吸血鬼

 私もスカー様も黙り込み、揃ってスカー様の指から垂れてきた血を眺める。

 目が覚めてすぐ、カップに注がれたものを飲んだというのに、どうして欲しくなるのか。

 すぐにでもその指を私の口に運んで、さんざん味わって、そして牙を……なんてはしたない!

 不埒な考えを追い払うように頭を横に振っていると、スカー様が口を開いた。

「その……なんだ……遠慮、しなくていい」

 はい?

 目を見たいのに、垂れた血から視線を逸らせない。

 スカー様の低く、優しさの込められた声が、耳に入るだけ。

「さっきも言ったはずだ、これは救命行為だと」

「……言われ、ましたけど」

 それなら私は、こう言ったはず。

「こ、恋人ともしたことのないことを、お、夫とするのが、恥ずかしいとも、言いましたよね」

「それは」

「私達吸血鬼にとって、恋人間、夫婦間でする吸血行為は、食事と救命以外にその……違う意味も、含まれます……」

「……あぁ」

 たとえ無理矢理でも、私と彼は夫婦になった。

 私が吸血してこ、子供ができるわけでも、スカー様が眷属になることもないけれど、それでも……恥ずかしい。

 頬が熱くなっていく。

 だんだん息が荒くなっていく。

 はしたない、はしたない。──あぁ、はしたない。

 瞼を閉じた瞬間、スカー様の腕を掴む手に、温もりが被さった。

「……でも、我慢は辛くないか?」

 私の手を包む温もりと同じく、スカー様の声は優しかった。まるで、何もかも許してくれているみたいに。

「苦しそうな君を見ている方が苦しい。俺は構わない。それにどうせ指だ」

 ──ほら、君。

 指を私に近付けようと、手を動かしてくる。私の掴む力が強いから、それ以上は動かないけれど、十分に、刺激になっている。

「です、が」

「俺が良いと言っているんだから」

「……うっ……その……」

 ごめんなさいと一言謝って、スカー様の指を口に含む。あぁ、なんて意思の弱い。そんな自虐は、すぐに消える。

「……っ!」

 ──これ。

 口内に血の味が広がると、頭から背中にかけて稲妻が走る。

 これだ、これ。

 私が飲みたかったのは、これ。

 舐めるたびにさっぱりとした血の味は増していく。やっぱりカップ一杯では足りない。もっと、もっとと、気付いた時には牙も立てて吸っていた。

「きっ、み……」

 無我夢中で血を吸って、正気に戻った時には──スカー様は机に突っ伏していた。

「スカー様!」

 急いで口を離して問い掛ければ、緩慢な動きで潤んだ瞳を向けられる。心なしか頬が赤く染まっていた。

「だ、大丈夫ですか?」

「……君は?」

 掠れた声で訊かれても、なんて思ったけれど、潤んだ視線にも心配の色が混じり始めたから、慌てて頷いた。

 スカー様は安心したように吐息を溢し、瞼を閉じる。

「──指を舐めるだけなら、大丈夫だと思ったが」

「ごっ」

「気にしなくていい、それに救命行為だ」

 うっ。

 俯いてしまった私の顔なんて、スカー様には見えていないのに、大丈夫だと、また優しく声を掛けてくれた。

「……余計なことを言ってすまない。それと悪いが、今夜はここまでにして、アッシュを呼んできてくれないか? 横になって休めば、どうにかなるだろうさ」

「肩なら私が貸しますよ」

 吸血鬼だから、スカー様の一人くらい軽々運べる。

 なのにスカー様は、力なく首を振った。

「いや、アッシュでいい。いつも寝る仕度はあいつに任せているから、そっちの方が早い」

「そう、ですか」

 それもそうか。

 分かりましたと言って、外へ。

「……あれ?」

 雨はすっかり上がっていた。

 薄曇り、ぼやけた月明かりの下、一つだったはずのテントは、二つに増えている。

 いつの間に? と首を傾げていたら、食器を持ったアッシュさんがテントから出てくる所だった。

「アッシュさん!」

 彼に駆け寄り事情を話すと、あらまー、なんて苦笑を溢していた。

「癖になったのかね」

 その言葉に鎮まっていた頬の熱が再び増す。

 ごめんごめんと軽く謝罪して、アッシュさんは、二つある内の片方のテントに指を差した。

「奥様用に出したから、部屋がわりに使って。本当はちゃんとした部屋を用意するべきだけど、あっちはちょっと、増築できそうになくて」

 確かに、至る所に紙や本があって、まともに寝られそうな場所を新たに作るのは難しそう……あれ? なら二人はどこで寝起きしているの?

 疑問が顔に出ていたのか、アッシュさんは答えてくれた。

「僕らも、食事や寝る時はテントで過ごしているんだよね」

 なかなか楽しいよ、なんて無邪気に笑うものだから、思わず笑いが溢れてしまった。

 だからテントがあったのか。

 そんな風に考えていた所に「あ、もう夫婦だし、同じテントで寝る?」なんて衝撃的なことを言われたもんだから、

「あわわわわわわわわ!」

 うっかり腰が抜けて、力が入らず、アッシュさんの肩を借りないと歩くこともできなくなった。

「ごめんごめん、お詫びに何か本を持ってくるよ」

 私専用のテントの中に運んでもらい、そんな言葉を残して、アッシュさんはスカー様の元へ。

「……」

 誰もいないからと、唇に、指を添える。

 血の残りはそこにない。けれど私の舌は、牙は、スカー様の血の味を思い起こす。

 ──とっても、美味しかった。

「……っ!」

 のたうち回る私を、戻ってきたアッシュさんは不思議そうに、だけど少し面白そうに、眺めていた。

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