第三章
一ヶ月
「旦那様ー。砂時計、勝手に引っくり返しちゃ駄目だよー」
最初の数日、スカー様はつきっきりで私に翻訳の仕方を教えてくれて、間違いを指摘される機会が少なくなってきた頃、本家に手掛かりを探しに行った。その間はアッシュさんが面倒を見てくれ、スカー様同様に、疑問点を分かりやすく教えてもらえた。
なんなら、ずっと室内で書き物しているのも疲れるでしょう、なんて言って、外に連れ出されたこともある。
「この子はバックス。僕の相棒」
すり寄ってくる黒毛の馬と戯れながら、紹介してもらう。私を運んでくれた子だ。
「バックス、この方は旦那様の奥様だよ」
「は、はじめまして」
その節はありがとうございます、と続けて頭を下げたら、鼻を鳴らして返事をしてくれた。
「今日は天気も……まぁ、もう夕方になるけど良いから、ちょっと背中に乗せてもらって走ろうか」
「怖がられないですかね、吸血鬼を直接なんて」
「大丈夫だよ。ねぇ、バックス」
元気な嘶きをもらい、お言葉に甘え背中に乗せてもらう。
「ほらほら、風になーれー」
「わっ……」
バックスはけっこうな速度で駆け回っていたけれど、走り方には何となく私達への配慮を感じられ、思う存分に風を楽しませてもらった。
「奥様も、忙しいかもしれないけど、一緒に休憩取るんだよ。まだ大丈夫なんて、引っくり返しちゃ駄目なんだから」
二週間が経つ頃、本家から戻ってきた旦那様は、偶然外にいた私を見つけると、申し訳なさそうな顔で謝罪してきた。
「該当する書籍も、書類も、その……見つからなかった」
「……その、ご面倒を」
「いや、身内のせいなんだ、むしろすまない」
「それはもういいんです、過ぎたことです。そうなると、どうしましょうね」
「付き合いのある家や書店に、手掛かりになりそうなものがないか訊ねてみる」
「え、旦那様が直接?」
食事の仕度をしていたアッシュさんの耳に入ったようで、足を止めてそう声を掛けてきた。スカー様は腕を組み、少し難しい顔をされた後で、
「それも、やむをえないか」
「……っ」
改めて謝罪を口にしようと思ったけれど、また同じことを繰り返すだけ。それなら、今はこう言うべきじゃないか。
「スカー様」
「あ、いや、君のせいじゃ」
「アッシュさんの美味しいご飯を食べて、お仕事しましょうか」
「……ぇ」
スカー様はしばし驚いた顔で私を見ていたけれど、
「……そう、だな。仕事、溜まっているもんな」
嬉しそうに言って、休み休みにしてよね、なんて苦笑混じりにアッシュさんに言われていた。
「ス、スカー様! 引っくり返すのは駄目ですよ!」
三週間が過ぎた頃、スカー様のお宅には色々なお客様がいらした。
「皆、協力ありがとね! お礼のご飯だよー!」
鳥・鼠・犬・猫・猪・蛇・熊。
主にそんな方々で、スカー様ではなくアッシュさんが彼らをもてなしていた。人間のお客様は、まだ一度も見たことがない。
「ありがとうエルマー。お疲れ様カペー。ご無事で何よりだよローゼス。無理しないでねフランツ」
アッシュさんが声を掛けるたび、動物達は声を上げる。一頭一頭丁寧に接するその姿は、まるで本当に会話をしているみたいだった。
よく見ると、何か手紙を受け取ったりしている。
「ごめんね奥様、ちょっと持っていて」
「あの」
受け取りながら、訊いてみた。
「動物さんとのお喋り、楽しそうですね」
「楽しいよ。僕の知らない世界のことをたくさん教えてくれる」
ん?
首を傾げると、彼は楽しそうに笑って、ちょうど膝から昇ってきていた栗鼠を抱き上げた。
「この子はリズ。ご挨拶して」
アッシュさんが言うと、栗鼠はぺこりとお辞儀し、一声鳴いて首を傾げた。可愛い……。
「ブランカです。よろしくお願いします」
私も自己紹介すると、リズちゃんはまた鳴いた。
「綺麗な銀髪じゃないか、だって」
んん?
「アッシュさん、その」
「……あれ、旦那様から聞いてない? 僕、魔法使えないけど、その代わりに動物と会話できるんだよね。彼らに協力してもらって、アシュリー達を探しているよ」
「はっ、初耳です」
涙を用いないでそんなことができるなんてすごい。正直、吸血鬼よりも稀有な存在なのでは。
「ん?」
リズちゃんが少し長めに鳴き出したので、アッシュさんが顔を近付ける。
「銀髪の女の子が主役のお伽噺? それに似てる?」
「……っ」
視線をリズちゃんに固定すると、寒くなったのか身震いをしていた。
「奥様?」
「アッシュさん、さすがに私、動物と会話をすることができなくて、その」
「……あはは、分かった。通訳するね」
気付いた時には動物達に囲まれていて、出先から帰ってきたスカー様がびっくりしていた。
「君も気付いてきた頃だろう。あいつはたまに大袈裟なんだ。一回くらい引っくり返しても平気だ、問題ない」
そろそろ、ここに来て一月が経つ。
「ごきげんよう、奥様」
寝惚けているとアッシュさんが声を掛けてくれて、濡らした布と共にスカー様の血が注がれたカップを運んできてくれる。
おはよう、じゃないのは、私がいつもお昼に起きているから。朝日が昇る頃に眠り、人々がランチをする頃に起きる。旅をしていた頃から、こんな感じだ。
カップの血を飲みながら、私が寝ている間に何があったか話をしてくれる。大抵は、スカー様が注意しても砂時計を引っくり返してしまう愚痴と、動物の可愛らしい話だけれど、
「今日はちょっと、面白い旦那様を見られるよ」
いつもとは違う昼みたい。
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