私のもの
◆◆◆
作業場の椅子にそれぞれ腰掛けても、沈黙は続いた。
お仕事は溜まっている。なのにスカー様は動かない。何かを待っているかのように見えるのは、私の気のせい?
視線は相変わらず合わない。
腕を組み、無表情に机の上を見つめる彼の目に焦点を合わせ、一息に、知りたいことを問い掛ける。
「あの少女に吸血衝動が湧かなかった理由を、貴方は知っていますか? 知っているのなら答えていただけませんか」
「……」
答えないのは知らないから、ではないと思う。知らないなら知らないと答えるはず。一月共に過ごしただけだけれども、この人は、そういう人間だ。
「……」
「……」
一言でも何か言ってくれるまで、私は待つつもり。知りたい。原因があるならどうにかしたい。スカー様の血なら毎日普通に飲めているし、スカー様が血を流せば何がなんでも飲みたくなる。
なのに、少女にだけは、どうして。
「……」
「スカー様」
答えてくださいと、念じながら名前を呼ぶ。
「……雪被り」
弱々しく呼ばれた私の名前。
肩が小さく跳ね、声をもらしそうになるのを堪え、続きを待つ。
「──本当にすまなかった」
もう何度目かの謝罪。スカーフェイスはいつになく苦しげなもの。何がですかと訊ねても、緩慢に口の開閉をするばかりで、なかなか続きを聞けない。
彼の肩を掴んで、重ねて問いたい。その謝罪は何なのか。この原因は何なのか。どうして貴方は教えてくれない、仕事のことはあんなに親切に丁寧に教えてくれたのにと。
だけど待つ。自分から話してくれるのを待つ。彼の口は、開こうとしてくれている。隠し立てするつもりはないのだ。
待つ。待つ。待つ。待つ。
「……君は、アッシュの血を飲んだことがあるか?」
ようやく溢れ出てきた言葉は、まるで考えたこともなかったもの。
「ない、ですね」
飲む? なんて気軽に訊かれたことがあるけれど、それっきり。スカー様の血で間に合っているから、別段欲しいと思ったこともない。まぁ、目の前で血を流していたらまた違うのかもしれないけれど。
「あいつには気を付けるように言っている。軽はずみなことをして、君を苦しめることに繋がっては、申し訳ないですまないからな」
「それはどういう」
「魔法使いと婚姻してしまった吸血鬼は、婚姻相手の血しか受け付けなくなる」
「……ぇ」
「一応、血族であれば飲めなくはないが、満足感には足りないようだ。俺の血を飲むたび、君が夫なら良かったのにとスピカは不満そうにしていた。父上の血はどうやら不味かったらしい。兄上は、どうだったんだろうな」
「……」
少女の血を思い出す。やはり喉は渇かない。
ミス・シラーの血を思い出す。渇きを覚えて喉を擦った。
そして、スカー様の、血を……。
「……っ!」
空いている手で口を押さえる。欲しい。急激な渇き。欲しい。起きてすぐに飲んだはずなのに、欲しい。
椅子が耳障りな音を立て、スカー様がやっとこちらを見る。驚きに黄金色の目を見開き、雪被りと、私の名前を呼んで肩を掴んできた。
大丈夫か、大丈夫かと何度も目を見て声を掛けてくれるけれど、息が、まともにできない。
「手を、手を退けるんだ雪被り」
首を横に振ると強引に退かそうとしてくる。だけど私は吸血鬼。そんな簡単には退かせられない。
「くっ……その、すまない!」
また謝罪。彼の手は離れ、だけどすぐ、その指が私の頬に触れる。いつの間にか涙を流していた私の頬に。
全ての動きは緩やかに見えた。
私の涙を口にするスカー様。
赤く染まる彼の瞳。
口を押さえていた私の手はいとも容易く退かされ、代わりに彼の手首を押しつけられそうになる。
退かされた手でそれを払い除けた。
ぐっと身を寄せて、私は、スカー様の首筋に──。
「んっ」
彼の肌に埋めた牙が、口内に血を送り込む。満足、安堵、そんな言葉が脳内で踊る。もうこの人の血でないと駄目なんだ。一月でそんな身体にされたんだ。
そして、この血を私の好きにしていいんだ。
スピカさんが惜しんだ血を、私の好きに。なんだか笑いが込み上げてくるし、涙も止まらない。スカー様はされるがまま。
一頻り貪ったその後で、謝罪しながら涙を口に運ばせる。
「その、急にすみません」
「いや、気にしなくていい」
そうして降りる沈黙。スカー様の首の傷はとっくに綺麗になったのに、私の身体の火照りは引かず、スカーフェイスの赤みも取れない。
話の途中でどうしてあんなことをしたのかと、自分の浅ましさに瞳が潤み掛ける。彼の体力を取り戻す為にも泣いた方がいいかと思ったけれど、また心配されるかもしれないから堪えた。
黙々と、運んでいく。
涙を渡したことはこれまで何度もあったけれど、口に運んだことはこれまでなかった。
黄金色の目は赤く染まったまま。荒かった吐息は少し落ち着いてきていた。
だからだろうか、スカー様が口を開く。
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