですけど……」
「……っ」
口の開閉を何度か繰り返したその後で、彼の瞼は閉じられる。
静かに、身動ぎもせず、そのまま。
「……雪被り」
名前を呼ばれ、そして、
「君が、それでい」
「コウノトリさん来ちゃうのかなこれ」
いつの間にかアッシュさんが横にいた。
「東の方から伝わってきたカレースープなるものとバケット買ってきたよー。お外で食べる? テントで食べる? そーれーとーもー」
えへ、と笑みを溢す姿が、何故かちょっと邪悪に見えた。
スカーと顔を見合わせて、手ぶらのアッシュさんに目を向ける。彼は首を傾げて、私達の返事を待っている。
「いつも通りに、テントで食べます」
「俺は……仕事するから、後にする」
そういえば、けっこうな量の涙を突っ込んだっけ。それでお腹が膨れてしまったか。少し申し訳……いや、スカーが悪い。申し訳なくなんかない。
「さささ、奥様」
アッシュさんに促され、共に外に出る。弱い風の吹く夜、星がよく見えた。
あの星は、なんて名前の星だろう。
星の名を付けられるシェフィールドを時に騙りながら、あまり星には詳しくない。そういう本を、スカーは持っていないかなと思いながら眺めていたら、
「僕のこともアッシュでいいよ、奥様」
朗らかな声が耳に届く。
変な声が出そうになった。固まった首が動かしにくい。それでも、無理矢理、アッシュさんに視線を向ける。
「……どこから聞いていたんですか?」
見ていた、の方が正しいかもしれない。
うーん、なんて言いながら、にこにこと笑みを浮かべて、アッシュさんは、いやお望み通りアッシュは言う。
「どこからだろうね?」
……深掘りするのはやめよう。きっと誰も得をしない、うん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます